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実は東京で亡くなっていた五代友厚---23区渋沢栄一ゆかりの地

2021年の大河ドラマ「青天を衝け」は私のお気に入りの大河ドラマでした。しっかりした考証を背景に、日本の近代化に大きく貢献した渋沢栄一の生涯を描きました。2024年、渋沢は新1万円札の顔となります。ドラマの放送をなぞりながら、23区内などの渋沢栄一ゆかりの地をご紹介していきます。

23区 渋沢栄一ゆかりの地案内一覧

第37回「栄一、あがく」

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 「青天を衝け」も今回を含めてあと5回。コロナの影響などで1か月半遅れで始まったことが残念でなりません。栄一が91歳で亡くなるまでを描くようですから、この先1回でほぼ10年を描く! もっとじっくり見たかった〜。などと言っても仕方ないのですが、そうした事情もあり、大物がどんどん亡くなっていきます。
 今回は岩倉具視岩崎弥太郎五代友厚という時代の主役級の人たちが相次いで亡くなりました。その描き方もそれぞれで面白かったです。コミカルに描かれた岩倉、顔を真っ赤にして最後まで気張りながら死んでいった岩崎、サラリと語られた五代。
 いつもいつもなのですが、特に脚本と演出に唸らされたのは岩倉の亡くなるシーンです。枕元に三条実美井上馨が並び、最後は天孫降臨のような光に照らされて、「お上〜」と叫びながら手を合わす岩倉がドアップとなって、バッタリ倒れました。
 もちろんこんな情景はフィクションですが、これは実際に明治天皇が岩倉を見舞った際に、喉頭がんで苦しみながらも半身を起こして手を合わせて出迎えた、というエピソードを生かしたものでしょう。この場面を描いた絵は、神宮外苑の聖徳記念絵画館に飾ってあり、見ることができます。通称「絵画館」というアレですね。
 知らない方もいらっしゃるかと思いますが、外苑の絵画館は、文字通り明治天皇の治世の間の事績や事件を80枚もの絵画に描いて展示した施設です。「大政奉還」「王政復古」「江戸開城」「岩倉使節団」など教科書などで有名な絵も、ここに掲げられたものです。
 その中の「岩倉邸行幸」では、縁側から部屋に入ってきた明治天皇(土足!)を、2枚重ねの敷布団(ドラマと同じ)の上に半身を起こした岩倉が手を合わせて迎えています。周りにはこれもドラマと同じ大きな氷が置かれ、この日の暑さを物語っています。
 岩倉邸はその後解体されてしまいますが、なんとこの岩倉が亡くなり、明治天皇が訪れた部屋は保存されており、今は兵庫県の西宮神社に移築されています。しかもお茶会などに使えるそうです。
 ではその岩倉邸自体はどこにあったのでしょうか?

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