実は東京で亡くなっていた五代友厚---23区渋沢栄一ゆかりの地
第37回「栄一、あがく」
「青天を衝け」も今回を含めてあと5回。コロナの影響などで1か月半遅れで始まったことが残念でなりません。栄一が91歳で亡くなるまでを描くようですから、この先1回でほぼ10年を描く! もっとじっくり見たかった〜。などと言っても仕方ないのですが、そうした事情もあり、大物がどんどん亡くなっていきます。
今回は岩倉具視、岩崎弥太郎、五代友厚という時代の主役級の人たちが相次いで亡くなりました。その描き方もそれぞれで面白かったです。コミカルに描かれた岩倉、顔を真っ赤にして最後まで気張りながら死んでいった岩崎、サラリと語られた五代。
いつもいつもなのですが、特に脚本と演出に唸らされたのは岩倉の亡くなるシーンです。枕元に三条実美と井上馨が並び、最後は天孫降臨のような光に照らされて、「お上〜」と叫びながら手を合わす岩倉がドアップとなって、バッタリ倒れました。
もちろんこんな情景はフィクションですが、これは実際に明治天皇が岩倉を見舞った際に、喉頭がんで苦しみながらも半身を起こして手を合わせて出迎えた、というエピソードを生かしたものでしょう。この場面を描いた絵は、神宮外苑の聖徳記念絵画館に飾ってあり、見ることができます。通称「絵画館」というアレですね。
知らない方もいらっしゃるかと思いますが、外苑の絵画館は、文字通り明治天皇の治世の間の事績や事件を80枚もの絵画に描いて展示した施設です。「大政奉還」「王政復古」「江戸開城」「岩倉使節団」など教科書などで有名な絵も、ここに掲げられたものです。
その中の「岩倉邸行幸」では、縁側から部屋に入ってきた明治天皇(土足!)を、2枚重ねの敷布団(ドラマと同じ)の上に半身を起こした岩倉が手を合わせて迎えています。周りにはこれもドラマと同じ大きな氷が置かれ、この日の暑さを物語っています。
岩倉邸はその後解体されてしまいますが、なんとこの岩倉が亡くなり、明治天皇が訪れた部屋は保存されており、今は兵庫県の西宮神社に移築されています。しかもお茶会などに使えるそうです。
ではその岩倉邸自体はどこにあったのでしょうか?
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