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飛鳥山邸、最初の客人は元アメリカ大統領---23区渋沢栄一ゆかりの地

2021年の大河ドラマ「青天を衝け」は私のお気に入りの大河ドラマでした。しっかりした考証を背景に、日本の近代化に大きく貢献した渋沢栄一の生涯を描きました。2024年、渋沢は新1万円札の顔となります。ドラマの放送をなぞりながら、23区内などの渋沢栄一ゆかりの地をご紹介していきます。

23区 渋沢栄一ゆかりの地案内一覧

第35回「栄一、もてなす」

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 大河ドラマ「青天を衝け」。私が見た大河ドラマの中でも最高傑作!と思っているのですが、その理由の一つは精緻な歴史考証と、歴史的事実をきちんと咀嚼した上でのセリフや場面への反映なのですが、今回は冒頭でレレレ!となるシーンがありました。

 岩倉使節団訪米時のアメリカ大統領グラントが訪日することとなり、渋沢栄一が接待委員総代となって歓迎することになります。その際、欧米流に夫人も同伴で歓迎するため、妻の千代らが大隈重信の妻・綾子らと協力して準備することになるのですが・・・。
 そこで場面は、大隈邸に政府高官夫人らが集まるシーンになります。そこでなんと、字幕に「築地 大隈邸」と出ます。いやいやいや違いますから! このマガジン第1回の『「築地梁山泊」=大隈重信邸』でも書きましたが、確かに築地に大隈邸があり、栄一はそこに出入りしていました。しかし大隈は1871年12月にここを引き払い、邸宅を現在のミッドタウン日比谷あたりに移します。
 さらに1874年8月には神田錦町に移ります。どんどん大蔵省に近くなるのですね。日比谷邸は日比谷大神宮になりました。錦町邸も2年足らずで引っ越し、1876年10月には雉子橋邸に転居します。現在の千代田区役所、東京法務局、九段合同庁舎を含む広大なものです。この後有名な早稲田の邸宅に転居するのは1884年のことでした。
 グラント将軍の来日は1879年7月ですから、今回のドラマ回時点では大隈邸は雉子橋なのです!

グラント将軍来日時の本当の大隈邸
千代田区九段南1-2、10、15

最寄り駅:東京メトロ、都営地下鉄九段下駅

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地 図

 うーーん。どうしちゃたんでしょうねえ。NHKの制作陣が知らなかったとは思えないのですが、前に出た時に「築地」と紹介したから視聴者が混乱しないようにしたのでしょうか? だったらただ「大隈邸」と字幕を入れればいいだけなので不思議です。

 さていよいよグラントが来日し、横浜港に着きます。東京へはできたばかりの鉄道を使い、新橋駅で栄一は出迎えています。そして劇中で描かれた歓迎会となるのですが、これは7月8日に開かれた東京府民主催グラント将軍歓迎夜会のことと思われるので、その場所はここです。

これより有料です。以下には歓迎会場の場所ほか、将軍を迎えた栄一の飛鳥山邸の場所、写真、地図、王子の製紙会社跡、上野にあるグラント将軍歓迎記念碑ついての記事全文、写真、地図、関連情報リンクなどがあります。ご購入いただく場合、この記事だけで100円お支払いいただくより、マガジン「『青天を衝け』23区渋沢栄一ゆかりの地案内」全体を500円でお買い上げいただく方がお得かと思います。最終的に15本ほどの記事をご覧になることができます。よろしくお願いします。

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