第十四番 長等山 園城寺 (三井寺)
札所本尊 如意輪観音
寺本尊 弥勒菩薩
宗 派 天台寺門宗(総本山)
開 基 大友与多皇子
創 建 朱鳥元年(686年)
WebSite http://www.shiga-miidera.or.jp/
御詠歌
いで入るや 波間の月を三井寺の 鐘のひびきにあるく湖
開創
7世紀、壬申の乱で天武天皇に敗れた大友皇子の息子大友与多王(おおともよたのおおきみ)が父の霊を弔うために創建し、天武天皇より「園城」の勅額を賜った事にはじまる。
中興
貞観年間(859〜877)延暦寺第五座主である智証大師(円珍)さんが園城寺長吏になり、また伝法灌頂の道場とした。
三帝の産湯に用いられた霊泉
天智・天武・持統の三帝の産湯に用いられた霊泉がある事から「御井」とされ、その霊泉を智証大師(円珍)さんは三部灌頂の法義に用いた事で、御井から「三井」に漢字が改められたという。
桜の咲くこの日から始まる西国三十三所
2022年の4月、例年になく桜の咲く頃に晴れの日が1週間以上続く稀な年となり、園城寺(三井寺)へ続く狭い道路は大渋滞。
こんな時に来る必要はなかったが、仕事の関係でたまたまできたこの時間と、奇跡的な桜満開の時を逃す手はなかった。
徳川家康寄進の仁王門がお迎え
徳川家康より甲賀の常楽寺より移築・寄進された立派な仁王門にお迎えいただき、念願の園城寺(三井寺)を参拝させていただいた。
立派な仁王門と満開の桜はこれから始まる縁起の良い巡礼の旅の始まりを予感させてくれる。
金堂(本堂)
園城寺(三井寺)の御本尊は天智天皇が信仰されていた秘仏の弥勒菩薩さん。
天智天皇はこの琵琶湖の畔で、平和で幸せに暮らせる未来のこの国を願って弥勒菩薩さんに手を合わせていたのだろうか、そんな事を考えながらご真言をお唱えする。
「オンマイタレイヤソワカ」
元々ここにあった金堂は豊臣秀吉により移設され、現在の延暦寺西塔の釈迦堂となっているそうだ。
唐院
その後、灌頂堂、大師堂、護摩堂のある唐院は中には入れないため外観を参拝する。
唐に渡り六年間にわたる入唐求法の旅で密教を会得し日本の密教史の大きな発展に寄与され、また、大峰山、葛城山、熊野三山の修験道の再興をしてきた智証大師さんが修行の果てに見た黄不動尊とのこと。
もちろんイメージすらできないが、唐院前より、これからの観音巡礼への決意をお不動さんお大師さん(円珍)に誓った。
「ナマクサマンダバサラナン センダマカロシャナ ソワタヤウンタラタカンマン」
「南無大師智恵金剛」
札所「観音堂」
この広い園城寺(三井寺)境内の中でも琵琶湖を一望できる高台に、西国三十三所札所の観音堂がある。
札所ご本尊は「六臂如意輪観音」さん
平安時代の木造漆塗りの坐像で重要文化財に指定されている。
智証大師(円珍)さん自らが礼拝供養して彫刻されたと伝えられる有難い観音さんですが、秘仏のため実物はお目にかかる事はできない。
"その如意輪観音像の姿は、右膝を立て両足裏を重ねあわせて座り、六本の腕をもつ。丸みのある柔和な表情の顔を右に傾け、右手一手の指の甲を頬にあてられている。その優美な姿に、とりわけ女性の味方として厚く信仰されてきた。"
当寺の解説によるとこのようなお姿だとか。
この日は経典を持ち合わせてなかったので「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」などは控え、ご真言だけお唱えした。
「オンバラダハンドメイウン」
お参りさせていただいた後に西国三十三所観音巡礼のご朱印帳を購入し、記念すべき初めての御朱印を有難くいただきました。
手ぬぐい
園城寺(三井寺)の手ぬぐいは綺麗な青地に観音堂と横に広がる比叡山、琵琶湖が美しく描かれている素敵な意匠です。
今回は仕事の合間に寄らせていただいてので、また、ゆっくりお参りさせていただきたいお寺です。次は経典、お袈裟、お数珠も持ってね。