君たちはどう生きるか。を見て。
君たちはどう生きるかを、先日鑑賞した時の記録です。
作品内容に触れる感想のため、内容を一切知らずに観たいという方はお避けください。また、書き綴った超個人的な断片です。
極力、内容は知らないまままっさらな気持ちで観たい思いでいたが、ほうぼうからちらほらと前評判を聞くことがあり、劇場に行くべきか迷った。
しかし、結果として映画館で宮﨑監督の作品をまた見れるたのは大変嬉しいことで、行ってよかったと思っている。
監督の死生観。
ところどころに散りばめられた民俗学
宮﨑監督の作品は常に、日本の民俗学に基づいた考えが散見される。
分かりやすいのは千と千尋の神隠し。登場するのはやおろよずの神々だ。そんな中に魔女と呼ばれる西洋的存在が置かれている。
今回、私はそうした観点から作品を観て、監督の死生観が詰め込まれているのだろうと思った。
破魔の矢
夏子が眞人を助けるために射た矢。矢先は二又に分かれた 鏑矢であった。これは合戦の合図や、神事の際に用いられる矢である。このことやその後の展開から考えて、主人公の家は、石を御神体として祀る巫女の家系にあたるのかもしれない。
大きな魚
キリコにしか殺生することができない。生者が死者に供え物をするということであろうか。
地蔵菩薩
寝ている主人公を守るように配置されたお婆人形。6体いることから、子守り地蔵なのではないかと思う。
ヨモツヘグイ
よくよく見ると、主人公は生きている人が作ったものしか口にしていない。
賽の河原
終わることのない石積みの刑。
御幣
夏子を石の墓の前で囲む御幣。神社のしめ縄然り、神聖性の象徴である。その場に踏み入り、汚した主人公は掟を破ったと言われる。触りである。 しかし、墓場での出産。生と死の混じった世界。ここで生まれた子供は一体、死して生きる存在になってしまうのではなかろうか。
隕石
日本には、天から落ちてきた石として、隕石を崇め、御神体として祀る神社がある。
絵画の世界
死の島
デ・キリコの
を思い起こさせる風景がある。
ディズニー
ヒミが大伯父のもとに運ばれるシーン、高い図書館の天井から落ちる1輪の薔薇。母の時代から仕える7人の老婆。青鷺に導かれ、異界を彷徨う主人公。主人のいない鍛冶屋の家。
随所に美女と野獣、白雪姫、不思議の国のアリスとディズニーが映画化した童話を感じるシーンがある。
新海誠監督の世界
雀の戸締まりの冒頭、迷い込んだあの世を思い起こさせる風景がある。
もともと、新海監督は宮﨑監督への強い憧れがあるので、どちらが先かもなんともであるが。
過去のジブリ作品
石舞台に弓を持ち立ち、叫ぶ主人公。木の小道から続く異界。可愛らしい洋風の内装の家。老いたペリカンの最期。
過去の作品が思い浮かぶシーンがある。
オマージュという意見もあるかも知れないが、個人的には監督が今までの制作経験からより良い演出、伝えたいメッセージとして用いられているのではないかと思う。
観ながら思ったのは、生きることは食べること。食べることは、殺生すること。だということ。
私たちが生きる、幾人もの人の死の上、積んだ墓石の上で成り立つ、この絶妙なバランス出できた世界は、いつ壊れてもおかしくはないのだ。
そういった、生と死が隣り合わせに入り混じった世の中で、わたしたちはいまを生きている自覚を持つことで、初めてこれからの自分たちの生き方を見つめ直せるのではないだろうか。