ふと思った、所有=安心か?『お金のいらない国』長嶋龍人 著 より
こんにちは。クロコです。
昨日、日常でふと「所有」という概念について考えまして、とても面白い話題かなと思ったので、雑談的な感じで書いていこうかなと思います。その考えの元になった書籍の紹介も最後にしているので、ぜひ読んでみてください!
所有=安心か?
先日、ある授業に参加しました。内容は「アグリツーリズモ」という、農村に泊まって普段できない体験を旅行客に提供しよう!というものでした。この授業、かなり面白くてメモ帳代わりにipadにメモしていたんです。メモしていたことを昨日思い出して、「すごい勉強になったから、印刷して手元に置いておきたいな」と思ったんです。
その時、何か違和感があったんです。
「もうすでにデータとして自分の手元にあるのだからわざわざ印刷する必要はないのではないか?でもなんか印刷しておかないと不安なんだよな」。そう感じました。
元々私には、重要な書類や面白いと思った記事を印刷するという癖がありました。
冷静に考えると、私は「大切にしたいものを実体として手元に置いておく、所有する」ことで安心しようとしているのではないか?と感じました。
物として自分の手元に置いておくことで、自分ものになった気がする!安心する!そう思っているから印刷したくなる、手元に置いておきたくなるのではないでしょうか。
しかしこれは本当なのでしょうか。
データとして保管しておいた方が盗まれたり紛失するリスクは少ないでしょう。かさばらないので置く場所に困るという事もなくなります。
こんな風に、実体を所有することは非合理的なのに、人は本能的に「所有」したがってしまうのはなぜなのでしょうか。
人間関係にも言える「所有」=安心という幻想
これって恋人等の人間関係にも言えることではないでしょうか。
告白や婚約して、「この人は自分のものであり、自分はこの人のものだ」という二人の相互的な所有関係を契約として設けることで安心する。
さらに契約を実体として所有することでさらに落ち着く。
例えば結婚指輪や婚姻届けも契約を実体化したものなのではないでしょうか。
さらにいうと、私たちの苗字もそうなのではないでしょうか。
そう考えてみると、この世界には「所有」という概念が至る所にあると思います。
しかし、「所有」は本当に安心することなのでしょうか。
そもそも私たちに「所有をする」ことはできるのでしょうか。
つき合っているから、婚約しているからと言って他の人と関係を持つ人もいます。
たいていその場合はトラブルの原因となります。裏切られたと思います。「信じていたのに」と長く心に傷を抱えることもあります。
こんなに苦しい気持ちになってしまうのに、「所有」という幻想は本当に私たちを幸せにしているといえるのでしょうか。
『お金のいらない国』長嶋龍人
この疑問は『お金のいらない国』という本から多くのきっかけを得ています。
『お金のいらない国』で書かれているのは、お金の存在しない世界です。
所有という概念についても書かれていて、所有ってほんとに必要なものなのかと考えさせてくれる本です。
Zozo Townの創業者である前澤友作氏もnoteでこの本について触れています。本の前半が丸ごと載っているのでためしに読んでみるのもいいと思います!
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