【バリスタのカワサキさん】 #クリスマス金曜トワイライト
カワサキさんは可愛い。
ショートカットで、少し幼い顔立ちをした彼女は、僕が働いているビルの一階にあるカフェのバリスタさんで、白いシャツに黒いエプロンという制服がよく似合っている。一番似合っている。多分だけど、今年のベスト黒エプロニスト賞に選ばれるだろう。そんな賞があるかどうかはわからないけど、あれば確実に優勝するだろうと専らの噂である。僕の中で。
小柄なのに大型のバイクに乗っているギャップも素敵だ。一度、競合プレゼンの準備に追われてオフィスで夜を明かし、早朝にビルを出た所でちょうどバイクから降りたカワサキさんと目が合った事がある。徹夜明けのボサボサ頭を少し気にしながら軽く会釈をしたら、ニコッと笑い返してくれた。「覚えててくれたんだ」という喜びと、「もっとビシッと決めているときに会いたかったな」という悔しさを8:2で感じながら、全然寝ていないにも関わらず、それを感じさせない軽やかな足取りで帰路に就いたものだ。
カワサキさん、なんて呼んでいるけど、実は本名を知らない。乗っている大型バイクがKAWASAKI製だったから、僕の中で勝手にそう名付けただけだった。名前くらい軽く話しかけて訊けば済む話なのだが、僕にそんな度胸はなかった。どう切り出せばいいか皆目見当がつかないし、白昼堂々と女性の名前を訊くだなんて、そんなハシタナイ真似などできるはずもない。ならせめて、制服の胸部分に付けているであろう名札を見ればいいじゃないか、とも思ったが、前に女友達が
「男って自分ではバレてないと思ってるかもしれないけど、胸に視線いってるのバレバレだからね」
なんて言っていたのを思い出して、すぐにその案は却下した。エッチな人だと思われちゃう。それだけは絶対に嫌だ。いや、まぁ、それなりには、そうなんだけど。必要以上にそうだとは思われたくない。ていうか、バレてるんだ。あれ。気を付けよう。
カワサキさんはいつも早番らしく、夕方にカフェへ立ち寄っても姿を見る事はなかった。彼女の笑顔に触れたくて、声が聴きたくて、特に味の違いもわからないくせに少しだけ値の張る珈琲と、よくわからないパンみたいな物体をよく買った。
「ベーグル、温めますか?」
そう問いかける彼女のおかげで、僕は初めて目の前の物体が、どこかで聞いたことのある“ベーグル”という名前のお菓子だという事を知った。あと、珈琲は必ずブラックで飲んだ。お砂糖とミルクを入れたかったが、その方がかっこいいような気がして。
実際、彼女を目的に店に通っている男は多かったように思える。社内でも「可愛い子が入った」と一時期話題になっていた。そんなライバル達よりも一歩抜きん出ないといけない。そう考えに考え抜いた末の、珈琲ブラック作戦である。戦術としては些か弱いような気もしたが、名前を訊く度胸もない僕にとってはこれが精一杯だった。
しかし結果として、無理して苦い珈琲を飲まなくても、僕は他のライバル達よりも一歩リードを果たす事になる。勝因の一つは地下のスーパーに超美人の女性店長が異動してきて、大半の興味がそちらに移った事。そしてもう一つは、ある日の出来事だった。
*
その日は朝から散々で、出先では先方に頭を下げ、帰社してからは上司に詰められ、昼食に買った弁当には箸を入れ忘れられ、挙句の果てにはその弁当も二割しか食べてないのに手が滑って全部床にぶちまけてしまった。僕は好きなものを最後に残しておくタイプだ。世界で一番不幸な青年である。
「これは何かの呪いか、祟りに違いない……」
そう思った僕は急遽、午後半休を取って、ある場所へと向かった。
会社から少し離れた、国道沿いのビルの谷間に神社がある。通称は田町八幡、正式には御田八幡といい、階段を登ると小高い丘に小さな社があって、木造拝殿の後ろは深い森がある。たまに息抜きに行っていたのだが、先客がいる事は殆どなく、一人の時間を堪能できる場所として重宝していた。
ガラガラの境内へ入り、少しだけ奮発した額の賽銭を投げ、その後におみくじを引いた。普段はこんなのも信じちゃいないが、今だけはすがりたかったのだ。今引いたばかりのおみくじを眺めながら歩いていると、境内にある長椅子に誰かが座っているのに気がついた。国道が見下ろせる眺めのいい位置にある椅子で、たまに人が座っている事もあったが、まったく気づかなかった。「あ、誰かいたんだ」と何事もなく通り過ぎようとして、思わず二度見をしてしまった。
カワサキさんだった。
慌てて、おみくじの内容を読み返す。『大吉』だ。しかも、『恋人・あわてず心をつかめ』とも書いてある。高鳴り始めた心臓の鼓動が僕の背中を押した。
なるべく平静を装いながら、大きく円を描くように回り込んで近づいて行く。そして、ゆっくりと覗き込む仕草をして会釈をした僕に、彼女は少しだけ驚いた顔をしたが、その後すぐにいつもの笑顔を見せてくれた。
少しの間だけ一緒に話をしたが、彼女は夜学でデザイン学校の勉強をしているとの事だった。いつも早番なのはそういう事だったのか、と独り言ちた僕に、彼女は「いつもありがとうございます」と冗談っぽく笑った。僕は「いえいえ」なんて言いながらも、思わず出た一言で何かを悟られたような気がして少し気恥ずかしくなってしまい、結局その後は何を話したかよく覚えていない。ただ、カワサキさんが少し青みがかった澄んだ眼の色で僕を見据えながら、
「あの、ワタシのおみくじに、待ち人は遅れて来たる。って書いてあったんです」
と言った事だけは覚えていた。僕はポケットの中で握りしめていたおみくじを手で確かめながら、「これが運命か……!!」と、この恋愛の成就が早くも約束されたかのような多幸感に包まれていた。神様ありがとう、と心から思った。帰り際に境内を振り返り、「明日から毎日参拝します!」と心の中で宣言したが、次の日に雨が降った所為で出鼻を挫かれ、結局そのままズルズルと一回も参拝していない。大体いつもそんな感じではある。
今考えれば、そのときの約束を反故にした罰が当たったのかもしれない。
その後も、僕たちは何度も顔を合わせた。カワサキさんが働くカフェでは勿論の事、コンサート会場、居酒屋の席、大江戸温泉。あと、三沢サービスエリアでも会った事もある。その頃はちょうどカフェでも姿を見なくなり「もしかして辞めたのかな」と不安になっていた頃だった。偶然会った彼女が言うには、事故を起こしてしばらく入院していたけど来週から復帰するとの事だった。ペロッと小さく舌を出し、首をすくめて顔をくしゃくしゃにする彼女の笑顔に、僕は何度目かのノックダウンを奪われた。
もう死ねる。君の為なら僕は死ねる。君がずっと一緒に生きてくれるなら、僕は死んでも構わない。本気でそう思っていた僕は大馬鹿者だ。
しかし。恋はその先には進まなかった。
僕が友達の女性といたり、逆にカワサキさんが男性と一緒の時もあったからかもしれない。そもそも縁が無かったのかもしれない。あんなに確信していた運命の予感は日に日に萎んでいった。また、その頃は日々の仕事にも忙殺され、気づけば恋の突発事故や、素敵でラッキーなLOVE事件も何も起きないまま、一年が経ち、次の冬がやってきた。
カフェで朝のコーヒーを受け取った際に、
「これオマケです」
と、カワサキさんが透明の袋に入った小さな焼き菓子を渡してくれた。
疲れて死にそうだ、と弱音を吐いていた情けない僕に、彼女は
「きっと効きますよ。特製ですから」
と言い、次のオーダーへと吸い込まれていく。もっとちゃんとお礼を言いたかったけど、忙しそうな彼女を見て「また今度、改めてお礼とお返しの何かを渡そう」と思いながら店を後にした。
──最後のミーティングはなかなか結論が出ずに長引いて、高層ビルが並ぶ外の景色は夕暮れの赤に染まりつつある。虫の知らせだろうか。その日の夕陽は少し色が違うように感じた。
貰った焼き菓子をポケットから出すと、裏側に小さなシールが貼ってある。そのシールは小さな手紙のようになっていて、封をはがすと中にはメッセージが小さな字で丁寧に書かれていた。
「しばらくバイク旅に出ます。つづきは、おみくじを引いてください」
程なくしてミーティングは終わった。もう窓の外は真っ暗だ。さっきまで見えていた富士山は何処にも見えず、遠くに品川駅の灯りがキラキラと揺らめいている。二十三階から眺める景色は何処か非現実的で、僕は逸る気持ちを抑えきれずエレベーターのボタンを連打した。
一階まで降りてきて、急ぎ足でカフェへと向かったが、カワサキさんは居なかった。そりゃそうだ。いつもこの時間には居ない。分かっていた。でも、胸騒ぎが止まらなかった。彼女の笑顔を思い浮かべる。何故、「また今度」が当たり前にあると思ったのだ。何故、また何処かでばったり会えるに違いないと思ったのだ。どこか遠くの道路で大型バイクのエンジン音が尾を引くように響いて消える。
思わず走り出した。夜の道を駆け、辿り着いた先は田町八幡だった。境内の寂しい灯りを頼りに進む。一応、長椅子を見たが誰も座っていなかった。くしゃくしゃになった手紙を広げて読み返す。
「しばらくバイク旅に出ます。つづきは、おみくじを引いてください」
僕は運動不足にもかかわらず久々に走った所為で荒くなった呼吸を整えながら、おみくじを引いた。
『大吉』だった。
どこが大吉だ。おい。
カワサキさん居なくなってるじゃないか。一つも大吉じゃないだろう。どうしてくれるんだ。ここのおみくじは嘘ばっかりだ。金返せ。
今日だけは『大凶』を引きたかった。それどころか幻の『超暗黒大魔凶』を引き当てたかった。もはや内容なんて読む気にもならない。
やり場のない気持ちを抑えながら、おみくじを結く場所に向かうと、おみくじが大渋滞している。
「『大吉』を引いたのに、どこまでもツイてないな……」
と、すき間を作ろうと絵馬を端っこに寄せようとしたら、バイクの絵が描いてある一枚が目に入り、僕は引き寄せられるかのようにそれに近づいた。
『理由があってバイク旅をしてきます。もし私のことを覚えていてくれたら、来年の大晦日にココで会いたいです。そして除夜の鐘を一緒に鳴らしましょう』
彼女の字だ。カワサキさんの。あの小さな手紙に書かれていた丁寧な字が。その続きがそこに書かれていた。
彼女の温度がまだ残っているか確かめたくて、手に取って何度も読み返した。信心深い方でもないし、困ったとき以外は神様なんて信じていない。それでも、簡単に繋がらない僕たちが何処かで繋がっているように感じられるのは、おみくじのおかげなのだろうか。
「ベーグル、温めますか?」
彼女の声が聞こえた気がした。勿論、実際に鼓膜を震わせた音じゃない。僕の記憶から、思い出から聞こえた声だ。
「温めます」
僕は空を見上げて呟いた。
「どんなに遠く離れていても」
都会で見えるはずなんてないのに、すーっと星が流れたように感じた。
ちくしょう。涙が流れてきた。本当は仕事なんて辞めて、何処へだってついて行くのに。なんで一言もなく行っちゃうのさ。ちょっとは、多分だけど、ほんのちょっとは好意を寄せてくれていたでしょう。それすら僕の勘違いか?というか、敢えてずっとサラッと流したようなふりで平然としていたけど、一緒に歩いていた男はなんなのさ。ご兄弟か何かかしら。どことなく顔も似て……はいなかったけども。似てないご兄弟もいらっしゃるものね。もしくは、ボディーガードとかかな。金で雇った。特別な感情も何もなく、報酬と依頼によって繋がる関係。そういうドライな関係というか。どっちかだね。そのどちらかという事にしよう。
ああ、もう。駄目だ。僕はこんなだ。信じようと思った矢先からこれだ。ふとしたきっかけで、気持ちが折れてしまうかもしれない。僕はポケットからボールペンを出して絵馬に書き足した。
『信じるチカラをください』
帰り道、僕はすれ違うカップル全員に軽めの呪いをかけながら、ふと空を見上げた。やっぱり星は見えない。目を細めてよく見るが、なんとなく瞬きが見えたような見えないような、といったところだ。
カワサキさんは今頃、何処にいるのだろうか。明日は、来月は何処にいるのだろうか。何をして、何を想っているのだろうか。
僕の事を、少しでも想ってくれているのだろうか。
彼女もまた、こうして星を眺めるのだろうか。僕と同じ空を。同じ星を。離れていても一緒に眺めていられるだろうか。
いつもよりも一段と寒い冬の夜風が吹いた。
僕は肩をすくめて、一回だけ鼻を啜った。
(了)
夢で逢えたら / 銀杏BOYZ
*
【追記】
こちらの作品をリライトさせて頂きました。
「うるせーよ、本編だけでもそこそこ長いんだから黙ってこのまま終われよ馬鹿」
なんて思う方もいらっしゃるかもしれませんが、一応この追記も本編の後に必ず書くようにとのお達しが出ておりますし、まずそれよりも何よりも口のきき方に気を付けてほしいです。さすがに僕も傷つきます。
どうも、峯田和伸です。あ、間違えた。逆佐亭 裕らくです。今日は名前だけでも覚えて帰ってください。
『何故その作品をリライトに選んだのか』
という事ですが。
シンプルに、一番ふざけられそうだったからです。
小ボケを挟める余地がたくさんあったので。
あと所々、自分の文体に近しい箇所があったというのも理由の一つです。
(恐れ多い事を言っているのは重々承知です、すみません)
というか、池松さんもなんとなく「裕らくの奴、これで書くだろうな」っていう、なんかそういうのありませんでした?思い違いかしら。思い違いだったら超恥ずかしいやつですね。これ。言わなきゃよかった。
前回のリライト企画でもたくさんの方が参加されていて、そのどれもが書き手さんの個性に溢れるものでした。原作があるからこそ、よりオリジナリティが試されるという、ある意味ではもっとも難しい企画だと思っています。
それを踏まえた上で、僕はどう書くべきかというのを考えたときに、原作の軸を基に、『青臭さ』と『馬鹿らしさ』をふんだんに盛り込んでいくべきだと思いました。
これが自認しているオリジナリティというのも非常に泣けてくるのですが。
前回もそうしたかったんですけどね。無理でした。力量不足を実感しました。今回は、まぁ、前回よりは上手くいったかな。と。思っております。
次に、
『どこにフォーカスしてリライトしたのか』
という事で。
他の作品に比べて随所で「くすっ」とさせてくれる部分があったので、それを損なわず、むしろストーリーを邪魔しない程度に誇張しまくってお送りしよう、ってのが一つ。
あと、恋愛小説なんですけど、結局二人は結ばれないままですし、まずカワサキさんが主人公を好きだったのかどうかもわからんワケじゃないですか。そこの限りなく淡いんだけど、でもその淡さは確信にも近い淡さであるという部分は大切にしました。リアルですよね。現実だってそうですもんね。「こいつ絶対に俺のこと好きじゃん」って、思ってた女子が普通に何処の馬の骨かもわからん彼氏を作りますもんね。まぁ、それはただ単に僕の勘違いだったんでしょうけども。自意識過剰が過ぎただけでしょう。
テンポの重視と、思ったよりも嵩んだ文字数の所為で泣く泣く削った部分も多々ありましたが、楽しんで書けました。ありがとうございました。
なんか今回はコンテスト形式で、尚且つオフラインイベントにて結果発表をするとうかがっております。
毎度毎度、作品応募に参加するばかりで、なかなかそういったイベントには参加できていないのが非常に心苦しいところではありますが。
当日参加される皆様は是非とも楽しんでください。
あー、でも、中野かぁ……。そこ行きゃ会えんのかぁ……。
うーん、そっかぁ……。
あ。そうだ。文中に出てくる
“恋の突発事故や、素敵でラッキーなLOVE事件”
って一体なんなんでしょうかね。意味が分かりませんが。なんだLOVE事件って。これは原作を読んだときから引っ掛かっている部分です。どういう事なんでしょうか。そう思って原作をじっくり読み返したら、驚くべきことに原作にはそんな事は一つも書かれていませんでした。
という事は僕が?そんな馬鹿な。正直に申し上げまして、書いた覚えがありません。一体何処から出てきたのでしょうか。永遠の謎です。このLOVE事件は迷宮入りです。そんな感じで。
御後が宜しい様で。