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1.新宿イオナズン

幸せというものはすぐ近くにある。それも思っているよりもずっと近くに。だから我々は見失ってしまう。近すぎてよく見えないのだ。
小学一年生の娘が「パパ、絵を描いたから見て」と紙を持ってきたはいいが、よく見て欲しい気持ちが溢れすぎて、僕の眼球まで数ミリといった距離に近づけてくるアレだ。近すぎて全然見えないし、眼球に何かしらが急接近してくるあの恐怖は筆舌にしがたい。かわいいけど本当にやめてほしい。
なんだか冒頭から例えを間違えたような気がする。
違う違う。そういう物理的な距離が近いって話ではない。そうじゃなくて、例えば風邪なんかをひいたときに、普段なんとも思わずに過ごしていた健康な日常というものがいかに幸せだったかに気づくアレだ。
その度に「嗚呼、僕は幸せな日々を送っていたのだな」とようやく気づくのだ。そして元に戻って日々を過ごしていくうちに、また僕たちはそれをあっさり忘れていく。

これから記すのは、
幸せな日々と、喪失の痛みと、過ぎ去った青春の残像である。



事態は深刻だった。
千葉駅から総武線に乗り、馬喰町駅から都営新宿線へ乗り継いで新宿駅へと向かう電車の中。僕は、呑気な表情で電車に揺られている他の乗客に苛立ちを覚えていた。「人の気持ちも知らないで……」と逆恨みに近いその感情はとどまることを知らない。そして、それよりも更に深刻で、今にも飛び出しそうな、はち切れそうな苦しみを抑えてじっと堪え忍んでいた。

人はそれを“便意”と呼んだ。

先程まで会っていた彼女(のちに嫁となる)からメールが受信される。「お腹大丈夫?」と心配する顔文字と共に文面が記されている。大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。原因はわかっている。夕食として食べた激辛担々麺だ。あんなに辛くて美味しかったのに。あんなに幸せなひとときだったのに。こんなのってない。あまりに酷い話だ。騙されたと言っても過言ではない。返信する気力をそちらに回すと今すぐにでも悪魔が召喚されてしまう。そうすると車内は混迷を極めるだろう。どうしてこうなった。この世に生を受けたのが間違いだったのだろうか。いや、激辛担々麺を食べたのが間違いだ。
途中下車をするか悩んだが、京王線への乗り継ぎの関係でこれを逃すと家に帰れなくなってしまう。明日も仕事がある以上それは避けたかった。僕に今できるのは新宿に到着するまで精々思考を便意からそらすことしかできない。
そうだ、世界平和だ。世界平和を考えよう。世界が平和になると超いいよね。やっぱ平和が一番だよね。あれ?平和?屁ぇわ?あっ、いかんいかん。一瞬の気の緩みが社会的な死に繋がる。そっち方面を連想してはダメだ。やり直しだ。世界平和とかどうでもいい。そんなもんは後回しだ。
電車だ。電車の揺れと呼吸を合わせるのだ。今ひとつになるのだ。頼むから今だけは人身事故やドアの故障や急病人うんぬんはやめてくれ。通常の時間通りでいいから運行を続け……運行?あっ。今、一瞬、ちょっと、いや、なんでもない。ホント。全部終わったら、あの、確かめるから……。

そうこうしていると電車がようやく新宿に到着した。端から見ても、息も絶え絶えといった様子でなんとか電車から降り、歩幅を小さく小さくしながらも、出来る限りの最高速度でトイレへと向かう。もはや限界はとっくに過ぎている。
やっとのことで辿り着いた男子トイレはそれなりに人がいたが、一番奥の個室が空いていた。しめた。僕は秒速5センチメートルで、桜の花びらが舞い降りる速度で個室へと飛び込んだ。

内側から鍵を閉め迅速に、しかしこれ以上ないほど慎重にズボンとパンツを同時に下ろす。ここが肝心だ。素人はここで失敗する。ここが一番の落とし穴だ。最後の瞬間まで気は抜けない。ここで活躍しないで何が肛門括約筋だ。しくじると逆佐亭門外の変が勃発してしまう。大丈夫、もう少しだ。最後まで信じるんだ。僕は乗りきった。数々の困難を乗り越えた勇者だ。きっとこの瞬間の為に生まれてきたのだ。僕はゆっくりと便座へ腰を落とし気を緩めた。

新宿駅構内の男子トイレに爆発音が木霊した。

大袈裟でもなんでもなく「バンッ!!」という音が響いた。
自分で発したくせに
「あれ?銃声?」
と思わず勘違いしてしまう程に明確な「バンッ!!」だった。言うならば宇宙誕生。ビッグバン。無から有を創造する。すべてのはじまりである。ここからはじまるのだ。
元々静かなトイレの空気が一瞬だけ止まり、そしてその直後、ドアの外で「ふふっ」と誰かが笑った。その笑い声が伝染したのか男子トイレ内に少し笑い声が起きる。殺伐としていた空気が僕という勇者の功績によって明るく柔らかいものに変わっていく。
ああ、そうか。世界平和はここに在った。ここに在ったのだ。
心の底からそう思いながら──


勇者は、ひどく赤面した。



お金は好きです。