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僕らのキセキ 【#教養のエチュード賞 応募作品】
「俺も昔は結構やんちゃしてたんだよ」
居酒屋とかで酔っ払ったおじさんが言ってるのをよく聞く。
やれ「喧嘩に明け暮れていた」だの、
やれ「暴走族に属していた」だの。
こういう事を言う人は大概、本当に不良だった過去はないし、
仮に本当に不良だったとしてもC級ヤンキーだったりするのが世の常だ。
それを十分に踏まえた上で言わせてほしい。
僕は昔、暴走族に属していた。
*
僕の地元は山口県の田舎にある小さな町だ。
小学校のときの同級生は全員同じ中学校にそのまま進学する。
中学に上がっても小学生の時の友人とはそのままの流れでよくつるんでいたのだが、この友人達が面白いくらいに、ことごとくグレてしまった。
日に日に髪の毛の色が明るくなっていき、煙草をこれ見よがしに吸うようになり、制服を改造したりするようになった。
徐々に彼らの良くない噂は広まり、ただそこに居るだけで大人達が眉を顰めるようになっていたが、僕と接するときは小学生の時と何ら変わらなかったので、今まで通り普通に仲良くしていた。
今思えば相当異様だったと思う。
ヤンキー軍団の中に明らかに場違いな僕が混じって一緒に遊んでいるのだ。
完全に違和感しかない。(捕虜か何かだと思われていたかもしれない)
当時、父はそれに関して何も口出しはしてこなかったが、母は何度か
「付き合う相手を考えなさい」
と遠回しに言ってきたことがあった。
親になった今、当時の母の気持ちは痛いほど理解できる。
しかし僕は僕で多感な時期だったし、そう言われれば言われるほど、意地になって彼らと遊んでいたように思う。
ある日の事だ。
いつも通り友人宅に集まり、何をするでもなくだべっていたら突然、
「そうだ、みんなで暴走族はじめようぜ」
と一人が言い出した。
まるで缶蹴りでも始めるくらいのノリの軽さで言うものだから、僕は全然本気にしていなかったのだが、
思いの外賛同する声が多く、十分後には既にチーム名を考える段階まで来ていた。
驚嘆すべき決断力と行動力である。こんなときばっかり。
とは言っても僕は非ヤンキー。
完全に他人ごとで漫画を読みながら、なんとなく横で話を聞いていたら
「おい、同じメンバーなんだからお前も考えろよ」
と言われ、そこで初めて僕も頭数に入っている事を知った。
「えっ、俺も?」
「当たり前じゃん」
「いやいや、バイクは?誰も持ってないし、乗れないでしょ?」
「まぁ、そこは気合っしょ」
「気合って……。俺、喧嘩とかもしたことないんだけど」
「そこも、まぁ、気合っしょ!」
いや、会話になってない。
なんだ気合って。
そもそも暴走族と謳っておきながらバイクも乗れないのに、何で何処を暴走すんのよ?
戸惑いを隠せない僕をよそに話はどんどん進んでいく。
知り合いにそういう類の旗を作ってくれる人がいるらしいので頼むということ。
基本的に喧嘩上等の武闘派集団でいくということ。
いつの間にかチーム名が“鬼世希”(きせき)に決定したこと。
最後の最後まで参加を渋っていた僕だったが、友人達に
「空手やってる奴が居るとハクが付くから」
と散々食い下がられ、あわよくば諦めてくれる事を願って幾つか条件を付けた。
「名前は貸すけど、ヤンキーじゃない僕は喧嘩とかには関わらない」
「どうしても僕の手が必要なときは仕方が無いから行くけど、空手と喧嘩は別物だから力になれるとは言い切れない」
「やむを得ず僕も喧嘩に参加する場合、そのことがバレたら空手の塾長に死ぬ程怒られるから絶対に内緒にしてくれ」
「学業を優先し、合間で暴走行為に勤しませてもらう」(どんな暴走族だ)
こんな無茶な条件にも友人達は「全然いいよ」と快諾するので、いよいよ断りきれず、とうとう僕は暴走族“鬼世希”の構成員になってしまった。
「ああ、ついに僕もドロップアウトしてしまった……」
と肩を落として帰路に着いたものだ。
その晩。
僕は父、母、弟と四人で食卓を囲みながら
「なんか俺、暴走族に入っちゃった」
と、告白しようか迷いに迷った。
普段から学校であった事は全部話していたし、僕自身こんな事になってしまって少なからず動揺はしていた。
しかし、そんな事をしたら生真面目な母はきっと泣く。
弟は今後、軽蔑の眼差しで僕を見るだろうし、父も流石に今回ばかりは怒るだろう。
いや、それどころか、下手したら祖母にまで話が行って「悪い動物霊に憑かれたに違いない」と、近所のお寺に連れて行かれるかもしれない。
いろいろ考えた結果。
僕が鬼世希の一員だという事は親、兄弟には黙っておくことにした。
それからというもの、友人達はいつも乗ってる籠のないママチャリを「単車」と呼ぶようになり、
いつのように集まって遊ぶことを「集会」と呼ぶようになり、
挙句の果てにはパトカーを見つけると何も悪い事をしていないのに
「マッポだ!逃げろ!」
と各々が散り散りに逃げるようになった。
実のところ、その辺りから僕もちょっと楽しくはなってきていたのだが、
「旗が出来たから今日の放課後、集会な」
と友人から通達があり、意気揚々と集まって出来上がったチームの旗を見たら、刺繍された僕の名前の横に
「素手喧嘩 一本」(すてごろ いっぽん)
とキャッチフレーズ的な一文が添えられているのを見て、僕は膝から崩れ落ちた。
*
その後、僕は音楽と出会い、自然と彼らとはつるまなくなったが、それでも顔を合わせれば普通に話はしていたし、関係も良好なままだった。
あれから二十年の月日が流れた。
僕らは立派に大人になった。
当時の友人達は皆、結婚して子供も生まれ、それぞれの幸せを手に入れたようだ。
どうか、その幸せを大切に抱きしめて、これから先も真っ当に生きていってほしいと切に願う。
いや、友人達の幸せがどうとかも勿論あるが、それ以上に。
下手に反社会的な事をして警察沙汰になり、自宅や実家に家宅捜索が入り、そこで当時の旗が見つかった所為で、そこに刺繍された構成員各位が捜査線上に浮かび上がり、最終的に僕にまで捜査の手が伸びたらたまったもんじゃない。
日本の警察は優秀である。
もしそんなことになったら、先日僕が海外のアダルトサイトで
「Japanese school girl」
と検索したことが白日の下に晒されるだろう。
最悪の場合、エロ罪で僕は逮捕されてしまうかもしれない。(そんな罪はない)
それもあってか、今でも僕はパトカーを見かけるとつい親指を隠し、視界から消えるまで息を止めてしまう。勿論、何の効果も意味もないんだけど。霊柩車じゃないんだから。
僕が背負ってしまった十字架は思っていた以上に重いのだ。
とてもじゃないが、冒頭のおじさん達のように
「昔はやんちゃしてた」
なんて軽々しく言えない。
そんな重たい過去を引き摺りながら、僕は今日も必死で生きている。
最後に、件の旗に刺繍されていた印象的なフレーズを紹介してこの話を締めさせて頂きたい。
“鬼世希なり 咲かせて魅せます この命”
初代 鬼世希 構成員
素手喧嘩一本 逆佐亭 裕らく
ナメんなこらぁ!
お後が夜露死威ようで。
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