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7.府中ウィズプレジャー

日本人が生涯で最も口にする言葉が
「すみません」
だと、どこかで聞いた気がする。確かに。お国柄と言うかなんと言うか。そういえば僕も毎日言っている。なんならその辺の人よりも多めに言ってる。「なるほどなぁ」なんて思ったりもするが、僕の生涯において最も口にした言葉はなんだろうと考えたときに、かなり上位に食い込んでくる言葉がある。

「はい喜んで」

である。



上京してすぐにアルバイトを始めた。バンドマンというものは、ただ活動を維持するだけでお金がかかる生き物である。売れないバンドマンは尚更そうだ。故に僕はシャカリキになって働く必要があった。今はもう駅前のビル開発の影響もあって影も形もないが、当時は京王線府中駅の南口を出てすぐのところにやるき茶屋という居酒屋があり、僕はそこで週に五回とか六回のフルタイムという社員並みのシフトで働いていた。しかも厨房もホールもこなすスーパープレイヤーだ。まさに二刀流である。大谷翔平は僕の後輩と言っても過言ではないだろう。
そんなこんなで、オープニングスタッフとして働き始めてから調理師免許を取得し、イタリアンの世界に飛び込むまでの約八年間ほど、ほぼ毎日朝から晩まで、晩から朝まで「はい喜んで」と言う日々が続いた。
テーブルに呼ばれれば「はい喜んで」。
オーダーが入れば「はい喜んで」。
ドリンクや料理の提供を頼まれれば「はい喜んで」。
お客様から「本当に喜んでんの?」とニヤニヤしながら聞かれれば「はい喜んで」。
最後のこれは会話になってないような気もするけど(くだらない質問にイチイチまともに答えるのがめんどくさかった)、とにかく年中喜びまくった。人生で一番喜んでいた時期だろう。
これだけ毎日のように「はい喜んで」を連呼しているともはや口癖のようになってしまい、プライベートでも僕は「はい喜んで」をフル活用していた程だった。

駅前ということもあり、いろんなお客様がご来店するのだが、深夜になってくると多くなるのが水商売をやっている方たちだ。
厳密に言えば違うかもしれないけども同じ接客業を生業としている方たちなので、基本的には嫌な感じで接してきたり高圧的だったりということはなかったが、一度だけとんでもない目にあったことがある。

深夜二時を回った辺りだったか、二人組の女性がやって来た。これがもう絵に描いたような酔っ払いで、入店された時点でスタッフ内では
「これは何かが起きそうだぞ……」
と若干ピリッとした空気が漂う。
この居酒屋は一階と二階に客席があり、一階はすべてテーブル席で二階はすべて座敷となっていたのだが、人件費の関係なのかある程度の時間になると二階は早々に閉め、余程のことがない限りは一階の客席のみで対応するという流れがあった。
しかし、その二人組は「二階の座敷に行きたい」と言う。いちアルバイトである自分の判断ではどうにもできないと踏んだ僕は店長の指示を仰いだが、答えは案の定「申し訳ないけどお断りして」とのことだった。
その旨を伝え一旦は納得してくださったのだが、しばらくするとまた「どうしてもダメ?」と僕以外のスタッフに代わる代わる聞いているようで、とうとう捌ききれなくなった一人のアルバイトスタッフである女の子が「私が一人で対応しますから」と店長に許可を貰い、二階に案内することになった。
慌てて一度閉めた座敷の準備を済ませ、階段の方へぐでんぐでんの二人組を案内するその子に僕は
「一階は落ち着いてるから、もしやばくなったら呼んで」
と、すれ違いざまにコソッと耳打ちをしたのだが、これが良くなかったらしい。

「ゴラァァア!!」

突然聞こえた怒号にキョトンとしてしまう僕。
二人組のうちの一人がフラフラの状態で僕の目の前に詰め寄ってきて、僕の顔から数センチの距離で
「てめぇ!!馬鹿にしてんのかぁ!!」
と大声で喚き散らす。すぐに飛んでくる店長。
「いえ、違うんですよ。そうじゃなくて……」
「ゴラァァア!!あぁん!?ゴラァァア!!」
「いやいや、ですから僕は……」
「あぁ!?ゴラァァア!!」
埒が明かない。ほとんど「ゴラァァア!!」としか言わなくなったゴラの人はそれでも僕に怒りをぶつけ続けた。相手はフラフラなので痛くはないが、足を何度も蹴られる。助けを求めてもう一人の方を見ると何故か泣きながら事態を静観している。案内しようとしていたアルバイトの女子も突然の出来事に気が動転して泣き始めてしまった。
そのうちゴラの人は

「あたしだってツラいんだよぉぉおお!!」

と絶叫してその場に泣き崩れた。ゴラの人じゃない方が咄嗟に駆け寄り、崩れ落ちたゴラの人の背中をさすりながら僕を見上げ 

「こんなのってないよぉぉぉおお!!」

と同じく泣き叫ぶ。アルバイトの女子も泣いている。店長はそんなお客様を宥め、他のお客様は興味津々でこちらを眺め、僕はただポカーンとして佇んでいるという状況が生まれてしまった。まさに混沌である。
収拾がつかなくなり、店長から
「あとは僕がなんとかするから、ちょっと悪いんだけど裏に行ってて」
と促された僕は

「はい喜んで」

と言い、光の速さでその場を去った。
約八年間ほど働いてた中で、おそらくもっとも心の底から出てきた真の「はい喜んで」だった。


他にもいろんなことがあって、どれもが思い出として残っているが、あんなに至近距離で怒鳴られたのは後にも先にも一度きりである。
それまで生きてきた中で、自らの何気ない行動が誰かを傷つけるのだと知った出来事でもあった。
これを読んでくださった皆様も気をつけてほしい。じゃないとゼロ距離で「ゴラァァア!!」って言われちゃうからね。こわいね。嫌ね。



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逆佐亭 裕らく
お金は好きです。