見出し画像

10.八王子エンドロール


「お客さんが呼んでる。行こう」

重い空気の中でヨネケンが口を開いた。
ライブハウス“八王子RIPS”のステージ裏にある非常階で蹲っている僕はそれを聞き流す。
「先に行ってるよ」
ヨネケンはそう言い残し、どこかバツの悪そうなマサの腕を引いてステージへと続く扉の奥に消えていった。扉を開けた瞬間、うっすらと聞こえていた一定の間隔で鳴る手拍子が聞こえる。アンコールの催促だ。
それまで黙って隣りに座っていたタカヤマも
「みんな待ってるよ。俺も行くから、ユウタも早く来てね」
と言い、ステージへと戻った。
一人残された僕は、自分の不甲斐なさに打ちひしがれながらも涙を拭いて立ち上がった。
自分で決めたくせに。これ以上ここで蹲ってもいられない。行かないと。


ドラムを担当していたマサから
「今決まってるライブスケジュールを最後に脱退したい」
と言われたのは年が明けてすぐのことだった。
「何を突然」とは思わなかった。なんとなくではあるが予兆は感じていたし、心のどこかでそうするべきだとも思っていたからだ。ヨネケンもタカヤマも同じことを感じていたようで特に引き留めるでもなく話し合いは拍子抜けするほどあっさり終わった。
一人だけ帰る方向が違うマサを送り届けた僕たち三人は駅前の雑踏の中でどんよりと立ち尽くす。

「年明けからアクシデントはあったけど、まぁ新しいメンバーはまた探せばいいし。なんとかなるよ」
敢えて明るい声色で場を仕切り直そうとするヨネケンに僕は
「いや。もう終わらせよう」
と言ってしまった。ずっと心のどこかに抱えていた想いだった。
ヨネケンは冗談だと思ったらしく最初は笑っていたけど、それが本気の発言だと悟って珍しく語気を荒げた。「どれだけのことを犠牲にしてきたと思ってるんだ」と。
タカヤマは黙ってそれを聞いていた。
どれだけの犠牲を払ったか。その言葉は僕の胸に突き刺さって痛かったけど、それでももう僕は心が完全に折れてしまっていた。

このバンドを始めて、メンバーがいなくなるのは二度目だ。
初代ドラム担当のタツヒロは「俺は楽しめればいい。だからプロは目指さない」というのが口癖で、それを言うたびに僕やヨネケンとぶつかった。あいつは辞めるときも
「これから先、このバンドで本気で売れたいと思うなら俺は一緒には続けられない。今後の方針を今ここでハッキリと決めてくれ」
と僕に決断を迫り、僕は自分の夢の為に決断をした。
「わかった」と一言だけ残して下北沢のリハーサルスタジオから出ていったタツヒロとはそれ以来連絡は取らなかった。というよりは、取れなかった。自分から誘ったくせに自分から袂を分かつ決断を下しておいて
「やぁ、元気?」
なんてどの口が言えるのか。
タツヒロだけじゃない。夢の為にたくさんの人が差し伸べてくれた手を振り払って、裏切って僕はここまでやってきた。本気でやればやるほどに自分に足りないものが浮き彫りになっていく。気に入ってくれるライブハウスの人も中には居たが、良いイベントに呼んでもらえば呼んでもらう程、僕なんかよりもずっと頭の良い戦略を立てている人や、本物の天才を舞台袖から目の当たりにしてきた。そのたびに躓いて、転んで、蹲って、なんとか心を奮い立たせて起き上がってきた。でも、とうとうそれも限界を迎えた。僕は自分で思っているよりもずっと弱い人間だった。いつだったか夜道を一人で長いこと歩いたときからうっすらとは気づいていたけど、ずっと目を逸らしてきていたその事実が無視できないレベルまで膨れ上がってしまった。心が折れてしまった原因は其処に尽きる。

メンバーとはそれから何度か話し合い、その都度ヨネケンは僕に何度も「考え直せ」と言ってくれた。でも僕の意志は固かったし、最終的に
「俺らがついていこうって決めたユウタが決めたことだから」
とタカヤマが呟いた一言でヨネケンも渋々納得したようだった。
区切りをつける為に解散ライブの日程を決め、ドラムのマサに「最後にもう一回だけ叩いてくれ」と交渉し、会場を押さえ、懇意にしてくれていたバンドに出演依頼をかけ、告知を打ち、そして当日を迎えた。

別れを惜しんでくれつつも最高のパフォーマンスを見せてくれた仲間たちのステージを見届けた後、最後のステージに立った僕は客席をじっくりと眺めた。みんなが真剣な面持ちでこちらを見ている。ここまでたくさんの人が僕たちを支えてきてくれていたのか、なんて思うと胸がいっぱいになった。
「何か言わなきゃ」とマイクへ一歩進んだ瞬間。
最前列よりも少し後ろの客席に初代ドラム担当のタツヒロの姿を見つけた。
どこかで今日のことを聞きつけ一人で来たのだろう。腕を組み、まっすぐとステージの上を見つめている姿を見て、僕は言葉が出なくなってしまった。
準備が出来たと捉えられたのだろう。ライブハウスのスタッフさんが照明を落とし、マサが一曲目のカウントを始める。頭と胸がいっぱいではち切れそうなまま、僕はギターの弦を弾いて一音目を鳴らした。



少し赤い目でステージに戻った僕は、再び客席を見渡す。
最初の頃から応援してくれている人、最近になって通ってくれるようになった人、共演したバンドのお客さん、友達、バンド仲間、お世話になったライブハウスのスタッフさん。たくさんの人が今日、僕たちの為に集まってくれた。タツヒロを探すと、さっきよりも少し前に移動し涙を流してステージを見つめていた。後で客席に行き声を掛けよう。自分のことを棚に上げて「何泣いてんだよ、だっせぇな」って言ってやろう。

開演前に言えなかった想いをすべてマイクを通して伝え、最後にメンバーを振り返る。こいつらにも本当に感謝をしている。そして、やっぱりどこかで申し訳ない気持ちもあった。
「ほら最後だよ。いつも俺ばっかり喋っちゃったから、なんか言いたかったら今しかないよ」
三人とも少し寂しそうに笑ったけど何も言わずに客席を眺めていた。
ヨネケンが僕の方に向き直って
「やろう」
と声を掛ける。その一言で、メンバーが全員演奏をする態勢を整える。アンコール用に残しておいた曲は一曲だけ。「僕たちはいつの間にか大人になってしまった」なんてことを歌った曲が一曲だけ。
正真正銘、これが最後の曲だ。

明日からどうしよう。ぜんぶ失って。ぽっきり折れて。希望とか夢とか。そういうのが無くなっても生きていけるのだろうか。生きていっていいのだろうか。この照明が落ちたら。この音響が切れたら。このステージを降りたら。このギターを置いたら。僕はどうしていこうか。
何も見えないまま歩いていこうか。予想もつかないまま進んでいこうか。それしかないか。残りの人生は消化試合みたいなものになるんだろうか。また何か見つけられるだろうか。今こうして歌っているように、僕らはいつの間にか大人になっていく。そして、いつの間にか人生を終えるのだろうか。
幸せな日々も、喪失の痛みも、過ぎ去った青春の残像も。
いつかは笑って話せる日が来るだろうか。
──まぁいいか。そんなこと。考えたって仕方が無い。今日はもう疲れた。


もうすぐ、最後の曲が終わる。




お金は好きです。