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ハチの巣みたいだ東京

地元の田舎町を離れ、上京して早十七年。
思えば、もう少しで人生の半分を標準語で過ごしていることになる。
そう考えると不思議だ。
あんなに「じゃけぇ、じゃけぇ」と毎日、気でも触れたかのように言っていた僕も、今や標準語を巧みに操る完全なるシティー派である。シティーハンターである。チープなスリルに身をまかせても明日におびえていたのである。
そんなワイルドな僕ではあるが、この標準語というものに慣れるまでには、そこそこの時間を要した。東京で暮らし始めてすぐの頃は、まるで自分がドラマか何かの世界に紛れ込んでしまったような居心地の悪さを感じたものだ。自分以外の人間が全て、何かの物語の登場人物のように、流暢な標準語で話しているのに違和感しかなかった。大人も子供もお爺ちゃんもお婆ちゃんも、みーんな標準語。当たり前なんだけど。でもそれがすごく変な感じだった。これは地方出身者にしかわからない感覚だと思う。
僕を戸惑わせたのは言葉の違いだけではない。事ある毎に「東京、恐るべし……ッ!!」と狼狽えた。主に白目で。

ふと思う。
あの頃の僕に、「東京」という街で上手に生きていく為の細かいノウハウを教えてくれる人が居たら、どうなっていただろう、と。
きっと、もっと早くシティー派になれたのではないだろうか。なれたに違いない。
昔から僕の母親はこう言っていた。

「キャベツは芯の方が美味しいじゃない」
と。

……間違えた。
回想ミスった。思い出したかったのはこれじゃない。

「自分がされて嬉しいことを他人にしてあげなさい」

これこれ。思い出したかったのはこっち。
同じ意味であったとしても「されて嫌な事をするな」という方で言わなかったところに、母の人柄と大きな愛を感じる。

よし。
今、何月だ?十二月か。……えっ、もう十二月なの?早いな、随分と。まぁいいか。十二月という事で。あと四ヶ月もすれば、全国津々浦々から所謂「おのぼりさん」と呼ばれる人たちが東京にたくさんやってくる。後にシティー派となる、前途ある愛すべきイナカモンが大量に押し寄せてくる。新生活に不安と希望を抱えてやってくる。
約二十年前の、あの頃の僕のように。
そんな貴方たちの為に、貴方たちと同等か、もしくは貴方たち以上のイナカモンだった僕が、約二十年かけて勝ち得た東京という街でのサバイバル術を教えてしんぜよう。
しんぜよう、って初めて言ったぜ。仙人みたいで渋いぜ。かっこいいぜ。日常生活でもじゃんじゃん使っていこうっと。



まず第一に、東京は人がむちゃくちゃ多い。
僕は初めて渋谷のスクランブル交差点を見たとき、一緒に居た友人に

「今日、祭り?」

と尋ねたくらいだ。
勿論、祭りではない。祭りでもないのに人が溢れかえっているのだ。今までの常識が吹き飛ぶような感覚に襲われるだろう。平日であったとしても貴方の地元の夏祭りよりも多くの人々が闊歩する。
そんな狂った街なのさ。東京ってやつぁ。
しかし、それに気圧されてボサッとしている暇などない。恐るべき事に東京の人間は、貴方の地元民の三倍のスピードで動く。まさに驚異である。
しかもそんな神速とも言えるほどの人間たちが右から流れてきて、左から流れてきて、真正面から向かってきて、もう何が何やらだ。
そのとき貴方は絶望と共に感心するだろう。東京人の人混みの避け方と、歩き方の上手さに。あんなに人が入り乱れているのにも関わらず、全員が誰ともぶつからずにサッサと歩いて目的地に向かう様に。
でも、大丈夫。心配しないで。コツさえ掴めば貴方にもそれができるようになる。これば僕が東京生活を送る上で、独自に編み出したガチで使えるテクニックなので、以下の説明をよく聞いてほしい。

車の運転と少し似ているのだが、目の前ではなく、到達したい数メートル先をまず目指すことが大切だ。
そして、歩きながら自分の半径数メートルの人の流れを意識しつつ、その到達予想地点と自分を直線で繋ぐイメージをする。そうすると自ずと正面から歩いてくる人を避ける為のルートと、左右から歩いてくる人と良い感じにクロスする為のスピードがわかる。あとは細かい微調整をしながら、イメージした直線に沿って歩くだけ。それを繰り返せば、貴方も気づけば目的地のアニメイトに辿り着ける。健闘を祈る。目的地を勝手にアニメイトにしちゃった事に関しては謝りたい。

「いや、そんな簡単に言われても出来ないよ」

なんて思う方もいるかもしれない。
確かに、何年も都会にいればなんとなく理解できる感覚かもしれないが、まだ上京して間もない方には難しいかもしれない。そんな方には「コバンザメ式」を推奨する。
読んで字の如く、自分と同じ進行方向の人を敢えて先に行かせて、その後ろにぴったりくっついて歩く。これだけである。
さながら海を割って歩くモーゼのような頼もしい背中におもわず敬礼をしたくなるような歩行術である。歩行術というか、前の人が頑張ってるだけなんだけど。
欠点としては、急いでいるときも前の人のペースに合わせなければいけない事と、途中で自分の進みたい方向じゃない方へ歩かれると何故か裏切られたような感覚になる事か。「最後まで一緒に歩いてくれるって信じてたのに……」と恨めしそうに離れていく後ろ姿を見送るしかないが、そこで立ち止まっている暇などない。次の進行方向を同じくする人を探して、また同じようについて行く。そうこうしていれば、目的地のアニメイトに辿り着けるだろう。またやっちゃった。目的地を勝手にアニメイトにしちゃうやつ。ごめんね。



本当は歩き方だけではなく、いろいろとレクチャーしたい気持ちは山々だが、文字数の関係で今回はここまでにしておきたい。もうこれといったネタもないし。特に。
あと、これだけ「東京東京」と言っておきながら、僕自身は千葉県在住という事実と後ろめたさが自分の中ではけっして無視できないほどに膨れ上がってきて筆を置くに至った次第である。千葉県民なのに東京都民ぶって大変申し訳ございませんでした。謹んでお詫び申し上げます。

東京という街を、いや、東京に限らず都会の街を歩く際に、
「そういえば、都会の歩き方を書いてたnoteがあったなぁ」
と、ほんの少し思い出して、ちょっとだけ実践してみてくれれば本望だ。
もしかしたら小さな発見があるかもしれないし、ないかもしれない。

昔から僕の母親はこう言っていた。


「お尻を拭くのは三回までにしなさい」

と。



切れるからね。



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逆佐亭 裕らく
お金は好きです。