本社ですが仲間です
本社勤務になってしまってから早一年が経過した。
それまでは現場で調理師として働いていたのだが、後に直属の上司になるお偉いさんがある日突然やって来て「本社でエリアマネージャーとして働いてみないか」と提案された。よくよく話を聞くと面接の段階で「ゆくゆくは本社勤務とかになっても大丈夫ですか?」と質問をされていて、それに対してとにかく採用されたかった僕はその場のノリで「大丈夫です!」と答えていたらしい。一切覚えていなかったが
「まぁでも、そんなん言いそう。俺」
と妙に納得した僕はその話を受け入れた。
同僚からは「栄転だ」「出世だ」と散々持て囃されたが、僕としては正直ピンときていなかった。というか、ちょっと「けっ」とか思っていた。
現場で働いている人はわかってくれると思うが、本社の人間ってのは鬱陶しい。滅多に顔を出さないくせにたまに現場にやってきては偉そうに振る舞い、大して我々の仕事を知りもしないくせに偉そうに口を出す。
僕は“本社の人”が大嫌いだった。
そもそも、自転車で五分という通勤時間が魅力で今の会社に転職をした。それが新宿にある本社まで通うとドアツードアで片道だけでも二時間はかかってしまう。二時間っつったらあなた、歌とCMを飛ばせばアニメが一話から五話まで観れる。五話ってけっこうすごい。炭売りのしがない少年が厳しい試験に合格して鬼殺隊になるくらいまで話が進むのだ。それに中学の時の僕だったら二時間あれば初代バイオハザードをクリアできた。ゲームを一本クリア出来るほどの時間をただただ通勤するだけに費やすのだ。あり得ない。
それに、現場で頑張れば頑張るほど、その現場から離れていくシステムというのも本末転倒である。そういうところも「本社は現場の事なんて全然考えてくれていない」なんて思われる原因だと思う。
そんないろいろな思惑もあり
「僕は絶対に現場に寄り添う“本社の人”になろう」
と心に決めた。
さて。いざ、本社での勤務を開始すると、思っていたよりも仕事量の多さに驚いた。今までは一つの現場の管理をしていればよかったのに、一気に十個以上の現場の管理をしないといけない。現場責任者もみんなベテランの方たちなので別に僕一人がそこで多少もたついてもどうにかなったが、要領を掴むまではとてもじゃないけど八時間という労働時間内に各種の処理が終わらず苦労したし、勿論現場にも苦労もかけた。
夏は暑く、冬は寒い現場で一日に八時間から十二時間ほとんど立ちっぱなしで仕事をしていた頃は
「本社の人なんてどうせ空調の効いた部屋で椅子に座ってダラダラやってるだけだろ」
と悪態を吐いていた僕だったが、この立場になった今、それは全力で否定したい。現場で本社に提出していた書類や伝票、報告なんかも最終的には本社ですべて対応したり改善している。言い方は悪いが、現場は「提出すればそこまで」なのに対し、本社はそこから最後まで責任を持って完遂しなくてはならない。自分がそこでダラダラやっていると現場だけではなく他部署の人にまで迷惑をかけてしまう。
また座っての作業になる所為で腰も痛くなるし、体はそこまで酷使しない代わりに頭を常に回転させているのでどうかしたら余計に疲れを感じる。あと当時は数カ月に一回くらいしか顔を合せなかった“本社のお偉いさん”が同じ空間にいるってだけで頭だけではなく気も遣ってしまう。
ほら、こっちはこっちで大変でしょ。わかったか、当時の僕。ちゃんと知りもしないくせにいい加減なことを言うな。ただ、空調に関しては確かに効いてて超快適。そこだけはごめん、当時の僕。
書類の処理に追われ、収支会議の資料作成に追われ、赤字店舗の対策に追われ、現場で何かしらの不手際があった際には謝罪案件に追われ、あと単純に現場回りのときに道中で蜂に追われたりもした。なんであいつら僕ばかりめがけて飛んでくるのだろう。いつも追っかけられるんだけど。
そうやって怒涛の如く過ぎ去っていく日々をなんとか駆け抜けた一年間。
それでもまだまだ初めてのパターンに遭遇したりと大変ではあるけど、ようやく少しずつではあるが自分の仕事に自信が持てるようになってきた。
最初は僕の事を警戒していた現場従業員の皆さんも、笑顔で話をしたり冗談を言い合えるような関係になってきた。
「やっぱり現場で一生懸命やってきて本社に上がった人は違うね」なんて涙が出るくらい嬉しい言葉をかけてもらった事もある。
本社の人間ではあるけど出来る限り親身になって現場に寄り添う、という目標は今でも一切ブレていない。
*
先日のことだ。
現場のパート従業員の一人が怪我をしてしまい、シフトに欠員が出てしまった。人員の配備やシフトの調整も僕の仕事である。他の現場の社員やパート従業員に応援の相談をし、急いで対応をしたのだが翌日のシフトだけがどうしても埋まらない。
まだ手を尽くせる余地はあったが、だんだんあちこちに頭を下げるのが面倒になってきた僕は「ちょうど翌日は土曜日だし、会社に内緒で僕が現場に出ればいいか」と考え、こっそりユニフォームを調達して準備を整えた。
また当日になって突然僕が現れたらビックリさせてしまうと思い、事前に
「明日は僕が現場に入ります。ブランクもあるし、そこまで動けないかもしれないけど宜しくお願いします」
と現場責任者に連絡をした。別に見返りも何も求めてはいないつもりだったが「たぶん感謝されるはず」と心の何処かで思っていたのだろう。返ってきた返事に僕は少なからず狼狽えた。
「え、何しに来るんですか?」
その責任者は僕が現場にいた頃から何度か一緒にお仕事をしたこともある人だった。個人的にも思い入れのある人だし、散々お世話になったことの恩返しのつもりでもあった為、正直ショックではあったが続けて言われた言葉に僕はハッとした。
「現場の事は現場の人間でなんとかします。どうしても他の現場から人が回せないなら、多少無理してでもここの人員で回せます。失礼ですが、ブランクがあってろくに動けないマネージャーが休日を一つ潰して来るよりもその方が余程効率的です。ただ、我々に出来るのはあくまでも“現場を回す”それだけです。マネージャーにはマネージャーにしか出来ない事があると思うので、そちらで全面的にバックアップしてください」
ぐうの音も出ない、とはまさにこの事だ。
少しピリついた空気をほぐすように「お気持ちはすごく嬉しいですけどね」と申し訳なさそうに笑いながら言ったその責任者と少しだけ打ち合わせをしてから電話を終えたが、僕は目が覚めるような思いだった。
考えてみれば当然だ。
一つのチームとして運営している以上、そこにはそれぞれの役割分担がある。現場には現場にしか出来ない事がたくさんあるし、本社だってそうなのだ。上司、部下、本社、現場、そんな肩書は関係ない。
それぞれに責務があり、それぞれがそれを果たす事で仕事は動いていく。
ネガティブな意味ではなく、我々は会社という大きな組織を動かしていく為の歯車なのだ。その歯車が勝手に場所を移動して、勝手に動いたところで全体的に上手く機能するはずもない。
何度だって言うが、そこには上も下もない。関係ない。僕には僕の全うすべき役目があり、別の誰かには別の誰かの全うすべき役目がある。
そうやって仕事は回り、会社は回り、世界は回っている。
これを読んでくださっている方もいろんなお仕事に携わっている事だろう。
現場で汗水流して働いている方だっているだろうし、その中には当時の僕のように本社に対してあまり良くないイメージを持っている方もいると思う。
それも理解はできる。理解はできるけど、どうか一歩だけでもいいから歩み寄って欲しい。
本社は敵じゃない。最大の味方であり、心強い……かどうかは知らんけど、間違いなく仲間なのだ。
意地悪な人間もたしかにいるけれど、そんな奴ばかりじゃない。
最前線で戦い続けるあなたが今より少しでも快適に、今より少しでも納得のいくお仕事が出来るように出来る限りサポートをする。それが我々のような後衛の、“本社の人”の役目である。
さて。
さぞかし連休明けで現場からの報告や相談が溜まりに溜まっている事だろう。
明日からまた頑張らないとな。