9.聖蹟桜ヶ丘ブルームーン
「──マジで大変だったんだから。いやね、俺と俺の彼女、ヨネケンとヨネケンの彼女の四人で八王子の花火大会に行ったんだけど、後々聞いてみたら、そのときちょうどヨネケンの浮気が発覚したタイミングだったらしくて」
「あいつまたやったの?最悪のタイミングじゃん。……あと、俺それ誘われてないけど」
「ユウタそういうの大嫌いじゃん。誘ってもどうせ来ないでしょ。それにこれ聞いたら『行かなくてよかった』ってなるよ。そんでね、約束はしちゃったからってんでヨネケンの彼女も一応来てくれたんだけどさ、花火大会を見た後にカラオケに行ったのね。そしたら個室に入った途端、ずっと我慢してたのかヨネケンの彼女が泣き出したのよ」
「うわぁ。なんちゅー地獄のような空気。カラオケ行ったのに部屋に入って五秒でお通夜とか無理すぎる。行かなくてよかった……。ていうか、そんな状況でヨネケンもそうだけど、タカヤマも気まずいでしょうに」
「いや、ほんとに。むちゃくちゃ気まずかったんだけど、とりあえず俺はなんとなく気づいてないフリしてさ。部屋も薄暗いじゃん?俺の彼女はそれとなくおしぼりを渡したり、背中を擦ったりして慰めてて。で、とりあえず俺は気づいてないテイだから『一曲目どうしよっかなぁ』なんて呑気なことを言いながら画面の方を見てたんだけど、ヨネケンもさすがにあの空気に耐えきれなかったんだろうね。それか、自分が原因で陥ってる今の状況をなんとかしたかったんだと思うんだけど『俺が一曲目歌うよ』つって曲を予約したのよ」
「自分の浮気がバレてこんな空気になってるのに一曲目を名乗り出るとかメンタルどうなってんの?」
「あいつなりに少しでも盛り上げたかったんじゃないかなぁ?そんで覚悟を決めたような顔してマイク持って立ち上がってさ、予約した曲が画面に出てきたんだけど、その曲ってのがTOKIOの【みんなでワーッハッハ!】」
「笑えるか」
「すごいでしょ。泣いてた彼女もちょっとポカーンとしてたからね」
「あいつは至って真剣なのが余計にヤバい。まともな人は居ないのかこのバンドは」
「俺が一番まともだとは思うけど」
「いや、俺が一番まともなんだけど……。うちはドラムもおかしいもんなぁ。あいつ、こないだ一緒にてんやに行ったのよ、あの天丼屋の。そしたら天丼の天ぷら抜きを注文したからね」
「ただの白飯じゃん。家でご飯炊いて食えばいいのに」
「店員さんに値段は変わらないって言われて渋々普通の天丼食べてたけど。あと酔っぱらったときの爆発力が他のメンバーの非じゃないもんね。俺もまぁまぁ無茶するけど、マサにはホントに敵わん」
「マサ、黙ってドラム叩いてる分にはただのイケメンなのになぁ」
「こないだの打ち上げんとき酔っ払って、一人でずーっと『ペロン、ペロン、ペロン、ペロン』って言ってて」
「もうその時点で既に面白いんだけど」
「ヨネケンが『それ何キャラ?』って笑いながらつっこんだのよ。あいつら高校時代はバスケ部の先輩後輩の仲じゃん?なのにマサがヨネケンに『あぁん?ヨッシーじゃい』って言って、『誰に口きいてんだ』ってヨネケンが怒ってさ」
「ヨッシーってあのマリオの?ペロンペロン言うやつだっけ?馬鹿すぎる。あいつさ、他にも酔っ払ってやらかした話があったよね。なんだっけ、ポイズンの……」
「あったあった!!なんかベロンベロンなのに『全然酔ってないっす』とか言うから、俺が『じゃあ俺の質問に的確に答えよ』つって。酔っ払いだし、元々が声でけーじゃん、あいつ。だから俺が『いい国つくろう!?』って言ったらでっかい声で『鎌倉幕府!!』って答えるワケよ」
「店からしたらいい迷惑だよね」
「そうなんだけどさ、言うて俺も酔っ払いだし。ゲラゲラ笑いながらそんな馬鹿みたいなことやってたの。『泣くよウグイス!?』って言って『平安京!!』みたいな。んで、ちょっと変化球を投げてみようと思って『言いたいことも言えないこんな世の中じゃ!?』って言ったんだけど」
「まぁ大声で『ポイズン!!』って返ってくると思うよね」
「でしょ?なのに急に真顔になって姿勢を正したかと思うと『良くならんと思います』とキッパリ言ってくれたからね」
「真面目か。いやまぁその通りなんだけどね。すごいなあいつ」
「アホばっかりですよ、ほんと」
「でも、いいバンドだよね」
「んー。まぁ、暇はしないね」
「正直なところ、俺は売れるとか売れないとかはどうでもいいんだけど、これからもユウタにはついていくよ。ヨネケンもマサもそうだと思う」
「あまり期待されてもなぁ。頑張りますけど」
「大丈夫だよ、ユウタは天才だから。不本意かもしれないけど、もし仮に今後音楽の道を諦めたとしても何かしらの形で創作は続けるんだと思うよ。文才もあるし」
「ねぇよ、んなもん」
「あるよ。こないだのブログもさ。読んだよ、あれ。面白かったよ。声出して笑ったもん」
「あれだってバンドの告知の為に書いただけだし。常日頃からチマチマと文章なんて書いてらんないよ。……ていうか喋り過ぎたな。さっきの新曲、もうちょい詰めるか」
「おっ。やりますか」
*
聖蹟桜ヶ丘駅から少し歩いた先の地下でひっそりと営業をしている“サウンドスタジオブルームーン 聖蹟桜ヶ丘店”は深夜に行くと二人までは個人練習料金で利用できる。しかもめちゃくちゃ安いのに機材はけして悪くないという好条件にすっかり魅了されていた僕とバンドメンバーのタカヤマは、ちょくちょく二人でこの場所を訪れた。
今日は次回のライブで披露する新曲のブラッシュアップの為に深夜からスタジオに入ったのだが、なんだかんだで喋り過ぎてしまった。まぁ、こんな日もある。いや、こんな日しかないような気もする。
これがベーシスト兼リーダーのヨネケンや、年下でありながら生真面目で「それおかしくねーすか」なんてズバッと言えちゃうドラムのマサとかと一緒だったらまた違うんだろうけど、タカヤマと過ごすこんな時間も僕にとっては大切だった。
来た頃にはポツポツと降っていた雨はすっかり上がっていて、濡れた路面がまだ薄暗い街に街灯の弱い光を反射していた。
楽器と機材を抱えて二人で駅へと向かう。
「ユウタ、今日は休み?」
「休み。タカヤマは?」
「俺も」
この短いやり取りで今日のスケジュールは概ね決まったようなもんだった。おそらくこの後、中河原駅まで帰ってタカヤマの家で雑魚寝をし、昼過ぎにダラダラと起き出して、日が暮れるまでゲームで対戦して、そして飽きた頃に重たい楽器を持って僕は府中の家に帰るのだろう。
非生産的でくだらない時間の過ごし方かもしれない。それでも一向に構わなかった。何故なら僕たちは明日なんて当たり前に来ると思っていたし、その明日は今日となんら変わらない一日だと信じきっていたから。
「松屋行く?」
「おっ、いいね。金貸して」
「ぅおい」
京王線の始発電車は走り始めていた。
昨日となんら変わらない今日という一日がまた始まる。これからもずっと。