何を担うのか
自由とは好き放題に生きることではなく
心の素直な声にしたがって
どの宿命を担うか選ぶことができるということ。
自由に生きるということ
野放図に生きることは違う。
自分がどんな務めを果たせるのか考えて
どの重荷を背負い
務めをまっとうする道を歩むのか。
それを誰しもが選択できるということが
自由な社会なのだと思う。
人は果たすべき務めが分からないときほど
惨めなときはない。
どんな人間でも
どんなに邪智暴虐な人間でも
立派な務めは、ある。
真理を司る存在は
人間には足元にも及ばない深い考えで
人に務めを授ける。
人の目から見たら悪性とされる性分でも
存在は、そんな性分でしか果たせない
素晴らしい務めを授ける。
もし、十全に生きていないと感じるのならば
自由の生き方に立ち戻り
何が己の務めなのか、求めてみるのも良いかもしれない。