【心】ある人
彼の主張するところによれば
それは博嫌主義ともい言うべきものであった。
彼と関わるすべての人を、彼は皆平等に嫌う。
ある人に好意を抱くことがあったとしても、
嫌いの想いを、好きが超えることはなかった。
気持ちを数値化できるのならば、
決して好きにあたるプラスの方向に向かうことはない。
いつも陰惨たる嫌いという気持ちの中で
他人をみていた。
好きということがあっても
それが気持ちの0を超えて、好きたるプラスの領域に足を踏み入れることはなかったのである。
彼は等しく平等だった。
どんな人でも嫌ったのだから。
だが彼は自身の信条として、
また生来の性格として、
とても慈愛深く優しい性格だった。
他人の個性としての部分はとても嫌っていたが、
命そのものは尊重していると言えようか。
彼は生を慈しみ、
貧しい者や、
傷ついている者、
弱っているものを憐み、
優しく彼らを遇した。
しかし彼らが持つ、個性ともいうべき部分は嫌いだった。
そして興味もなかった。
嫌いがゆえに彼らに何ら期待もせず、
彼らの慈愛に対してられても、感謝の気持ちを伝えられても、
いらぬお世話と強がられても、
それはどちらでも良いことであった。
ただそれらの気持ちを、相手に伝えられている間、
彼等に付き合わなくてはならないのが苦痛だった。
感謝もいらなかったし、
その気持ちを伝えようとする気持ちも理解できなかった。
反対に罵られても別に気にはならない。
自分が勝手にやったことであるし、
そのことについては相手がどうとでも解釈すればよい。
そんな考えだった。