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チャント

昔、ガイナーレのゴール裏の沼にハマる前。
関西地区や広島地区に住んでいたので、時間があれば甲子園のライトスタンドや紙屋町にあった広島市民球場のレフトスタンドに足を運んでいました。
そこでメガホン叩きながら大声で歌う。
それが生き甲斐というか、息抜きというか。
特に広島勤務時代は職場の仲のいい先輩と二人、“古市猛虎会”を名乗り、阪神が広島に来るたびにレフトスタンドへ。
土砂降りで5回コールドになったとある試合。
人もまばらになったレフトスタンドでヤケになって先輩と二人声を張っていたんだけど、その夜のニュースで二人ぎテレビに抜かれていたことも。

阪神を一生懸命応援していた頃は、いつかは本物の猛虎会のメンバーのように、応援をリードする側に立ってみたいと思ってた。ただ漠然と。

振り返れば子供の頃からプロ野球各球団のヒッティングマーチを覚え、自ら歌って録音し、リスト化するのが趣味だった。

阪神の選手のヒッティングマーチを作りたい…。

無謀にもそんなことを考えていた時代もあった。
まあでも、周りのツテも、それに向けた努力?もしてない自分の、そんな夢は叶うはずもなく。

そうこうしている内に広島を離れ、故郷鳥取へ。

そこで出会ったのがガイナーレ鳥取。
正確に言うと、JFL昇格時、選手の中に中学高校の同級生がいた関係でその存在は知っていたし、サポート会員にもなったこともあった。
でもスタジアムでナマで見たのは、その時が初めて。
その頃はまだ米子東山が本拠地で、年に数回バードスタジアムで試合していた時代。
鳥取に帰ってきたことで阪神の試合が簡単に見られなくなり不貞腐れていたちょうどその頃、偶然バードで、“あの”ガイナーレの試合があり、手元には何故かタダ券がある。
そんな偶然が重なり、軽い気持ちでバードに行った。
最初は大人しくメインスタンドで見てたんだけど、ゴール裏で歌ってる人たちが楽しそうで楽しそうで。
初めてナマでガイナーレを見たその試合の後半からゴール裏に移動。
その当時はまだあったバンデーラの隅っこに行き、

「一緒に歌ってもいいですか?」

見よう見まねで飛び、歌ったその日から今日に至るまでずっと、自分はガイナーレのゴール裏にいます。

そうしてしばらく経った頃。
ゴール裏団体のメンバーにならせてもらい、シーズン前のチャント制作会議にも参加させてもらえることに。

ここで思い出した。
いつの日か、プロ野球のヒッティングマーチを使ってみたいと思っていたことを。

初めはただ大人しく聞いてるだけだったその会議に、いつしか自分の案を出すように。
勿論最初は要領も分からずヘンテコな案を出し不採用ばかり。

採用になるにはどうしたらいいか。
たまたま音楽を聴くのが趣味だったので、YouTubeで、ひたすらいろんなジャンルの音楽を聞きまくった。楽曲検索アプリを使って、耳に入ってきた曲の曲名を調べ、YouTubeで検索してリスト化。そんなことを続けているうち、初めて自分の案が採用になったのは、この曲をベースにしたチャント。

それからは調子に乗って作り続け、“数撃ちゃ当たる”戦法で採用してもらうことも増えた。

自分で選んだ思い入れの深い曲を三つあげてみた。(こんなおっさんが考えたとバレたら、選手にもサポにも嫌な思いをさせるかもしれないので、引退した選手の中から選びました)

チャント制作会議は、毎年の年明けに数回。
その前からグループの中で複数のネタをあげ、会議の際に実際に歌ってみて決定。チャント会議に参加できない時は、まだオンライン会議など普及する前は電話で参加したりもした。
YouTube動画と歌詞説明だけでは、どう歌詞を当てはめるのか分からないことも多く、会議に参加できなかった時にスキー場のゲレンデの片隅で歌ったことも。

会議の場では、予め出された案だけでなく、その場のノリで突如決まることもある。
そして会議で決まったとしても、録音時に歌ってみて“なんか違う”となって急遽変更することも。

取り止めのない話になったけど、太鼓や大旗に興味を持ってゴール裏に来てくれる若い人も少しづつ出てきた。でも若いメンバーはまだまだ足りない。
こんなおっさんの案でも採用になる程、ゴール裏の他の皆さんの心は広いので、少しでもチャント作成に興味を持った人は、声をかけてみてください。



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