弁論術講義1-1「弁論術を知る前に」

弁論術の概論に入っていく前に、私の弁論術の紹介の仕方についての理解を得るために少し心構え的な話をしておきたいと思います。

弁論術というのは、優れた弁論家の卓越した弁論を、スナップショット=一時停止して、項目ごとに整理し直した、人々の分析的な諸努力の結晶です。しかし、たとえばキケロが、自身に弁論術の秘訣を聞きに来る若者たちに、口を酸っぱく言い聞かせていたように、弁論術や修辞学の話を聞いたからと言って、弁論が上手くなるわけではないということに注意を払う必要があります。

たとえば書店に行けば、スポーツに関する書籍が溢れています。中には一流のアスリートが書いた本も置いてあります。しかし、それらを読んだからと言って、すぐに足が速くなるわけでも、泳ぎが上達するわけでもありません。あらゆる「○○が上達する方法」に共通する話ですが、本を読んだり、人に教わったりした知識≒記憶と、実践を可能にする感覚的な理解とは異なります。専門的な用語でいうと、後者は実践知、暗黙知、フロネーシスなどと呼ばれたりします。

弁論術も「言葉の使い方が上達する方法」と捉えられる点で同様です。たとえばネット上で、吉原達也先生が訳したキケロの『トピカ』という論文を読むことが出来ます。https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/30453/20141016174819781991/HLJ_34-2_92.pdf(ここから読めます)

これは実に無駄が削ぎ落されていて、武骨でカッコいい著作ですが、一度さらっと見てみてください。意味は分かるが理解できないという状態になりませんか?私は、この著作というのは格ゲーの必殺技コマンド集のようなものであると考えています。弁論術、ないし修辞学の著作は概してこのコマンド集であることが多いんです。

格ゲーをやったことがある方なら分かると思うのですが、必殺技コマンド集を熟読しても、必殺技は打てませんし、CPU相手に練習してやっと打てるようになったとしても、試合では勝てません。

弁論術の著作は、Aの場合にはBとか、Xという類にはX1,X2,X3があって、その種には…と延々と羅列が続くというものが多く、その意味で、殆どの人にとって無用の長物、価値の分からないものでしかないんです。

必殺技コマンド集は、すでに色々と格ゲーをやってきて、格ゲーが何たるかを実践知として理解している人間にとって、「このキャラはこのコマンドでこの必殺技が打てるのか…だったら…」と参考になるというものであり、初学者が読んで役に立つ物ではありません。

ですから、私は一般的な弁論術、ないし修辞学の著作のような教授の方法は取りません。より実践に近く、実践知を少しでも作り上げられるような形で、弁論術を紹介していきたいと思っています。しかしそのことが、体系性や網羅性を望む人からすれば物足りないものに思われてしまうかもしれません。そうした方には、アリストテレス『弁論術』や、佐藤信夫編『レトリック事典』などが大変詳しく網羅的ですので、こちらを参考にしていただければと思います。

スポーツ選手は、みんな化け物みたいな身体能力を持っています。しかしそれでも一流と呼ばれる人はごくわずかです。そこに差が生じるのは、自らが持てるリソースを、最高のパフォーマンスで発揮するための実践知の卓越度に差があるからなのです。

イチローのような一流の選手は、一流であることを維持し続けるために、現役時代、片時も練習を欠かすことはなく、試合に出続けることを望みました。弁論術も同じです。卓越した弁論を成すために、実践的な知識を蓄積し続けていくことが望まれるのです。

次回は、弁論術の大枠をお話させていただければと思います。弁論術と修辞学、ないしレトリックがどう違うのか、などについても言及できればと思います。また、読んでいただけると嬉しいです(^▽^)/

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