「ボンゴレ姐さん」というひと
壊れる家族、家庭について書いています。
不快に思う可能性があるとご自身で感じられる方は、読まれないことをお勧めします。
ボンゴレ姐さんというひとが、自分という狭い空間で、大層なアイコンになっています。
本名浅利文吾、源氏名ボンゴレ・ビアンコ姐さんは御年42歳のドラァグクイーンで、ゲイバー「Greige」でポールダンスも踊るトップダンサー。
バーのオーナー灰田与一の自衛官時代の先輩で、バツイチ2人の子持ちという何とも盛りだくさんな設定になっています。
私の創作した人物としては一番漫画チックなのですが、ドラァグクイーンという圧倒的存在感のなせる業なのか、いちいち良いところで説得力のあることを言ってくれる有難い存在です(描いてるのワタシですが)。
元々、骨格部分としてのモデルは、数十年も前にドキュメンタリーで見たゲイバーのママ、ザボン・ゴールディーさん(お名前失念したので仮名)でした。
放送当時やはりそこそこ妙齢な方で、何にそんなに惹きつけられたかというと、その方はシングルでティーンのお子さんを育てながら大車輪でお店を切り盛りするという、パパでママでやっぱりママなオネエさんだったからです。
ザボンさんは、子供たちのため親としてパワフルに家事をこなし、時間となれば変身し、違う顔でお店を切り盛りするのですが、終始一貫しているのは「アタシがなんとかする」という姿勢でした。
その生活に至るまでの経緯は、プライベートなことなので当然語られませんが、これまでに「ただの男性」としての人生もあったこと、そこから現在(放送当時)までに、ご自身ご家族の間にも相当な葛藤や摩擦があっただろうということは、想像に難くありません。
観ていた当時はこちらもまだ若く、様々な視点からみることはせず、抱いたのは、大変そうだが興味深い人だという漠然とした印象でした。
あれから自分自身歳を重ね、親にもなった身で振り返ると、なんと難しい選択を迫られた家族だったのだろうと思わずにはいられません。
ボンゴレ姐さんもザボンさんになぞらえて、子供を育てるクイーンという設定にしましたが、母親である身としては、姐さんを「円満に子供を引き取った全く非のない子煩悩な親」にすることはできませんでした。
それは配偶者目線から見ていないことになるからです。
姐さんの長年の苦悩は横に置いて、妻である人から見れば、この人なら一生隣を歩いていける人だと思い結婚し、子供も成したところでのちゃぶ台返しです。
それも、互いに努力して歩みよれば修復可能という問題ではありません。
しかも長年抱えてきた悩みだと言われてしまったら、もし自分であれば、ならば何故と掴みかかりたくもなります。また、自分のことはさておき子供たちのことという直近で考えなければならない問題もあります。
これについてどう考えるかは、女性の性格とそれまで夫婦として築き上げた関係にもよるでしょうが、親である自分としては「母が子供を捨てた」という状況にはしたくありませんでした。
「とーさんのプライド」で少し描いていますが、夫婦間で話し合いをした際、姐さんには土下座をしてもらいました。これしか「母親が子供を捨てず、姐さんが引き取る道筋」が見つからなかったからです。
姐さんの元奥さんについては、その人となりなどは描いていません。
土下座をする姐さんの前で固くこぶしを握り締める姿と、子供たちとは離婚後も悪くない関係を保っていて、たびたび父子家庭の様子を子供に問う言葉だけ。
夫婦であった頃の関係は悪くなかったこと、姐さんのカムアウトとそのタイミングに対して憤りはあること、でもその胸の内に気づかなかった自分に対しても後悔があること。またどうなっても夫であった人が子煩悩なことだけは解っていること(それだけに憤りも増すのでしょうが)、もちろんほんの数コマで表現できるとは思っていませんが。
それに対して、姐さんの土下座一発で平謝りするという姿勢は、考えようによってはとても男性的で雑で、自分の意思を通すため相手の言葉を遮断する狡い行為です。
姐さんは潔くも清廉でもない、みっともないひと
離婚は、私自身は今のところ経験していませんが、きれいごとで終わることは少なく、互いをどれだけ傷つけられるかというところまで泥沼化することもあるでしょう。
きっぱりとした男前に見える姐さんも、子供たちと離れたくなくて、元奥さんの自分へのなけなしの信頼にすがり、また子供を抱えた女性の再出発の難しさなどに言及し、敢えて書けば、相手の子供への思いに付け入る言葉まで使い、拝み倒して成人までの養育を請い願ったのではないかと思っています。
それはとても狡いことですが、子供たちへの愛情であり、自分が今後持ちえないかもしれない「家庭」を失いたくないための必死の行為であり……。
だから、姐さんは子供たちの傍にいる権利を失わないため、源氏名も教えず子供たちの前では女装もせず暮らしています。
クイーン姿の時も、香水はふらず、化粧も匂いを残しにくいもの、落としにくいネイルや爪を飾る装飾も(これはポールを掴むという理由もありますが)使用していません。
さすがに女性の格好で働いていることは子供たちも承知していますが、姐さんは早朝に店がはねると急いで取って返し、子供たちの朝食を作る生活を続けています。
はっちゃけたステージはその反動であり、ドラァグクイーン特有のど派手な、さらに自らを道化のようにも見せる姐さんの衣装、メイクは、己の狡さ馬鹿馬鹿しさを俯瞰で見た、姐さんのシニカルな内面の表現でもあるつもりです。
姐さんの「家庭」の行く末は
ザボンさんのドキュメンタリーは手元にも残っておらず、記憶も年々怪しくなってきています。
ただ、彼女がカメラに漏らす少しシニカルな軽口と、それに反して鋭い何かを見通すような目は、今でも印象に残っています。
残念ながら私の記憶は言葉については曖昧で、出勤前のザボンさんが小さな鏡に向かってメイクをしながら、鏡越しに外の人間にかそれとも自分に対してか「どうにかするしかないんだから」「なるようにしかならない」というようなことを言っていたとしか憶えていません。
ただ、それがママに変身する前だったせいか、目をつぶってしまえば、必死に舵取りしようとしている中小企業の経営者のような口調で、「ただの男性」であった時代の名残のようでした。
そんな生き様をベースに、ボンゴレ・ビアンコ姐さんという存在をつくりましたが、その二足の草鞋は、おそらく長く続くものではありません。
しのと灰田氏の関係が変化していくように、姐さんの「家庭」もいつか終わりが来ます。それは姐さんの中でも確定していることなので、いつか広くなった家を片付ける時も、彼女は「Greige」で陽気に踊っているのでしょう。
また、そんな要素を、今後も物語の端々に滲ませられたらと思います。
最後になりましたが、ザボンさんとそのご家族が、数十年の年月を経て、どう変化したかは分かりません。ただ、どういう形であれ、穏やかな今があって欲しいと願ってやみません。
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