【視察ツアーNo.1】NPO法人グリーンバレー(徳島県神山町)
地域活性の事例として必ず名前の挙がる徳島県神山町への視察をまとめたものです!
自分の主観もあるので「こういう見方もあるのか」というスタンスで見ていただけると嬉しいです!
目次
・神山町の基本情報
・NPO法人グリーンバレーについて
・視察報告
・個人的な考察
・まとめ
◇神山町の基本情報
徳島県の北東部、吉野川の南側に並行して流れる鮎喰川上流域に位置する町。1955年には21000人ほどいた人口も今では約5000人ほどになっている。
(*赤色の部分が神山町)
◇NPO法人グリーンバレーについて
「日本の田舎をステキに変える!」をミッションに掲げ、神山町を中心に情報発信から移住定住の支援など幅広く活動を行う団体。詳しくはこちら
活動内容
・ 神山に関する情報発信。
・ 地域経済の活性化や文化の促進。
・ 地域課題の解決と、そのモデルの発信。
・ アーティストの制作支援。
・ アートによるまちづくりの推進。
・ 自然や居住環境の維持と改善。
・ 移住・定住の支援。
・ 就業・起業の支援。
・ サテライトオフィスの誘致。
設立までの流れ
1927年にアメリカから日本に送られた友好親善人形の「アリス」という人形を元の所有者の元に里帰りさせる構想がNPO法人グリーンバレーの誕生のきっかけ。
1991/3/3 アリス里帰り推進委員会発足
↓
1992/3/3 神山町国際交流協会発足
↓ 1997年:徳島県新長期計画「徳島国際文化村プロジェクト」
1997/4/18 国際文化村委員会発足
↓
2004/12/1 NPO法人グリーンバレー設立
◇視察報告
2018年9月14日にNPO法人グリーンバレー主催のレクチャーに参加してきました。
(視察に行く際はあらかじめ決まっているレクチャーやツアーがあるのでそれに合わせることをお勧めします。)
テーマは「神山のまちづくりや創造的過疎について」
神山がこれまでどのような取り組みをしてきたのか、なぜ全国あるいは世界から注目されるようになったのかを1時間半かけて聞いてきました。
そもそも創造的過疎とは・・
過疎化の現状を受け入れ、数ではなく過疎の内容を変えること。外部から若者やクリエイティブ人材を誘致することによって、人口構成の健全化を図るとともに、ICTインフラ等を活用し、多様な働き方を実現できるビジネスの場としての価値を高めることによって、農林業のみに頼らない、均衡のとれた持続可能な地域を目指すこと。(資料より引用)
現状をただ受け入れるのではなく、じゃあどうするかを考える文化が浸透していたのが特徴的だったのでこの考え方が色濃く出ている事例をいくつか紹介します。
事例1:隠された図書館
神山町には図書館がなかったので町として図書館を作る計画がたてられ始めました。
そもそも一般的な図書館の場合だと大量の本が置いてあり、地域の人が誰でも使えるようになっています。
しかし、神山町の場合本を買うだけの予算がありませんでした。そこでじゃあどうするのかを考えました。その結果地域の人が自分のオススメの本を3冊まで寄付できる「預ける形の図書館」を作りました。
「お金がない→できない」ではなく「お金がない→本を寄付してもらおう」と発想を変えたそうです。しかもこの図書館には鍵がかかっていて寄付した人だけが鍵をもらえるそうです。
事例2:神山アーティスト・イン・レジデンス
神山をアートの町にするための取り組みなのですがこれも普通のものとは一味違います。通常だと評価の高い有名なアーティストの作品を展示したりします。瀬戸内国際芸術祭などがいい例です。
ただここでもお金の問題が生じます。なので有名な人ではなく海外の一般のアーティストが長期滞在しながら地域の人と交流しつつ制作できるようにしました。作品ではなく作品を作る過程に着目したそうです。
どちらの事例も現状をただ受け入れるのではなく、じゃあどうするかを考える文化が反映されたものになっています。
◇個人的な考察
Q.なぜ神山町はうまくいったのか?
そもそもの神山町の成長フェーズを整理すると
「国際交流→アート→ライフスタイル→知識・情報・技術」
の流れになっています。このフェーズにヒントがあると思っています。
大切なのは地域活性をしようと思って活動が始まったのではないこと
まず国際交流やアートのまちとしてのある分野に特化した取り組みがあったからこそ他のまちにはない魅力が生まれています。地域活性をしようとして活動を始めてしまうと移住定住、空き家活用、インバウンド、教育などいろんな分野の活動をしてしまいがちです。そうすると全てが中途半端でいわゆるよくある取り組みになってしまいます。
神山の場合アートに特化し、「アートの町」というイメージが確立されたことによってアーティストの人が訪れるようになり結果として移住促進につながりました。
他にはない魅力を作ることが結果として地域の活性化につながったのではないでしょうか
またアートという分野も最初の選択としてよかったのだと思います。もともと自分で何かを作り出すことが得意な人を最初の段階で巻き込めたことはかなりプラスに働いていると思います。なぜかというとアーティストではなくてただのサラリーマンの人が最初に関わっていたら創業支援などで時間がかかってしますからです。
実際に神山町ではアーティストの移住者が増えだした後、一般の移住者向けの「神山塾」という人材育成事業を始めたことでスムーズ移住しやすい環境を整えていました。
フェーズからの考察が終わったところで、もう1つヒントとなるのは本文でも何度かでてきた現状をただ受け入れるのではなく、じゃあどうするかを考える文化だと思っています。
この文化が何をもたらしたのか
この文化の凄いところは必ず行動につながるというところです。
現状を受け入れできないと諦めるのではなく、じゃあどうするか考え行動に移す。どんな問題であろうと必ず行動に起こしています。行動することでそれまで気づけなかった需要が明らかになり、次にやるべきことが見えてきます。
実際に神山町の事例でいうとアートのまちとして認知されるようになった頃「イン神山」という神山町に関することをまとめたWebサイトを立ちあげました。もともとアートの事業を推進するためのものだったのですが、蓋を開けてみるとアートのページよりも移住のページの方がアクセス数が多かったんです。
アートを推進するために行動した結果移住の需要があることに気づくことができました。
「文化が行動を生み、行動が需要を顕在化させ、次の行動が文化によって生まれていく」
このサイクルこそ文化がもたらしたものであり神山町の成功の秘訣なのかもしれません。
長くなったので一旦考察はこの辺りにしておきます。
(需要があればもう少し他の側面からの考察も書きたいと思います。)
◇まとめ
・神山町の活動のきっかけは一体の人形
・現状をただ受け入れるのではなく、じゃあどうするかを考える文化が浸透している
・成功の要因は特化した分野の活動から始めたこと
・文化が行動と需要の連鎖を生んだ