日本人の「繊細さ」は資質で価値。だからこそ、子育てでは「ネガティヴ」に発露しやすい。

もう25年前の話です。18歳の時にアメリカで暮らし始めたとき、様々な人種の人たちと毎日同じ建物で学び、衣食住も一緒。半年間集団生活をしました。その時に気づいたのです。

「わたしは日本人である」

と。

母親に、わざわざ電話して、そう言いました。
母親は、娘が突然何を言っているのか分かっていませんでしたけど。わたしは、なんか、「宣言しなきゃ」みたいな感覚でした。

凄く「大事なこと」に気づけた。
その喜び。
その紛れもない「確かな感覚」に。
わたしは、自分自身で驚いていました。

と同時に、

「わたしは『深い話』を日本人とするのが好きだ」

と。
気づいていなかった自分の「好きなこと」に気づけたことも嬉しかった。

新たな発見。

それはまさに、
日本人特有の「非言語の読み取り能力」「通じ合える深さ」の素晴らしさ、価値
初めて気づいた瞬間でもありました。

日本で暮らしている間、
「日本人だけの暮らし」
をしていた頃には、全く気づけませんでした。
日本人のその「プラスの価値」に。

わたしたち日本人は、
元々、みんなが、

ひとりひとりが「繊細」な人種です。

以心伝心
空気を読む

日本人にとって、
これらは「空気を吐いて吸う」くらいに
あまりにも自然に、無意識レベルでできてしまうこと。

本当に「当たり前」になりすぎているんです。

非言語の読み取りが、
とんでもなく「凄い」です。

それは
外国人からしたら「エスパー」並みに感じると思います。実際、様々な人種がいるアメリカではそうでした。

わたしたちは、
その能力・特性に、あまりにも「当たり前」になりすぎている。


特に「女性」は
性質上「より、読み取るチカラ」が高い
とわたしは思っています。

赤ちゃんが何故泣いてるのか?
まだ、非言語のコミュニケーションしかできない彼らの「望んでいること」がわかるのも「母性」という「女性性」の性質、特性の「繊細さ」が最大限に活かされているから。

日本人であり
女性である

それは

そういう性質・特性において
人種レベルで「素晴らしい能力才能」を
既に備えた状態で、この世に生まれてきた。

ということ。

まずは、
そのことに「誇り」を持ちませんか?

わたしは、海外で暮らした時
そのことに気づいて

自分自身の内側に浸透しているソレを感じて。なんともいえない不思議な感覚と、「間違いようのない、確かな感覚」のソレに

物凄く「チカラ強いパワー」を感じました。
なんだか、凄く、わけのわからない「強さ」を感じたのを、今でも憶えています。

こんなに、深く、「感じられる」ことに。

そんな「センス」が「ある」ということに。

わたしなんかは、
「たまらない幸せ」を感じます。

でも、
この特性・資質があるが故に
日本人だからこその「ネガティヴ」も、当然あります。

特に、
日本人という人種の「母と娘」
という関係性においてそれが顕著です。

「こころの距離が近すぎる」

こと。
故に、子供が。
娘や息子が「病みやすい」「辛い」のは
ある意味、当然といえば当然で。

その資質・特性による
母親から子供に伝えられる
非言語のネガティヴは、
思っている以上に「大きく」「根深い」
です。

わたしたちは
その事実に、もっともっと
自覚と認識を持った方が良い。

お母さん。
特に、日本人のお母さん。
母親になった女性は

意識して欲しい。
本当に、大切にして欲しい。

経験した人なら分かると思うけど
子供ができると、凄いんです。
途端に「こころの問題」が顕在化してしまうから。

わたしたちは日本人です。
だからこそ、
だから故に、

大人になっても「境界線が引きにくい」という人が多いのだと思います。

物心ついたときから「こころを読んでしまう」から。それは、一度日本人に生まれてしまったら、もうわたしたちに「選択肢は、ない」です。

選択肢が、ない。

では、どうするのがいいか?

受け入れる。

それ一択です。


日本人として生きるなら。
わたしたちは、自分の、みんなの、
それぞれの「繊細さ」を
もっと意識的に「ポジティブに受け入れられる」そういう器つくりに、

もっともっと、「時間を割く」べきだし。
もっともっと、「価値」として捉える教育が必要。

わたしは、そんな風に思っています。

せっかく、
日本人に生まれ
日本人として生きるのなら。

物凄く素晴らしい価値で。
物凄く素晴らしい資質なんだから。

今生きている子たちのためにも
これから生まれてくる子たちのためにも

わたしたち大人が
日本人の資質というものを
きちんと「価値」として分かっていなければ。

どんどん「繊細さんが生きづらい世の中」として、日本人は「人との関わり」がイヤになってしまう。

そういう「資質、特性」の人間だから。

まず、
そういう「前提」に立ってみると
色々みえてくる世界は変わりませんか?

わたしたちは、
今「生きている」ということは、よほど特殊でなければ、1人も例外なく「お母さんのお腹の中」で暮らした時期があります。

「お母さんの体内」で
「10か月も生きていた」のです。


凄くないですか?

お母さんのお腹の中にいるときから
細胞レベルで「お母さんを感じている」わけです。

そんなの、凄いレベルで
「同化する」「共鳴する」に決まってますよね。

「してない」方が、むしろおかしいです。

同化、共鳴、してるんです。
物凄いレベルで「自然」に。

そこに、わたしたちの
意志のチカラや自覚や選択なんて、
「ない」です。

凄いこと、なんです。

そういう「前提」で感じていかないと
自分と母親が「どのくらい同化・共鳴しているのか」って、本当にわかりません。

その「母と子」両者の暮らしや関係を
目で見れる環境で同居している人なら、わかる。感じる。かもしれませんが。

物理的に離れてしまうと
その女性のパートナーや配偶者なんか、「知る術がない」です。
母親とその女性が一緒に過ごしているのをよくみているとか。寝泊りして知っていない限り。

実際に「母と娘」が関わっているところをみないと、一般的には「わからない」こと。

だから、
女性は「自分で、意識して」気づいていく必要があります。

以心伝心のチカラが、
「母と娘」の間でものすごく働いているんです。

デフォルトです。

それがのちに
様々な人間関係において
影響を与えます。

男女関係においても、そう。
同性同士の関係でも、そう。
結婚でも。出産でも。
こどもが成長していく時期
でも。
なんなら、孫の孫の代まで。

女性にとって「母親」という存在は
ものすごいレベルで「影響力」があります。

子を産み、育てる、子育て

身体から。
細胞レベルで

伝えている

から。

だからこそ
「意識して、境界性を引く」こと。

あなたの前提は、どうですか?

母親とどのくらい「同化」「共鳴」しているでしょうか。

「わたしは日本人である」
「わたしは日本人女性である」

あなたは
あなたのソレに「誇り」を、感じられますか?



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