親子愛という名の宇宙の話 vol.3 Aさんの家族との「愛し合う姿」を肌身で体感。

ここから書く内容は、「言葉」にするにはあまりにも限界がありますが。
必要な方に「届く」といいなと願い、つづります。

↓コチラ、2記事の続きになります。

私がAさんのご家族とお会いした場所は「自宅」。
Aさんのお母さんとおばあちゃんが一緒に暮らしていた自宅です。

プライベートな場所・空間で
Aさんと、Aさんのお母さん、Aさんのおばあちゃんとお会いしました。

Aさんのお母さんは70代。
話は色々と伺っていたし、昔手紙で直接やりとりをしたこともあったので、
Aさんのお母さんの「イメージ」はハッキリあったつもりでしたが。
やっぱり「リアルで会う」って全然違うんですね。

想像をはるかに超える「強烈な魅力」が まず初見から。
わたしにとっては「憧れの存在にやっと会えた」ような感覚もありました。なので、会う前の日から、既に「緊張と興奮」です。


Aさんのお母さん、「強烈な個性」が際立っておりました。
個性の塊って、こういうことを言うんだな、と。
色んな意味で「凄み」やエネルギーの大きさを感じました。

けれど、その個性とは相反するような「繊細さ、優しさ」
Aさんのお母さんから感じられるのです。
絶妙な「懐の大きさ」というんでしょうか。
個性が強いのに、「浮いてない」んです。
なんとも、不思議な感じ。

「自然体で、オープン」という言葉が1番適しているかな。
それは、Aさんが持っている「独特の雰囲気(感じ)」と似ていました。

まずそれが印象に強くありました。

そして、Aさんのお祖母さん。年齢は90代。
「もう死期は近い」と医師から言われ、自宅で寝たきりな状態でした。

見た目からしても「なんとか生きている」ような状態。

わたしの話になりますが、7年前。
私は父方の祖父が亡くなった時、お葬式で棺桶の中の祖父の顔を見ました。その時の「骸骨のようになっている祖父の顔」を今でもよく憶えています。

Aさんのお祖母さんの顔も、それに近い状態でした。表情や、いのちのエネルギーはかろうじて残っているけれど。もう、そのエネルギーは今にも消えてしまいそう。

Aさんは、お祖母さんに会うのが4年ぶりです。
お祖母さんが「そういう状態」になってから会うのは、Aさんもその時が初めてでした。

言葉には出さないけれど、色々とショックだったと思います。

部屋に入って ベッドに寝ているお祖母さんをみて
Aさんは第一声、『笑って』話しかけていました。

あの瞬間に放たれたエネルギー。
わたしは一生忘れません。

なんて話しかけたか言葉は憶えてないけど。
お祖母さんの手をとって、 Aさんが優しく顔やカラダに触れていました。

本当に、優しく。
まるで「結界が張られている」ようでした。

Aさん以外 今この空間に絶対「入れない」っていう。そういう、「神聖な空気感」が張っているのです。

私は物理的にすぐ隣にいたけど、入れない。
入ってはいけない。
でもそれが、「威圧感で入れない」のではないのです。

そこに「特別な空間」が生まれているってこと。

もちろんそれは、 わたしが「感じた」もので。
Aさんに「入ってくるな」とも「入らないで欲しい」とも 言われたわけじゃありません。

けど、 これは「入っちゃいけない空間だ」って。一瞬で、わかる。
そういう「神聖な愛の空間」が出来上がっていて。
わたしは、今にも泣きそうだった。

だって
お祖母さんが、本当にすごく嬉しそうで。
本当に「幸せ」なのです。

お祖母さんから伝わる喜びや幸せは、

まるで、
Aさんの「娘」のようであり。
Aさんの「母」のようであり。
Aさんの「恋人」のよう。

お祖母さんにとって、Aさんが。
Aさんにとって、お祖母さんが。
ものすごく「特別な存在」であることは明らかでした。

わたしはAさんの隣に居ましたが、
感じることが「たまらなくなって」。
そんなお2人を「2人きり」 にさせてあげたいと思って、
静かに隣の部屋移動しました。

襖が開いた状態だから「物理的に空間は続いている」んだけど、
お祖母さんのベッドのある部屋には、
Aさんとお祖母さん2人きり。
その「クローズな空間」には、特別に温かく、とても「しあわせなエネルギー」が巡っていました

Aさんのお母さんは、わたしと同じ部屋の
同じ机を囲んで、一緒に居てくれました。
わたしに色々気を遣ってくれていたのもあって
話題を提供してくれて、普通に話してくれる。

Aさんとお祖母さん2人の時間と空間は「邪魔しない」。そういう配慮がありながら、
わたしと、一緒に来ていたAさんの息子さん(Aさんのお母さんにとっては数年ぶりに会う孫)が、そこに「居づらくないよう」にと、自然な配慮をしてくれていました。

なんていうんでしょう。
ああいうのが、家族の「阿吽の呼吸」
というものだったと思います。

だから、それが
本当に 「結界」 のようだったのです。

Aさんとお祖母さん。
Aさんとお母さん。
お祖母さんとお母さん。

それぞれの「2人きり」が生んでいるものと、
3人が「ひとつ」で生まれているものと。

そんな「絶対領域」みたいなものがあって。
そういう エネルギーが存在していることを、
わたしは、ただただ感じて。
その空間に、圧倒されていました。
本当に、「凄いな」と。

凄いんです。
全然違う。

わたしが知っている
一般的にみる、きく、知っている「家族」
というものと、 全然違う。

「絆」と「愛」が凄い。深い。

それが、一方通行じゃないんです。
「交わっている」んです。
「通じ合っている」っていうんでしょうか。

重ねてきたものや、
層になっている感じ。
広いのに、深いもの。

どういうことなのか。
初めての体感に、わたしはとてもドキドキしていました。

現実に、
こういう感じの家族が リアルに存在するんだ、って。
そういうことに 驚いていたのです。

映画の世界、
空想の世界。
創り話の世界でしか、知らないよ。こんなの。

だから
わたしは ずっと圧倒されっぱなしでした。

機能不全家族で育ってきたわたしにとって。
そして、Aさん自身も決して「恵まれていた環境」
だったわけじゃない。

そうじゃないのに。
そうじゃないから、こそ。

わたしは、驚愕していたのです。

Aさんが「創りあげている世界」のこと。

受け取っている愛と
手にしている愛と
受け渡している愛と。

全てが、目に見えるようでした。

わたしにとっては
ものすごく「貴重な体験」だったのです。
衝撃的な。

あの「愛のカタチ」は
わたしの人生において「 体感すべき愛」だったのだと思います。

あのタイミングで、Aさんの家族の時間に同席したこと。

あれよりも早くても「感じられなかった」かもしれないし。
あれより遅かったら、お祖母ちゃんに間に合わなかった。

あのタイミングにも、
わたしは「間に合った」のです。
ものすごく大事な時間、瞬間に。

昨年の夏の話です。

わたしは深い『家族の絆』 を体感しました。

目に映っているものは「違う」し
聞こえてくる言葉も「違う」のに。

だけど、ある。
「こころの絆」 が、存在する。

そんな、
深い愛のエネルギーが流れる空間と時間を。

それぞれから。
そして3人から。
強く、深く 感じたのです。

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