幸せ恐怖症 vol.1
わざわざ、なぜ
自ら「幸せ」から遠ざかるのか。
その原因の大きなものとして
わたしには「母」だった。
・ 劣等感が強すぎる母親
・ 自分は「不幸だ」と思っている母親
こういう母親をもつと、こどもは「幸せ」から遠ざかる。
理由は簡単。
母親が、こころの奥では「こどもの幸せ」を望んでいないから。
もちろん、母親も「無自覚」の場合は多いし
外からは全くわからないものでもある。
こどもだって、まさか自分が
自ら「幸せになれない」「幸せを手放す」方を選ぶなんて。
そうしたいと思ってないのに、「言動」は、真逆のことをしている。
そんなことが起きているなんて
自分自身「信じがたい」「受け入れ難い」こと。
だけど
そういうことは、「娘」である女性に、起きやすい。
わたしの場合は
完全に「母親の不幸」「母親の劣等感」だった。
学生時代に、母親から「不幸な生い立ち」を聞いて
母親から「内緒ね。kuroだけに言えるんだ」と
自分にだけ「家族の愚痴と悩み」を聞かされて。
高校時代に「母を助けるのは、わたししかいない」と
こころに決めてしまった。
ショックだったのだ。
母親に打ち明けられた内容が。
そして、そこから、
わたしは「母親が嫌う人間」を嫌い、
「母親が嫌いなタイプの女性」を嫌い、
自分は「そうならないように」と。
意識することもあれば
無意識のうちに「そうしてしまっていた」ということもある。
とにかく、17歳頃から
わたしの色々な選択が「母親がどう思うか」が基準になった。
そして、
わたし自身は「実家を離れる」ということを
18歳のときに叶えた。
離れることは「母親が許可したこと」でもあったので
わたしにとっては、叶ったことだし。
それで良いと思っていた。
けど、
わたしが初めて実家を離れたときに
母がわたしに送っていた手紙の中には
「寂しい」「kuroが居なくなってどうしよう」と。
とても名残惜しい内容が書かれていて。
それは、
わたしにとって「母親を気にし続ける」には
十分な内容だった。
自分は「離れて嬉しい、ホッとしている」し。
小学生の頃から「実家から逃げたい」と思っていたのだ。
その「想い」は、わたしだけじゃなく
「母親の想い・願い」でもあって。
より強く、わたしの中にずっと根付いていたものだ。
だから、
離れて「幸せ」「嬉しい」はず、なのに。
わたしはずっと
「嫌いな親と、いまだに一緒に暮らしている、実家の母親」のことが
ずっと、
ずーーーーっと「気になる」ままだった。
彼氏と一緒に「幸せな時間」を過ごしているときも。
職場の同僚と楽しくランチをしたり、街に買い物に出かけるときも。
ひとりで大好きなドラマをみているときも。
結婚してからも、そうだった。
「幸せ」であれば、あるほど。
「幸せな時間」を、過ごせば、過ごすほど。
わたしは「母の顔」を思い出す。
用もないのに電話をしてみたり。
夢に家族が出てきたら、電話をしてみたり。
いちいち「確認する」ようなことを、していた。
親や家族に時々電話すること。
それだけみると
さほど「おかしなことではない」と思うかもしれない。
けど、違うのだ。
母親と、家族と、「健全な関係性」であれば、
その行為は「思いやり」の温かい行動かもしれないけれど。
わたしの場合は「脅迫めいたもの」で。
気持ち的には「イヤな気持ち」になっている。
かけたくないのだ。
そして、ナニという話もない。
母親と「変な距離」が、いつもある状態。
要は「母親の本音」の部分を「感じてる」わけで。
それが「わたしを置いていかないで」という
そういうメッセージ。
それが、もうわたしの中に
完全に出来上がっていたから。
母親がいくら「なにも起きてないよ。心配しないで」と
言ったとて。
17歳のときに「母親を救うのは、わたししかいない」と
こころの中で誓い。
母にとっては「わたししか居ないんだ」と
そう思い込んだわたしには
その「心配しないで」が
全く「本心」には思えなかった。
わたしが、
大人になるまで、こんな風に強く「母親の言ったこと」を
間に受けて、ずっとずっと「母親のことを気にしていた」のは
わたしの「発達特性」による「執着」が引き起こしていたかもしれない。
大人になって、
わたしが「ずっと気にしていた」ということを本人に伝えたら
「そうだったんだ。ごめんね。ありがとう」
ではなく
母は、半笑いでこう言ったのだ
「わたしは寝たらすぐ忘れるタイプやから、
あんたもそういうタイプやと思ってたわ!」
と。
こんな人を「助けよう」と
大人になるまで思ってただなんて。
本当に、
わたしの人生なんだったんだろう、と。
その時は、怒りに震えましたね。
鼻で笑ってることも。
それで済まそうとしていることも。
わたしの「気持ち」も軽視されて。
全く「悪びれた」様子もなく。
自分と「同じタイプだと思ってた」と。
散々、こどもに「愚痴の聞き役」をさせておいて。
自分がしていたことの大きさも
理解しようとする気持ちや、こころもなく。
わたしの母は、
なかなかに「こころが壊れた」人でした。
そういう母に
「わたしを置いていかないで」
というメッセージを「非言語」で
わたしはものすごく沢山受け取っていた。
母の「劣等感」からの
重すぎるメッセージ。
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