「母親役」を得られなかったわたしは、ふりきって「母親役」をこどもたちに与えていた。(後編)

2歳の女の子の「生きている姿」そのものが、わたしの「無条件の愛」に火をつけてくれて、わたしは「こころ」が蘇りました。

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大人になるまでに
圧倒的に「母親役の関わり」が欠如していたわたしは、
なるべくして、こころを壊しました。

けど、回復できた。

その回復のきっかけが「わたしの内側に眠る、『無条件の愛』の存在。

わたしの中にある確かなそれ。
2歳の女の子の存在が、「あなたには、あるよ」と教えてくれたことで
わたしは「生」を蘇らせたんです。

元気になれた自分。
笑える自分。
感情がうごく感覚。
わたしに「無条件の愛」を感じること。
その安心感。

どれもこれも、
ものすごく、嬉しかった。

そして、わたしは「そのパワー」を持て余し。
そのチカラをもっと確かめたい。
そんな気持ちで、「こどもに関わることがしたい」と。
強く切望した。

わたしにまだ「こども」が居なかったから。
「他人のこども」になるけど、
とにかく誰でもいいし、どんな子でもいいけれど
とにかく「こども」という存在と、もっと接したい。

それで、複数の託児所や保育園で働くことを
わたしは選ぶことになります。

あの時の選択が、
わたしの人生の中で一番
「強く、自分で望んだもの」だったと思います。

『こどもと関わることがしたい』

という希望。願望。

約3年、「こどもに関わる仕事」をして
わたしはその間に結婚、妊娠、流産、妊娠、出産
という経験をして、長女が無事生まれてくれます。

中絶も流産も経験していたわたしにとって
ものすごく嬉しかったし。
本当に「幸せな時間」でした。

こどもに関わる仕事を3年してみて
わたしの中にはある信念が決まります。

「こどもにとって、やはり、
 『母親役』(無条件の愛)が先に必要なんだ」

と。
自分の中で、確信していました。

それで、わたしは自分の「子育て」において
一番価値をおいていたのが「母親役」の関わりです。

そして、それをただ、毎日ひたすら
幸せに、喜びと共に、こどもに与えていました。

あんな幸せな時間、ないと思います。
母親にとって、あんな幸せな時間。

わたしは、
ものすごく幸せでした。

そして、
こどもも、健康で、穏やかで。
とても「精神的に安定した」乳幼児期を過ごしました。

病気知らず。
トラブル、ほんとありませんでした。




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