学内カウンセリングの活用法
今日、ふと洗濯物を干しながら、「大学院生の時に行ったカウンセリング、よくわかんなかったな…」と思ったので(洗濯物は特に関係ない)、記事にしておこうと思います。
私もよくわかんなかったなと思っていますが、多分カウンセリングしてくれていた人の方が、あいつなんだったんだ、と思っていることでしょう。
私が利用した学内カウンセリングとは
私が大学院生(博士課程2年中ごろから博士課程3年中ごろまで)のとき利用していたカウンセリングは、病院などで実施されるカウンセリングとは違って、大学院生がカウンセラーをやっていました。
カウンセラーは臨床心理士を目指している学生さん(修士かな?)で、私がそのカウンセリングを知ったのは、ラボにチラシが入っていたからでした。
チラシの詳細は覚えていないのですが、「同じ大学院生がカウンセラーなので、気軽に話せる」みたいなことを売りにしていた気がします。
うちの大学は総合大学なので、多分どこかの学部の学生さんがカウンセラー役をして、その人のトレーニングと体験も兼ねる場として企画・実施されていたのではないかと思います。
というわけなので、もちろん、相手はプロではない。
当時の私もそれは認識していて、だからこそ、ちょっと意地悪に、「理系博士学生の悩みをお勉強の一環として覗いてやろうなんて、軽く見やがって」みたいな気分になっていました。まぁ、そのカウンセラー役の学生さんというよりは、そのカウンセリングを企画した先生なり学内関係者への怒りと呆れですけどね。(そのころは、自分の周りのすべてが気に食わない精神状態だったんだよ。)
カウンセリングを受けた目的
そんな怒りと呆れ(とちょっと好奇心)を抱え、私はこのカウンセリングを受けに行くことにしました。
最大の目的は、このカウンセリングルームを企画した人たちが、「理系の博士課程の学生の悩みは大変なんだなぁ、カウンセリング程度ではどうにもならん」と思ってくれるための実例のサンプルになること。あとは、一体どんなことするのだろうという興味。それから、今の私の状況を客観的に記録してほしい(私から伝えるという点ですでに主観入りまくりではあるが)というもので、この苦しい状況を改善する第一歩にしたいという気はほぼありませんでした。第三者に言ってどうにかなるもんでもないし。
カウンセリングに行き始めた時が具体的にいつだったのか忘れましたが、確か、修士の研究内容を英語の投稿用の論文にまとめ始めたら修士時代の指導教員が「N数が足りん」とか言い始めて追加実験をすることになり(だったら最初に言っとけよこの無能が)、その一方で博士の研究の実験もやらなくちゃいけないのにそっちの時間が取れなくて、博士課程の指導教員に「まだ修士の実験してるの?(=博士の実験をやりなよ)」と言われていた頃です。
いやー、いま考えてもクソみたいな状況ですね。主に修士時代の指導教員が。(博士時代の指導教員の指摘はごもっとも。)今考えても腹立ってきた。イラッ。
カウンセリング初体験
そんな感じで、大して期待もせずにカウンセリングに行った私。
カウンセリングルームは、うちのラボの実験室があるのと同じフロアで、本気でカウンセリングしたいならもっと離れた部屋にしろよと思ったのを覚えています。(カウンセリングルームに入っていくのが見えてしまうので。)
カウンセリングルームとされた小さな部屋(実験室にもなりそうな殺風景な部屋)には、ラグが敷いてあって、ローテーブルとソファが設置してありました。急遽作った感がすごいというか、あり合わせ感がありましたね。部屋の奥には衝立があって、今でも気になっているのですが、私はそこに第三者がいたのではないかなと思っています。
カウンセラーは、チラシの通り、私と同い年か下くらいの小柄な女性で、1年くらい担当してもらったように思います。(そうだ、確か、この人がカウンセリングの担当から外れるから、今後もカウンセリングが必要なら次の人に引き継ぎますと言われて、それならもういらないなと思って私のカウンセリングの日々は終わったんだ。)
最初のカウンセリングでは、「今の私の状況について、指導教員や学年主任に話が行くことはあるんですか」と聞いた気がする。例えば、まぁ、具体的でなくてもいいけど、こんな風に困っている学生がいるから、教員は配慮してね、みたいなアラートや指導みたいなものを出す可能性はあるのかな、と気になりまして。
そしたら、結構明確に「No」と言われました。
今思えば、先生サイドに話が行くと分かると、思ったことを伝えられない相談者もいると思うので、妥当な判断なんでしょうけど。
ただ当時は、「なーんだ、なんにもしてくれないのか」と少々落胆した気はしますね。あのときはとにかく、私を苦しめている先生がどこかで痛い目見ればいいなと思っていたので(私性格悪いな)、そういう機会を提供するシステムじゃないのか、とがっかりし、それと同時に、じゃぁもう好きなこと好きなだけしゃべって帰ってやろう。と思いました。
話すことは大切だと思う。
カウンセリングには、週に一回のペースで通っていました。最初の3回くらいは、自分の状況話しながら鼻水と涙だらだら垂らしていました。
自分の状況を口から出して話すには、自分の置かれた状況、そこに至った背景を他人にわかるように整理しなおさないといけません。頭の中で整理していると、改めて、先生の私に対する扱いに腹が立ち、自分が上手く対応できていなかったことに腹が立ち、ついでに自分の計算高さとがめつさと、根拠のない自信にも呆れる気分になり、もう本当に、大人になってから人前でこんな泣く???って感じに泣きました。(ティッシュペーパーめっちゃ使わせていただきました。)
これはね、思ったよりも効果的でしたよ。やっぱりね、友達に話すとなるとさ、自分をちょっとよく見せようとか、これは言わないでおこうとかいろいろ考えつつ喋ることになるわけだけど、カウンセラー役の人に対しては全くそんなこと思わないわけです。もうね、考えてたこと喋りまくりましたよ。
先生死ねばいいとか不幸になってほしいとか言っていた気がする。
カウンセラーの人がどう感じるかは、全く考えていませんでした。もうこの部屋出たら会わないし、と思ってた(実際、これ以降会っていない)からね。
そういや、私はカウンセリングの方法はよく知らないけど、あの人たちって自分の意見は絶対言わないんだね。
例えば、私が「~~~っていうことがあってすごく苦しいです」って言うと、「そうなんですね、~~~で苦しいんですね」っておうむ返しする感じ。そういうわけなので、全くアドバイスとかそういうのはなかったのだけど、もう、カウンセリングはとりあえずしゃべるための時間になっていました。
問題を勝手に解決した私
ま、そんなカウンセリングを毎週受けつつ、研究も実験もしつつ、就活も初めた私。なんか知らんけどあれよあれよと内定貰い、博士課程退学しまーすと言い放ち、なんかよくわからないままカウンセリング終了になりました。
今思うと、なんか、私の言葉の暴力でぼこぼこにしてしまった挙句、勝手に内定取って解決法見つけて、カウンセラーさんにとって意味不明な客になっていたのではないかなと思います。
きっと、あいつなんだったんだろうと思いながら実習を終えたはず…。当時は、それも併せての実習なんだし、win-winだろう、と思っていたけど、菓子折りでも持って行ったら良かったな。
人の悪意に触れると疲れるじゃないですか、それが自分に向けられたものでなくても。カウンセラー役の方には、ちょっと大変なことさせてしまっていたんじゃないかと、ちょっと反省しております。
お礼は届かないけど、あなたのカウンセリングに救われていた部分も確かにあるんですよと、伝えられたらいいなぁと思っています。