おじいちゃん
3年前、おじいちゃん家の掃除をしている時に
亡くなったおじいちゃんの沢山の手記をみつけた
立派な手帳が何冊もあった
なかにはチラシに穴開けパンチして紐で結んだ小冊子みたいなものもあった
立派な手帳は手に取るのも緊張した
片付けがてらは読みたくないなと思い
掃除をキリの良いところでやめて
おじいちゃんの好きなお茶を淹れた
離れの家で一人ソファに座って
まずはチラシの方から読んでみようかなと思い
チラシの小冊子を手に取った
表紙を開くと
大きく力強い字で
「一日はまさに一生の縮図である」
と書いてあった
目に飛び込んできた途端にハッとした
この言葉が体中で除夜の鐘のように何度も何度も響き渡った
今日一日の生き方が僕の人生そのものなのだ
重苦しい曇天がすーっと晴れていった
今日一日の終わりが一生の終わりと同じであるということを時間も空間も飛び越えて
僕の最期の瞬間までおじいちゃんは全てを見せてくれた
今日一日の連続体が一生の正体だとこの手のひらの上で明かされて
僕の胸に置かれたこの言葉がまるで光の玉のように体の中の隅々まで明るく照らし
目の前の景色さえも色鮮やかに明るくなった気がした
背もたれに寄りかかり目を閉じると
涙が溢れてきた
おじいちゃんの遥か彼方まで広がる偉大さと
そっと肩に手を添えてくれているような優しさ
言葉にできない思いが込み上げてくる
ゆっくりと胸いっぱいに空気を吸った
ほっと息をつくと
おじいちゃんの顔が浮かんできた
行きつけの鰻屋さんで
おじいちゃんが注いでくれた
最初で最後のビールを
その向こうの笑顔を
僕は今日も忘れない
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