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気まぐれ日記2021.7.5

【メッセージ】
最近ふと思い出したエピソードがある。
『24』にまつわるエピソードだ。

時間ではない。
エンジェルナンバーでもない。

中畑清。そう背番号だ。


小学校中学年から高学年に上がる頃だったか、娘のことを『キヨシ』と呼んでいた時期がある。
進級しクラスメイトが変わっても、出席番号『24番』が続いていたからだ。

いつも(どちらも)ふざけているので、「キヨシ」と呼んでも怒られたことはなかった。
もちろん2人の時にしか呼ばない。

理由を聞かれ、「もし男の子だったら『キヨシ』にしようと思っていた」と嘘をついたことがある。
すぐに「中畑清の背番号が24番だからだよ。」と本当のことを伝えたが、ピンと来るはずもない。

昨日、娘に「キヨシって呼んでたの覚えてる?」と聞いてみたら、しっかり覚えていた。
しかしその理由は曖昧で、

「男の子だったらキヨシだったんでしょ?」

と言われた。
もう一度本当の理由を伝えたら、そういえば…くらいの反応だった。

「だって、そっちの印象が強いから…」


ごめんよ。
よし、数年したらまた聞いてみよう。
(反省なし)


中畑清を知っている人はどれくらいいるだろうか。
私たちの年代はほとんど知っているだろう。
元プロ野球選手で元監督、今は解説者などをしている元気なおじさんだ。

地元出身ということもあり、甥っ子が同級生に居たので私にとってはとても身近な人。

せっかくなのでWikipediaより抜粋 ↓

中畑 清(なかはた きよし、1954年1月6日 - )は、福島県西白河郡矢吹町出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督・コーチ。1980年代の読売ジャイアンツの中心打者として活躍し、労働組合日本プロ野球選手会初代会長を務めた。引退後は巨人の一軍打撃コーチを務めた後、2004年アテネオリンピック野球日本代表ヘッド兼打撃コーチ・監督代行を務め、銅メダルに導いた。その後2012年より横浜DeNAベイスターズ初代監督(大洋ホエールズからの通算では第29代)に就任し、2015年シーズン終了まで在任した。2016年から野球解説者に復帰している。

〈人物〉
中畑家は陸奥石川氏の一族で、前九年の役に石川有光の子の九郎光幹が中畑と称したことからはじまる(『白河古事考』)。戦国時代にはその系統の国神城主の中畑晴辰(はるとき)が抵抗したために、豊臣秀吉から改易されて、浪人・土農の落ち武者狩りで討たれた(広瀬蒙斎『白河風土記』)。中畑はその晴辰の子孫である。
祖父の代に、横浜戸塚で土木業を営み成功したものの、瓦工場に商売替えした後で失敗し、清の父を含む一家とともに帰郷した。中畑は貧しい少年時代を過ごしており、後に「米に牛乳のせる生活体験したらどんなつらい生活でも耐えられるよ」と述懐している。その後、郷里福島での牧畜業で成功した結果、父にグローブを買ってもらったのがきっかけで、野球に本格的に取り組むことになった。



女の子なのに、なぜ『キヨシ』というあだ名をつけたのだろう。そしてなぜ素直に受け入れたのだろう。

娘には酷いことをしたかもしれないが、本人が気にしていないようなのでヨシとしよう。

ちなみに、産まれてくる子供は男の子だと思っていくつか名前を準備していたが、その中に「キヨシ」という名前はなかった。


なぜ急にこのエピソードを思い出したのだろう。
24を目にしたのか、キヨシのワードが耳に入ったのか…


念のためエンジェルナンバーを調べてみた ↓

エンジェルナンバー〈24〉
強い信念(情熱と熱意)を持ってあなたの道を歩み続けなさい。天使達の強い加護によって、目標を達成することはもう目の前です。

前向きな思考と信じる気持ちが大切とのこと。

6/28に『メッセージ』という洋画を観たあと、2つのシンクロがあった。そして今回のメッセージ。


24は『キヨシ』のことではなく、エンジェルナンバー『前向きな思考を大切に』という事だったのだろう。
その方がしっくりくる。
是非ともこちらでお願いしたい。


〈余談〉
感染しているとは思っていたが、YouTubeにまた吉幾三さんが出てきた。
しかも『NDA(んだ)』ではなく、レゲエミックスの 『NDAB(んだぶ)』のほう。

『んだ』は『ん』から始まる最強の日本語だ。
これも何かのメッセージなのか!!!


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