気まぐれ日記2023.11.11
【ほぼ妄想の回】
古代日本について物申す。
わからないことが多すぎる!
楽しい!
ここ数回続けてきた縄文シリーズ、いろいろ調べて感じたのだが『調べにくい』この一言に尽きる。
市や町単位で情報を整理している自治体はあるが、県の資料も文化財団体の資料も虫食いだらけ。
福島県の遺跡について、どの資料を見ても年代順になっていないか、なっていても一部抜粋。もしくは学術研究のための小難しいデータベースに飛ばされてしまう。
県内の資料を地域別、年代順に一覧で見たいのにどこにも載ってない!
ということで、気になった所だけ自分で一覧表を作ってみた。
見やすい。(自画自賛)
なのでとりあえず解決。自分だけで楽しむ。
そして福島県の遺跡数が「14,703カ所」という事実を後から知った。
そんなの一表にできるわけがない。
広すぎる。多すぎる。
もう一つ問題なのが、調べ始めるとすぐ脱線してしまって全然進まない!ということ。
研究者ならとことん突き詰めればいいが、私には研究するほどの時間はない。掘らないと出てこないし、掘れば掘るほど深みにはまって抜け出せなくなる。
もう少し楽に調べられないものか。
…まぁ脱線も醍醐味としよう。
すぐ忘れるからメモをとる。
メモをとると安心して忘れる。
新たにメモを追加しようとして、前にも書いていたことを思い出す。
ぐるぐる、ぐるぐる。
いま、気になっていることがいくつかある。
すべて中途半端。調べている途中で放り出したまま。
何がなんだがわからなくなったので、とりあえず全部吐き出してみることにする。
何が出てくるだろう。こわい。
①福島県内の遺跡について
縄文時代以降の遺跡について、全然まとまらなくて手付かずになっていた。
ここで、少しだけ追加紹介。
●縄文晩期~弥生時代【窪田遺跡】(会津只見)
神津島産黒曜石、オパール、頁岩の入った土器
●弥生時代【天神原遺跡】(双葉郡)
集団墓地、土器棺墓
●古墳時代【大塚山古墳】(会津若松市)
前方後円墳(東北4位、県2位の大きさ)
木棺あとから銅鏡、碧玉、太刀など
みー命名:福島三種の神器
●古墳時代【大安場古墳】(郡山市)
東北最大の前方後方墳(後方墳1基、後円墳4基の古墳群)
●古墳時代【泉崎横穴】(泉崎村)
壁画(当時、東北で初めて発見された壁画)
●古墳時代【中田横穴古墳】(いわき市)
壁画(赤い三角文様)、珠文鏡、銅製品
勾玉、金銅製馬鈴(国内最大級)
こちらのサイトで、VRツアーが体験できる↓
●古墳時代【清戸迫横穴】(双葉郡)
震災の影響で未だ非公開
②福島は文化の交差点
ツアーガイドをしてくれた長島先生の著書に「文化の交差点」という言葉があったが、土器などはまさに東西南北すべての影響を受けていた。
そして集まるだけではなく、情報発信の中心地となっていたのも間違いない。
特に中心的なのは『会津』で、新潟(日本海側)、北東北、相馬(太平洋側)、茨城(北関東)を結ぶ地点となっている。
前回の南会津の土器を見てもらえば、MIXされていることがよくわかる。
現代もそれは変わらない。
会津といえば、地名の由来。
その由来が会津美里町にある一宮『伊佐須美神社』に残されている。
御祭神は四柱を総称して「伊佐須美大明神」
・伊弉諾尊
・伊弉冉尊
・大毘古命
・建沼河別命
あとから『会津』由来となった2人も合祀されたそうだ。
そして伊佐須美神社といえば、ご神紋は「十六重菊花紋」と社格の高さもうかがえる。
16枚、しかも八重は珍しい。(たぶん)
会津といえば、最初にもさらっと紹介したが【大塚山古墳】も気になる所だ。
出土した国内製と思われる『三角縁神獣鏡』は、岡山県備前市【鶴山丸山古墳】のものと同じ鋳型で作られおり、鋳型跡から会津の鏡のほうが先に作られていたこともわかっているそう。
どこで作って誰が配ったのかは謎だが、はるか遠くの地域と繋がっているというのも感慨深い。
古墳といえば、東北地方には少ないとされているが、まったくないわけではない。
宮城県名取市に東北最大級といわれる【雷神山古墳】があるが、数でいえば福島県でも相当数見つかっている。
東北ではぶっちぎりの1,050個。(令和3年度時点)
上記とは別に、新潟県と東北地方の古墳遺跡を地域別にまとめた表があったので画像を拝借する。
こんな山深い地域で、よくこれだけ見つけられたと思う。
福島も他の県も、山と同化してしまって気付かれていない遺跡もたくさんあるだろう。
今後、新たな遺跡が見つかることを期待する。
③アラハバキ神社
福島県内にはアラハバキ関係の神社が3つあり、神社名を「アラハバキ」神社としているのは2つ、どちらも会津若松市に鎮座している。
平沢地区にある神社は「荒鎺神社」と書き、田んぼの真ん中にポツンとあり詳細はよくわからない。
赤井地区にある神社は「荒脛巾神社」と書き、なぜか御祭神が「塩椎神」となっている。
平沢地区のほうはよくわからないが、赤井にあるアラハバキ神社は『鉄・製鉄』に深く関係していると思う。
ここの土地には鉄が多く含まれていて、地名の赤井もそれが由来となっている。
前に訪れた時も、真っ赤な道路に驚かされた。
もともとアラハバキ神が居たのか、後からアラハバキ神を招いたかは謎。
そしてもう一つの謎は、漢字が特殊だということ。
脛巾を使う場合は「荒脛巾」と3文字が一般的だが、ここでは「脛」「巾」を上下に合わせて1字にし、2文字で表している。
これは、多賀城にある荒脛巾神社と同じ表記だ。↓
この漢字を調べたら、似たような漢字があった。
「へん」や「つくり」など配置は違うが、一文字になっている。
この漢字は人名として使用されているだけらしい。
しかもほとんどが福島県。
これには伊達家の忍者集団「黒脛巾組」に由来する説がある。
伊達家といえば、宮城県多賀城市の荒脛巾神社は伊達家から社領が寄進されるなど縁が深い。
そして御祭神の塩椎神といえば、宮城県の鹽竈神社。こちらも伊達家の崇敬が厚く、歴代藩主が大神主として勤めてきた神社だ。
間違いなくここと繋がっている。
福島の相馬藩(相馬氏)と宮城の仙台藩(伊達氏)は、長い間領地を争い続けたという歴史があるが、元々は友好関係にあったとされている。
仲のいい時代に繋がっていたのか、敵対関係の時に潜り込んでいた名残なのかはわからない。
黒脛巾組の存在は『伊達秘鑑』に記載されているので信憑性も高いが、そもそも忍者なのだから情報は極めて少ない。
当時大活躍した裏の立役者クロハバキ一族を、少し形を変えてここに残した、という妄想が止まらない。
地元の方とか経緯を知っている人が聞いたら笑ってしまう妄想かもしれない。
でも楽しいからそれでいい。
直接関係ないが、仙台藩の「仙台笹」(竹に雀)だが、陣旗(軍旗)の1つに日の丸がある。
単純な模様なのでたまたまなのだろうが、一応出会ってしまったのでご紹介。
脱線も甚だしい。
④ヲシテ文献『ホツマツタヱ』と『天栄村』
存在は知っていたが、最近縁があり改めて内容を調べてみると、とても面白く親しみも感じている。
特に、ここ2ヶ月は本を読み漁っている。
なぜなら関東東北がたくさん登場するから。
記紀には東北がほどんど登場しないし、もともと古事記や日本書紀に詳しくないこともあり、違和感なく頭に入ってきてくれる。
偽書でも面白ければなんでもいい。
半分流して、本当だったら面白いなと想像して楽しむ。
宮下文書や竹内文書、常陸国風土記、出雲口伝やカタカムナなど古史古伝はたくさんある。
(カタカムナは姉がマスターしているのでやけに詳しい)
どれも面白いが、私の印象だとホツマツタヱ(秀真伝)を研究している人たちはみんな人がいい。
もちろん直接会ったことはないが、書籍や動画などを観ていると、他の古史古伝を否定せず、素直に受け入れる人格者ばかりのような気がする。まさに縄文精神。
おっと、また脱線した。
ホツマツタヱの何が気になるのか。
それは福島県からも見つかっているはずなのに、隠されているということ。
どう調べても本当っぽいのに、どうしても真実がわからない。
こんなこと書いたら私は消されるかもしれないが、頭の中の事を吐き出すついでに全部書いてしまう。
と言いながら、ビビリなので少しだけ。
昭和40年代にホツマツタヱの(写し?)全書が見つかったとされる温泉旅館。
当主の息子さんへのインタビュー記事が妙にリアル。
そして旅館の公式サイトに書いてある「歴史」のページには現在も下記のように書いてある。
この温泉には『平安時代、皇位継承にやぶれた宮人が逃げ延び、川底に沸く現在の「自噴泉岩風呂」を見つけ傷を癒した薬湯である』という原初が残されているが、それだけで皇族の方とこれだけの縁で繋がるだろうか。
人伝に聞くと昔から今も、問い合わせが絶えないらしい。
もう少し知っていることはあるがここまで。
これ以上、深入りしないでおこう。
(わからないだけ)
福島県天栄村はとても自然豊かな場所で、パワースポットとしても有名な地域。
今年の夏、初めて沢登り(沢歩き)のガイド付きツアーを体験した。
①桑名邸の不動清水→②龍ヶ塚古墳→③羽鳥湖→④二岐大滝→⑤御鍋神社→⑥二岐小滝というルート。
二岐大滝はガイドなしでは見つけるのが難しい場所にある。
ポイントなのは「二岐」という地域と「御鍋神社」の2つ。
この近くには、江戸時代前期から後期にかけ約160年間続いた木地師の集落跡「板小屋遺跡」が残っている。
明らかではないが、会津の領主が近江国(滋賀県)から入部した際、漆器職人と共にやって来たといわれている。
木地師といえば、木を加工して漆器問屋に持ち込んだりする職人。
滋賀県、これがホツマツタヱと繋がる。
ホツマツタヱ全40アヤ(章)の写本が、滋賀県高島にある『日吉神社』などから見つかっている。
写本(もしくは原本)を木地師の道具に紛れ込ませ、福島の地に隠したとしてもおかしくはないのではないか。
江戸時代の事情はよく知らないが、消されることを恐れた守り人が皇族ゆかりの地に隠す。あり得なくはない。
妄想が止まらない。
それに「御鍋神社」が奇妙。
本当に鍋が祀られているのだが、祠の中ではなくなぜか鈴の代わりになっていた。
本物の鍋を祀るなんて初耳。
だが、ホツマツタヱを読んで納得。
まず、13アヤに「ワカヒコ 妹背 清か」(伊勢の語源)がある。
汚い鍋が原因で夫婦喧嘩をしてしまい、オキツヒコ(後のカマドカミ)が夫婦の在り方について説くという話が書かれている。
そして22アヤ「火・水・土の祓い」では、重要な神様の話と、いかにカマドカミ(竈)が大切にされていたかが書かれている。
私の勝手な解釈だが、要するに「鍋、竈=夫婦愛」ということになる。
御鍋神社の由緒を読み直したら、確かに夫を思う妻の事が書かれていた。
ご祭神は「平の将門」「桔梗の前」「平の九郎」とある。
そう、あの有名な方々がご祭神となっている。
桔梗姫は将門を裏切って殺されたというのが定説らしいが、ここでは一族の足手まといになると自害した事になっている。
そして息子の九郞とその守護者たちは、これ以上の避難は困難と悟り険しいこの地で生き延び、その後天災にあって各地へ分散したとある。
「九郎」この名前がホツマツタヱ研究家、いときょう氏の発言にあったことを私は聞き逃さなかった。
平九郎とは「永井平九郎」のことだろうか。
そもそも永井平九郎とは誰だ。説明を読もうと思ったが、ぜんぜん頭に入らない。息子とは関係ないのか?
時系列がまったくわからない。
(調べる気がない)
ただ、ホツマツタヱが密かに発見されたとされる地で、ホツマにある夫婦愛の象徴「鍋」が祀られていたり、平将門、平九郎、木をくり抜く=木地師など、妄想するには充分すぎる材料が揃っているのは間違いない。
ホツマツタヱでは、天照大神を男神としているし、神様ではなく実在した「人物」として書いているので、よく偽書とも言われるが私はまんざらでもないように思う。
確かにホツマのヲシテ文字が、縄文から続く文字というのはどうかと思うが、かなり古くから口伝で伝わってきたものが、各地域の神社などで大切に守られてきたのだろうと思う。
縄文時代に居るはずのない馬が詳細に書かれているとか、計算すると200歳近い人物がいるらしいが、本当に馬はいたが少なすぎて骨が見つかっていないとか、200歳も計算違いとか実際は2、3人いたとか、、、
それを言ったら記紀も相当だ。
古史古伝は話し半分が面白い。
もしよろしければ、いときょう先生の動画↓
(たったの53回)
NAVI彦さんも好きなのでどうぞ↓
ヲシテ文字解説
ホツマツタヱも解釈はそれぞれ違うが、お互い誰も否定はしない。
みんな違ってみんないい。
天栄村の二岐山といえば、ダイダラボッチ伝説も忘れてはならない。(忘れてた)
ダイダラ坊という大男が、山をまたごうとして割れてしまったという伝承。
そして天栄村には、巨大遺跡も隠されている。
人伝に聞いた話だが、巨石同様製鉄跡も見つかっているのに誰も騒がないし調べようともしないらしい。
ミステリー。
本当にいたかもしれない。巨人。
でなければ、思念もしくは宇宙人。
同じように、猪苗代湖にも「手長足長」という伝承が残されている。
足長は磐梯山から隣の山までひとまたぎ。
手長は猪苗代の水で顔をザブザブ、大荒れになる。
縄文時代の旧勢力の事ではないかとも言われるが、伝承として巨人が残されるからには、実際に何かが居たのだろう。
そういえば福島市飯野町にあるUFOの里にも、だいだらぼっちの絵が飾ってあった。
なんだか巨人伝説が多い気がする。
UFOの里といえば、本日11/11は『UFOフィスティバル』が開催されて、宇宙人仮装パレードや三上編集長(所長)もイベントを盛り上げてくれている。
おや、もう昼か。
脱線しすぎて着地点がわからなくなった。
本当はまだまだモヤモヤしているが、一気に書きすぎたので一旦やめようと思う。
なんだか半分も吐き出せてない気がする。
続きはまた、気が向いたら。