見出し画像

気まぐれ日記2023.10.25

【リベンジ】
前回予告したドキドキ秋の土器まつり①
まずはこれ。
福島県白河市にある『まほろん』(福島県文化財センター)の特別展、前田遺跡の展示を見に行ってきた。

以前、前田遺跡(現地)の発掘報告会に参加できなかったのが残念で、仕方なく別の遺跡現場へ行ったことがあった。
仕方なくというのは最初だけで、この遺跡もすごかったし充分楽しめた。
当時と同じ土の上に立ってるというだけで大満足。

2年前、2021年12月
福島県喜多方市『藤権現遺跡現地説明会』 


地元の情報誌から『前田遺跡調査成果展』を開催するという情報を得た。しかも1カ月限定。
これは行くしかないだろう。目と鼻の先だ。
なぜ惹かれるのかはわからない。

最初は一人で行こうと思っていたが、寂しそうな顔をしていたのか夫もついてきてくれることになった。

結果、一緒に来てくれて良かった。他に誰もいない。
帰る頃には混んでいたが、早く着いてしまったので人が少なかったようだ。
ゆっくりじっくり見ることができてラッキー。


ここぞとばかりに写真を撮ったので、今回は前田遺跡の特別展を中心にお伝えし、次回は常設展示物について記録しようと思う。
動画で撮影して切り出したものもあるので、画質は悪いかもしれない。



パンフレットを見たり説明書きを読んで書いているが、私自身好きというだけでまったくの無知なので、間違っていたらご容赦願いたい。
それと、ただひたすら写真を貼って説明と個人的な感想を述べているだけの記録なので、そちらも覚悟してほしい。
私的には興奮して鼻を膨らませながら書いている。

まず、簡単に前田遺跡の説明から。
●場所は福島県伊達郡川俣町。(福島県の右上あたり)
●今から約4,800年前の縄文中期後半から約2,300年前の縄文晩期までの約2,500年間にわたって断続的に活動してきた場所である。
●縄文時代前期末から後期前葉にかけて、環状列石の配置跡。
 (発見当時は環状列石発見の最南端だった)
●縄文中期後半に制作された漆器や木製品が低地部から出土した。
●縄文中期末から後半前半は集落が最大になり多くの土器や石器が出土し、骨が残った墓も見つかった。
 →穴を掘って埋葬した「土壙墓どこうぼ」や、土器の中に遺体をおさめ埋葬した「土器埋設遺構」が数多く見つかった。
 →貝塚や洞穴遺跡以外の遺跡で、縄文人骨が見つかることは珍しい。
●縄文後期後半から晩期末には、多数の柱穴が見つかり、根元部分が残っているものもあった。
●2つの口を持った「双口土器」や、上方が円形で注ぎ口が付き下方が四角形の「注口土器」など、非常に珍しい土器も発見された。
●弥生時代についての記述は見つけられなかったが、「奈良時代」「平安時代」の遺跡もあった。


■前田遺跡の発掘調査で確認された遺構と遺物
(パンフレットより)
<主な遺構>
竪穴住居跡:112軒
土坑(お墓、貯蔵用の穴など):720基
土器埋設遺構:260基
配石・集積遺構:162基   ほか
<主な遺物>
縄文土器・石器・土製品・石製品など:約1,800箱
木製品・種実類・人骨ほか:約1,200箱



■住居について
調査区の東半分からは、縄文中期後葉から後期前葉にかけての居住跡が多く見つかっている。住居跡からは同じ場所に建て替えなどをしながら、繰り返し居住していたことがうかがえる。
縄文中期には、「複式炉ふくしきろ」といわれる大型の囲炉裏が配置された「竪穴住居」の跡が見つかっていて、縄文後期には、石組みだけの小さい炉に変わっているようだ。
床面に平石を敷き詰めた敷石住居跡も見つかった。

住居跡の現物は見れなかったが、写真を見てこれだけ遺跡が重なっていると調査するのも一苦労であったろうと感心した。執念ロマンだ。

ちなみに、このタイプの複式炉は「北関東」「東北」「新潟」の一部で見つかっている。



■漆器について
調査区の西側からは、縄文中期の木製品がまとまって出土した。
(約4,500年以上前)

漆塗りされた木製品は容器類、蓋、すくい具、竪櫛、弓幹などがあり、どれも色鮮やかに残されていた。
漆は3~5回ほど重ね塗りした丁寧な仕上げで、赤色漆の顔料はベンガラ(酸化鉄)が用いられている。
赤色漆と黒色漆で水玉模様を描いたり、内側と外側を塗り分けたりしており、高い芸術性もうかがえる。
*木製だけではなく漆塗り土器も多数見つかっている。

他の特徴としては、ずいぶんと凝った「把手とって」が多いと思った。
普通に持つだけなのに、どうしてこんなに手間をかけていたんだろうと不思議でならなかったが、きっと形や模様など丁寧に作るのにも意味があって、一つ一つに心を込めて大事に作っていたのだろう。

把手付浅鉢(ケンポナシ属)
把手付鉢(ケヤキ)
把手付鉢(ケンポナシ属)
浅鉢(ケヤキ)
蓋または容器(カエデ属)
用途不明のいろいろ
とってもオシャレ
結歯式竪櫛(髪飾り)
700点以上見つかった漆塗土器
渦巻紋やストライプ、ドット柄などの彩文土器多数



■他の木製品と編み組み製品
漆器以外にも、木の伐採などに使われた石斧、草を薙ぎ払う刈払具、土堀具など用途に合わせた木材を使用し様々な道具を作っていた。
中でも細かく編み込まれたカゴは数千年前のものとは思えないほど丁寧な仕上がりだった。これは現代でもザルやカゴに利用される編み方と同じらしい。
今でも福島県では編み組み製品が多く作られており、伝統工芸品として継承されている。

石斧柄、横槌ほか
刈払具ほか
丸木弓(ニシキギ属)
赤色漆や黒色塗料を施した飾り弓
すくい具(ケンポナシ属)
編み組み製品(タケササ類) 敷物?
編み組み製品(タケササ類) 筌?
編み組み製品群(タケササ類)



■その他 石器や土器など


土器は代表的な3点が展示されていた。
木製品が出土した低地部から見つかった土器は約10万点。
(コンテナ250箱分)

漆で彩色された土器や、内面に炭化物が付着した土器などさまざま。
渦巻紋や垂下紋など文様に共通性が認められ、文様の変化も限定的であることから、短期間に埋没したことが想定されるそう。
入念に磨きこんだ優品と歪んだもが混在していたことから、様々な技術レベルの縄文人が一緒に土器を作っていたかもしれないとのこと。
なんだか微笑ましい。

縄文時代中期中葉 深鉢
みー命名「トチノキ1号」
縄文時代中期後葉 深鉢
みー命名「どんぐり1号」
縄文時代後期前葉
みー命名「どんぐり2号」


用途がわからない物もあったが、多くの装飾品も遺されていた。
出土場所や量から、埋葬時の副葬品としていただけではなく、ふだんからオシャレを楽しんでいたに違いない。

土器片製円盤 中期後葉~晩期
土製耳飾り 中期後葉~後期前葉



そして、最後は前田遺跡のアイドル『ハート形土偶』のご紹介。
縄文時代後期前葉、右手と右手が欠けている状態。
配石遺構の下から発見され、土器の布団をかぶったような可愛らしい姿で発見。

素朴な疑問。
・なぜ欠けている?
・どういう表情?
・全身の模様は入れ墨?服?
・キリンの角みたいなのは髪型?アンテナ?
 ニコチャン大王の場合それは鼻で、ガッちゃんの場合は光線を発射できる触覚だった。
 (というどうでもいい注釈)
・耳はどこ? もしかして頭の上のやつ⁉
・頭の後ろに紐を通した?ちょうど指のサイズ…指輪?
 (そんなわけない…そんなわけ…)

くびれがあり豊満なお胸をしていてとても魅力的な女性だが、いかり肩が過ぎる。
私もそこまでではないがやればできる。
というか、娘の前(人前)でやったら逃げられた。
みなさんも土偶ごっこをする際は、人前でやらないように。




よし、これで一通り紹介できた。
他にも展示物はあったが、ここまでにしておこう。
一気に書きすぎた。

福島県の遺跡を発掘、調査、管理している団体
【遺跡調査部】サイトより
前田遺跡の調査報告↓

さらっとでもいいので覗いてもらえると嬉しい。
写真を見るだけでもドキドキワクワクだし、記録を読んでも楽しめる。


最後に、、、
■なぜこんなに状態が良いのか
説明文によると、土石流を含む砂質堆積物や地下水の影響により、風化や微生物による分解が非常にゆっくりと進んだ。
その結果、通常では腐食して残ることが難しい漆器や木製品、骨や炭化物などが豊富に見つかった、とのこと。


妄想ロマン
木製品の把手など細かいところの加工は土器よりも木製品のほうが大変だったのではないだろうか。道具の材料はすべて硬い木を選んでいるはずだ。

昔から良く切れるナイフとして黒曜石が重宝されていたのにも納得。
とは言っても、前田遺跡の展示物から黒曜石を見つけることはできなかった。他の遺跡では見つかっているので、発見されていないだけなのか石器のみで作っていた可能性が高い。
もしくは製鉄技術がすでに…というのは私の妄想。
福島といえば製鉄遺跡数300基で日本一。
7世紀中頃、近江国(滋賀県)の技術が東国へと伝播したというのが定説だが、砂鉄が多く取れるというだけでこれだけの一大産業になるだろうか。
昔から何らかの技術があったのではないだろうか。

砂鉄を溶かすには約1,400度を長時間保たなけばならないが、400度から溶解がはじまる褐鉄鉱かってっこうならどうだろう。
少し離れるが福島の中心「猪苗代湖」は昔から葦の群生地で、たくさんの鉄が土中に含まれる。

土器を作る際の温度(たき火)は800~1,000度といわれている。
鉄含有の多い土で土器を焼いた際に偶然「鉄」ができることはないだろうか…

400~1,000度の低温還元だと塊鉄ができて、さらにどうにかするとどうにかなるらしい(精錬?)
妄想の末に検索してみたら、それっぽいものを見つけた。
専門的用語ばかりで、ちょっと何言ってるかわからないが、とりあえずワクワクしたのでサイトを貼っておく。

不純物が多かったであろう品質の低い鉄は、酸化腐食し土に還元される。遺跡として残るはずもない。
まさにロマン。
鉄については思う所があるので、何かの機会に書いてみようと思う。


■全体的な感想
色鮮やかなものや細かい細工を目の当たりにして、縄文人の豊かな暮らしを容易に想像することができた。
私たちが知る「便利な生活」というよりは、「いかに充実した暮らしをするか」、そのことに工夫を凝らしていたように思う。
あの竪櫛を身につけ、オシャレな漆器で家事をする。
もうそれだけで心が満たされる。

いま、縄文精神を見習うときがきたのかもしれない。



ちなみに、私自身オシャレに興味はないし家事もあまりしていない。

想像力なら誰にも負けない。








いいなと思ったら応援しよう!