【竹原市】「たまゆら」のまち竹原市② 竹原市の今
平常時の竹原市はどうかというと、
たまゆらー有休組がそこらへんに…といったことはなく、
商店含めひっそりとしています。
ゆえに、一部のアニメファンから「アニメでのまち興しに失敗した」と言われることもあるくらい。
年に10〜20日は「ラブライブ!サンシャイン!!」の聖地静岡県沼津市にいる僕から見ると、
そう言われても仕方ない熱量かなと。
痛バッグにキャラTで歩けるアニメ聖地ではないですね。
「失敗した」のではなく、「元々こうだった」。
20年以上前から、竹原市は無いもののほうが多いまちでした。
このまちだけで生活が完結するという都市型のまちではなく、
三原市民・尾道市民が福山市に買い物に出るように、
竹原市民は買い物に行くといえば東広島市。
これは今でも変わっていません。
竹原市民と会話していると、「西条に行った」というフレーズをよく聞きますからね。
町並み保存地区という観光地こそ持ってはいるものの、
そこからの導線が延びておらず、動くことのない観光客。
他の市で買い物をする竹原市民。
お金が落ちないまちですから、発展よりも現状維持の色が濃くなってきます。
そこに、まちを大きく動かすパワーを持つアニメ聖地化の話が舞い降りたわけです。
軽トラの運転がいっぱいいっぱいな人に、スーパーカーが与えられたようなもの。
既にシャッター通りと化していた竹原市では、
半クラで進むのがやっと。
アクセルの開け方がわからないまま、
煽られながら半クラで進めるだけは進んできた。
そんな感じでしょうか。
とはいっても、盛り上がりはあったようで。
以下は沼津市で知り合ったたまゆらー兼ラブライバーさんによる懐古話を元にしたものになります。
アニメ放送中は全国各地からたまゆらーが道の駅たけはらに集結。
アニメヲタク交流の場として機能していたそうです。
が、「おかえりなさい」の雰囲気ではなく。
これまでとは毛色の違う観光客に向けられた地元民の目は、冷ややかなもの。
どこに行ってもアウェイ感が付き纏い、
まちから作品を大事にしようとしている気持ちは感じられなかった、と。
高齢者が多く保守的なまちなので、
“いなげなもん”が来ゃーがったと思われたのでしょうね。
いなげは広島弁で風変わりの意味。
乗り気だったのは、ほんのひと握りの商店のみ。
それでも増え続けるたまゆらー。
「これはまち興しに使えるものなのでは?」と、
まちが作品人気に乗っかる方向に傾いたのは、しばらく経ってからのことになります。
地域住民に理解されないままスタートし、途中から理解を得たところが、他のアニメ聖地と異なる点。
アニメ聖地として動き始めた竹原市。
作品制作サイドの後押しと手探りのおもてなし方で、次第に形になってきます。
定期的にイベントが開かれる中、劇場版完結。
その後に開かれたイベントが、アニメ聖地として歩んできた竹原市の今後に、大きな影響を与えることになります。
卒業式~TAMAYURA Last Event~。
公式の説明では「2010年11月のOVA発売から続いてきた約6年の歴史を締めくくる最後のイベント」とあります。
卒業
Last
歴史を締めくくる
最後
アニメ聖地としての竹原市は、これで終わり。
字面から、誰もがそう思うでしょう。
数年間作品と竹原市に寄り添ってきたたまゆらーもそう捉えたようで、
混雑することのないまちが混雑するほどの賑わいを見せ、最後の打ち上げ花火的な一日が終わります。
この日を節目に、たまゆらーとしての活動をやめ、他の流行りものに移行したアニメヲタクが相当数出たそうです。
この時点では竹原市とたまゆらは良好な関係を築けており、
まち全体にたまゆらが受け入れられ浸透していました。
元々まちの体力と熱量が低いこともあり、
大人本気の悪ふざけとまではいかないものの、自発的に盛り上げを後押し。
アニメ聖地のひとつとして認められるほどにはなっていました。
良識派のファンが舵取り役に回っていたことが、功を奏しています。
この頃にはアニメ聖地巡礼も珍しいものではなくなり、
「ガールズ&パンツァー」の茨城県東茨城郡大洗町のように、
アニメ聖地を新たな観光資源として、大成功を収めたまちも出てきていました。
区切りのようなイベントという悪手を打った作品制作サイド。
やっとこさの思いでまちに定着したアニメ聖地を、歴史のひとつでしたで終わらせてしまうには勿体ない。
有志たちの働きかけでももねこ様祭りは存続。
アニメ聖地の形はぎりぎりのところで保たれ、
当時からのファンの一部を繋ぎ止めている。
それが今の竹原市。
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