守破離を舐めたらダメという話【ダブルダッチに限らず】
守破離という言葉は知っていますか?
序破急とは違いますよ?序破Qでもありません。
剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。もとは千利休の訓をまとめた『利休道歌』にある、「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したものとされている。
コトバンク、wikiより
ウィキには難しいことがつらつらと書き連ねられていますが要約すると修行のプロセスで
1. 師匠の教えを守り、
2. 師匠の教えと異なる教えを取り入れ、
3. 師匠の教えとは異なるものを作り出す
ことで新たなものが作り出されるといったことが語られています。
守破離の守が1番難しい
守破離を遂行しようとする中で最も難しいのが守の部分です。
師匠の教えを守る、つまりは師匠と同じことをできるようになるのが守なのですがこれがまぁ難しい。
基本を理解して行えるようになるまでにとても長い時間がかかるし、何せつまらないんです。
師匠を越えようと思っているなら尚更風変わりでトリッキーなことをしたくなりますしそっちを開発している方が楽しいですからね。魅力的なんです。
ただ基礎ができないのに発展系をやろうとしている人がとても多い。
例えばダブルダッチのアクロバット。
ドンキーが出来ないのにロン宙に挑んでいる人がいたり、カブキが出来ないのに側宙をしようとする人がいます。
派手なプレーに憧れて入部したからにはそっちに目がいくのは仕方がないことですが出来なくて嫌になってしまっては本末転倒ではないでしょうか?
絵を描くのも、写真を撮るのも同じだと思います。
全ての技術はできそうなことの真似をすることから始まります。
これを守破離の守と言っているわけです。
師匠の教えを守る=師匠を真似る
ちなみに直接教えてもらっているかは師匠か否かに関係しません。その人の真似をしたい、この人みたいになりたいと思ったら会話したこともない人を師匠とすることも可能です。
逆に色々と教えてくれる人を見てその人みたいになりたいと思わせてくれない人は毎日毎日教えてくれていたとしても師匠とは呼べないでしょう。
守破離の守は「基礎的なすぐ出来ることを突き詰める根気」と「真似したいと思える師匠を見つける難しさ」があるのです。
守破離の破はセンスが問われる
守破離の守が出来たら破はそこまで難しいことではありません。破は冒頭話した通り「師匠の教えとは異なる考えを取り入れる」ことで、真似にアレンジを加えることを指します。
オマージュとも言いますね!
オマージュで重視するのはどれだけ真似の部分を感じさせながらオリジナリティを取り入れるかだと思います。
音楽ならジャズロック、楽器ならピアニカ、ドラゴンボールならゴテンクスのような感じで二つの教えをフュージョンさせることで新たな発見をすることが出来るチャレンジパートです。
そこでフュージョンさせるものにセンスが問われます。
なんでも合わせりゃいいというもんではありません。
「美味しいものと美味しいものを混ぜたら美味しいはず!」とか思ってると寿司パフェやらカレー味のかき氷なんかを作ることになります。
このフュージョンはセンスですね…
「正解がない」
というか正解がある場合はそれを真似しているだけになることになるのでそういう意味で守破離の破と離には正解は無く、他人からの評価を貰うしかありません。
「これは正解だろうか」と悩む暇があったら出来る限り多くの人に評価をしてもらうことをお勧めします。
守破離の離は圧倒的知識量が必要
破を達成したらかなりの知識を有していると思います。ですが離はその何倍もの知識量を必要とします。
冒頭の話の通り、異なるものを作り出す。つまりは今現在この世界に存在しないものを創造することとなるので創造したものが模倣になっていないかを考える必要があります。
守では一つの事象を真似し、
破では一つの事象ともう一つの事象の共通部分を真似しました。
離では全ての事象以外のものを作り出すものを創造します。
つまり様々なものを知っていてそのどれとも付合しない新たなものを創出することが離ということになるんですね。
軽く言ってますが結構なことですよ?
全てのものを知った上でそのどれとも異なるものを作り出す。
なんだか一生掛けてようやく1つ出来そうですね笑
今回は守破離について話しました。
結論守が出来て一人前、
破までいけたら大したもんで、
離まで行けたら先駆者です!