国民民主党 第2回憲法調査会「国を創る、憲法を創る、新憲法草案」1
東洋大学名誉教授・加藤秀治郎先生による「国を創る、憲法を創る、新憲法草案」講義前半部「2. 創憲会議の経過」までの文字起こしです。
■冒頭挨拶
(山尾)
今日は国民民主党の第2回の憲法調査会また引き続きフルオープンで設定をさせていただいています。本日は加藤秀治郎先生にお越しをいただきました。先生どうもありがとうございます。よろしくお願いします。
それではまず、玉木代表の方から、今日に向けた意気込みを一言お願いします。
・玉木代表
皆さんおはようございます。今日は第2回の新しい国民民主党になっての憲法調査会です。
前回はAIと憲法ということで、新しい視点での憲法論議を第1回やらせていただきましたけれども、今日は温故知新といいますかですね、これまでの議論を少し振り返ってみたいなと思います。
特にとかく憲法改正論議というと、自民党の、あるいは与党の専売特許のようなイメージで語られることが多いんですけれども、野党の中でも、これまで憲法論議の積み重ねは確固たるものがございます。
今日お越しいただいた加藤秀治郎先生中心になってまとめた改正草案というものもございますし、我々の先輩であります中野寛成先生、元衆議院議員で、民主党の憲法調査会長も務めておられました。
その中野寛成先生も中心となって、まとめた新憲法草案は、創憲会議がそれをまとめたということになっておりますけれども、その中心的な役割を果たした加藤秀治郎先生に影響を与えていただきながらですね、これまでの野党の中での憲法論議の歩み、その積み重ね、こういったものを改めて学びながらですね、それを今日的に、特に21世紀に入り、コロナを経験した我々が引き継ぐべきものと、さらにそこに加えていくべきもの、こういったものを整理する一助になればと思っておりますので、ぜひ今日は参加いただいた多くの一般の方もいらっしゃいますので、一緒にこれを勉強する機会になればなと思っておりますので、よろしくお願いをいたします。
(山尾)
舟山政調会長一言お願いいたします。
・舟山政調会長
おはようございます。
今日も多くの皆様にお集まりいただきましてありがとうございました。
また加藤先生、今日はありがとうございました。
私たまたま先月のですね、交通労連の会報の先生のコラム、今月のトピックということで拝見をいたしまして、大変感銘を受けて一度お話を伺いたいと思っていたところこういう機会がこんなに早く来て、大変嬉しいなと思っています。
そこに書かれておりましたのは、国民多数はすでに憲法条文がそのままで、問題を先送りするだけの護憲には背を向けてるんではないかと、このようなコメントがございましたので、前回も申し上げましたけれども、改憲だ護憲だではなくて、やはり憲法を知る、憲法を議論する、足りないもの、守るもの、しっかり確認するという作業は絶対に必要なんだろうなと思っておりますし、もう一つ私たちには、発信力を強化するべきだと、こんなお言葉もいただいておりますので、しっかりと胸に刻みながら、今日もこの勉強会を通じてよりよい実りある議論にしていきたいなと思っておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
・山尾憲法調査会長
ありがとうございました。
それでは私の方から皆さんのお手元の資料の説明だけさせていただければと思っています。
まず次第ですけれども、この表はシンプルなんですが、裏側なんですけれども前回と同じですが今日初めての方もいらっしゃいますので、一般の方に向けたお手紙と思ってください。
「国民民主党・憲法調査会へようこそ」ということで、この会は、国民が完全に自由に参加ができるということ、そして2時間というちょっと長めの枠で十分に一般の皆さんにも質問やご意見を言っていただけること、そして、終わった後も記録の映像とか、あるいは議事録ですね、こういったものをきちっとオンラインでも公開をして、この私達の議論の経過そのものが、皆さんの社会的な憲法議論の役に立つように、みんなでそうやって貢献していく場だというふうに思っています。
先日第1回をやって、その後一般の方や議員の方から、一番多かった感想が、何て言うの、喧嘩にならないねということでした。
とっても充実した議論というか、良い対話ができて、議員も一般の方の考えを知り、一般の方も議員の考えを知るといういい機会になったのかなと思いますので、今日もぜひ、違う意見を大事にしようということで、やっていきたいというふうに思います。
そして皆さんのお手元にもう1枚、すいませんリニューアルができず、まだ私の手書きなんですけれどもアンケート、これぜひ終わった後にご記入をいただければありがたいです。
そしてちょっと気が早いですけれどもお知らせです。次回、また来週の金曜日の同じ時間帯で第3回の憲法調査会がありますので、これをぜひご覧いただいた上で、早速今日の資料ですけれども、3種類の資料がございます。
この加藤秀治郎先生のお名前が一番上に入っているホチキスどめのもの、多分これをもとに今日お話をいただけるのかなというふうに思っています。
そしてあわせて、この裏表の1枚が、これも先生のお話の方で触れていただく、図かなというふうに思っています。
そして「創憲会議・新憲法草案全文」というものですけれども、これが創憲会議が提案した、その全文と解説本なんですが、今なかなか入手がしにくいということで、皆様のお手元に条文の全部を持っていただいて、今日お話を聞いていただこうということでご用意をいたしましたので、ぜひ参考にしながらお耳を傾けていただければ幸いです。それでは、加藤先生、改めてどうぞよろしくお願いいたします。
■加藤先生講義
・自己紹介
どうもご紹介ありがとうございます。
東洋大学名誉教授の加藤と申します。
5年ほど前まで、東洋大学で政治学を講義していた者であります。
ですから憲法論についても、一般に出されてるものとはかなり違うものがあるかと思いますが、その点お含みおきいただきたいと思います。
それで講義をしなくなって5年ぐらいになったもんですから、発声の機会が少なくてですね、少し滑舌が悪いということを時々言われます。お聞き苦しい点あるかと思いますが、ご理解いただければ幸いです。
それでは、お手元の資料に基づいてお話をさせていただきます。
私も座ってさせていただきますのでよろしくお願いします。
タイトルは「国を創る、憲法を創る」というタイトルでお話させていただきますが、今日は第二回ということですが、お断りしなければいけないのが※で書きました、全て一個人としての見解ですということで、私は現在政策研究フォーラムというところで、副理事長の役をしておりまして、それがその組織が憲法草案を作るのに関係したもんですから、関係あるといえばあるんですが、いろいろ違いが内部にもあります。その点は私個人の意見だということでご理解いただきたいと思います。
・1. はじめに
まず「1. はじめに」というところから入らせていただきますが、私は政治学から憲法の問題を議論し始めまして、非常に違和感をずっと覚えてきました。日本では政党がいろいろありますが、非常に変則的で、ヨーロッパなどではこういう形になっている国は、まず見られないと思います。
それで日本では1955年体制と呼ばれますが、保守革新ということで、対立軸ができたんですが、45年から55年ぐらいまでの10年間は、必ずしもこういう図式ではありませんでした。ですから、戦後すぐからそうなったと思わない方がいいですが、55年頃からこういう図式ができました。ヨーロッパでも西洋の左右軸、これは当然あるんですが、これが日本の場合非常に大きくなっているということです。
図表、裏表になってる方の、見ていただきたいんですが、図表のA、これは政治学で一般に言う右左でありまして、左右の全体主義があって、間に自由民主主義体制をとぶ勢力があります。間にはそうでないはっきりしない勢力があるんですが、こういうのがある意味当然であります。
日本では真ん中のところ、自由民主主義というのは、これをですねおこがましくも政党名に使ってる政党もあるもんですからですね、これは保守主義・自由主義・民主社会主義・社会民主主義を包含、全部ここに包含されます。
それでレジュメのところに戻りますが、戦後変則的になった一番大きい理由はですね、外国でしたら、左側でも防衛を肯定するというのがあるんですが、日本でもありました。共産党や社会党に関係した荒畑寒村さん小堀甚二さんっていう方がいまして、この人たちが中心となって「社会主義軍備論」っていうので、社会主義の立場から軍備が必要だということを唱えたんですが、この人たちが党内闘争で敗れます。その結果ほとんどですね、左側には軍備の肯定論がなくなりました。今は肯定するような議論が少しはあるんですが、なんか歯切れは良くありませんが、かつてそういうのがあったということは頭に入れていいかと思います。
あとは多く指摘されていますが、共産党。戦後すぐの憲法の防衛論がありまして、現在はそれを変えてきております。2004年からはさらにわかりにくくなってまして、共産党の主張を理解するというのは大変ですね、難しくて、私も書くときは、間違えないようにですね、いちいち改めて記憶にだけ頼らないで、書いている次第であります。憲法制定時に9条に反対した、はっきり反対した政党が共産党であります。防衛戦争はどこの国もやってるんだから、それはいいじゃないかっていう主張であります。
そんなことで憲法が非常に政治的にわかりにくくなっていますが、私の政治的な立場ですけれども、専門にしてるのはドイツなんですが、ドイツやイギリスなど、ヨーロッパの感覚から言いますと、中道と言われるところに位置しているものであります。それで私は日本に紹介した学者はダーレンドルフという人ですが、この人はドイツとイギリスで活躍をした方でありますが、ヨーロッパでは中道の中の中道のお立場の人ですが、私は改憲を言ってるもんですから、その辺からですね、ネットではウヨ呼ばわりをされてましてですね、そんなことは気にしないでやれって言われるんですが、少しは気になりますね。そんなんで嫌ですが、書かれます。ですから、改憲だけでそう言うのおかしいんでありまして、共産党とも関係のあった荒畑寒村とかですね、そういう方は軍備を必要だって言ってたわけです。
それで憲法論議といいますと、神学論争という言葉が出てきますが、日本では神学というのはよくわからないもんですから、ただ、神学論争だということを言ってますが、非常にいい例えを私も探してきて、話すことにしています。
ユダヤ教を例に出しますが、ドイツに行ったときに隣の部屋にアメリカ人とユダヤのですね、同じ歳の男性がいまして、彼と一緒に食事に行くとその度に大変だったんですが、食事のタブーがたくさんあります。何が駄目かといいますと、鱗のない魚介では駄目だっていうのが、旧約聖書に書いてありまして、これを厳格に守ろうとするのがユダヤ教の信者であります。それで日本に来ると、この人たちは非常に迷うのは何かっていうと、大変匂いのいい鰻というものがあってですね、日本人おいしそうに食べてるけど、鰻は食べていいのか、駄目なのかっていうのはですね、日本にいるユダヤ人の間で悩ましいところであります。大抵、いる人は、あれは鱗が見えないだけ、見えにくいだけであるとされているから食べていいんだっていうのが、日本にいるユダヤ人の人たちですが、外国にいる人は、そんなけしからんことをやってるのかっていうようなことになります。
これに類することが自衛隊は軍隊かどうかみたいなことでですね、皆さんの神学論争という言葉が出てきたら、アッ、こういう領域に入ってるよっていうことですね、ちょっと思い出していただければいいかなと。
学者の議論も非常に歪んでおります。
無条件降伏をしたのかどうかということでありますが、今、年配の方はご存知ないでしょうが、高校の教科書には日本は無条件降伏をしたと書いてありません。いつ頃でしたか、正確な年を確認してくればよかったんですが、私なども言ったんですが、これはもう、無条件降伏だって言った方が無理なんでありまして、日本が受託したポツダム宣言っていうのは、英語の正式名、私の訳をしますと「日本の降伏の条件を定めたる宣言」でありまして、ポツダム宣言というのは、条件を列挙した文書で、ですから、無条件のはずがないんでありましてですね、長い間無条件だと私も学校で習ってきましたが、こんなのは無茶苦茶もいいところだと思います。今幸い教科書ではこれが直りましたが、こんなことがあります。
もう一つは、安保法制のときに問題になった集団的自衛権でありますが、ベトナム戦争の頃、私は学生時代がちょうどそれなんですが、この頃いわゆる活動家の学生が何て言ったかというと、沖縄の基地からですね、ベトナムに向けて戦闘機が飛んでいる。お前たちは戦争に加担してるんだ、集団的自衛権を認めていいのかというようなことをして、憲法学者が当時何と言ってたかというと、基地の提供もそういうわけだから、アメリカの権利の行使に日本は関与してるんだということであります。
それがいつの間にですね、安保法制のときは、実力を持ってする行使だけが集団的自衛権で、基地の提供は集団的自衛権にあたらないということであります。解釈変更が良いかか悪いのかっていうのは、憲法学者が大好きでやっているんですが、自分たちも解釈変更こうしてやってるんですが、ちょっとおかしいんじゃないかということであります。
最近の言葉は立憲主義でありまして、それを名乗ってる政党についてのコメントはしませんが、立憲主義という以上憲法を大事にするということですから、緊急のときにもですね、大事にしなきゃいけないということであります。
それで後で詳しい文章を紹介しますが、ビスマルク、ドイツの統一を果たしたビスマルクはなんて言ったかと申しますと、緊急は法を破るというですね、法格言を作っています。法律で何と定めていようと、緊急のときになったら、必要に迫られれば、法律なんか無視してやるもんだということを、政治家なりの表現でやったものであります。
とすれば、緊急のときですね、耐えるような法律にしておくっていうのは大事なことでありまして、戦後のドイツを代表する憲法学者ヘッセという人でありまして、文学のヘッセとは別人でありますが、憲法は、緊急時にも活用発揮すべきである。ですから、ドイツの憲法は、緊急の事態に耐えるような憲法を作ろうということで、実にその辺ですね、行き届いた規定をしています。これに対して日本はどうかというと、護憲勢力、改憲勢力ということを言ってますが、私は護憲は現在、言ってる人のかなりは9条至上主義、9条を守るってことだけ言っていて、他についてはほとんど議論しないという状態になってきました。
それで他は全て目を瞑るのかということでありまして、今日お話ししたいことの重点の一つが、両院制。民主党が政権に就く前後、非常に混乱をしましたが、これは日本の両院制がかなり無理のある、現状にそぐわない規定になっているからであります。
もう一つは、衆議院解散であります。菅首相誕生して、年内にも解散かなんて言われましたが、その時新聞は首相の専権事項だというし、政治家の人もみんな軽々しくですね、首相の専権事項っていいますが、こういう文書はどこにも書いてありません。勝手にそう呼んでるだけでですね、禁裏と解散は他は言えないんだなんてなことをですね、言ってますが、これ自体は非常におかしいっていうことであります。
・2. 創憲会議の経過
-新憲法草案起草まで
それで今日ご紹介しますのが、創憲会議という団体の経緯でございます。これは名前が時々というか何度か変わりまして、私の記憶に間違いなければ、一番最初は護憲連合という名前だったと思うんですけど、その次は憲法を論じようということで論憲会議という名前になって、そして最後に落ち着いたのが創憲会議で、憲法を創るということになります。
それで2001年頃から、個々の団体ですね、旧民社党、それに近い労働組合、それに近い各社、こういうののグループの中で、2001年頃から研究を始めようじゃないかというところで、私もこれに入りました。それで、この2001年頃の段階では、学者だけです。私は東洋大学に来るまで京都産業大学におりまして、2000年に東洋大学に来たんですが、来てすぐにですね、「ちょっと自由に憲法をを議論するから、あんた入ってみないか」ということで、詳しくないんですが…とかって言いながら、主査にさせられました。それで、「それでいいんだ」っていうのは、9条に限らず幅広く検討するからっていうことでですね、そしてこの成果を、私の編で「憲法改革の構想」という本に、2002年にまとめましたが、ほとんど売れないまま過ぎました。
そこでどんな議論が出たかですが、幅広い方にお集まりいただきました。憲法学者だけだと話が偏るのでですね、そこに政治学者も入れる、国際政治学者も入れる、あとは変わったところでは経済学者も入っていただきました。
そんなところで、どんな点が論点になったかということで論点列挙しますと、9条改正論・集団的自衛権論・首相公選制論、これはここの2001年のときの段階では両方ありました。やった方がいいということ、ない方がいいと。私はない方がいいっていうので、ドイツ式の総選挙で首相候補を明示して戦うというのでいいじゃないかと。
両院制の改革、これは早くからですね、もう今玉川大学にいらっしゃいます憲法学者の小林さんっていう方がですね、両院制は問題があるっていうことを言いました。それ聞いてまして、私は最初ピンとこなかったんですが、よく聞いてみるとこれは問題があるなっていうことでありまして、両院合同会、衆議院と参議院を一緒に開いてそこで何かを決めるようなことをやってはどうかっていう提案も、そこでありました。
解散制度の問題もありました。あとは政党への助成が始まっていながら、憲法上の規定がないのはおかしい。
それと財政民主主義。今、額は相当減ったんだと思いますが、いわゆる財政投融資で第二の予算とかって言われたと思いますが、非常に大きな額を扱いながら、ここについて国会は関与しない。それは憲法で言われている財政民主主義に反するのではないかというところで、憲法に書いてあることと実態がずれてるのは、こういうところになります。あとはいくらでも赤字増やせることになりますが、それは問題だという経済学者が外国にたくさんありまして、規律ある財政運営を憲法上何かですね、書いてはどうかというようなことであります。
あとは今日に繋がる問題ですが、新しい人権・情報の自由と保護・環境権の問題、こういうのをですね、議論しようじゃないかというところで、やってました。
それでこのときの提言は、いくら並べても結論の出ないのもありましたからですが、
提言としましては、9条の改正と両院制改革を急いでやってはどうかということであります。それで、翌年、2002年頃からはですね、もう少し具体化しました。
それで今日のタイトルにあります「国を創る、憲法を創る」っていうのは、こういうですね、本にまとまっているんですが、これを作る経緯がありましたのは、政治家の方がはっきりと会議をしてきました。どうしてそうなったかですが、私もすっかりこの頃のこと忘れていましたが、読み返していましたら、2002年7月に当時の民主党憲法調査会の報告で、憲法の議論を審議していくということをですね、謳ってるわけですね。ですから、これから民主党として、憲法をどう変えたらいいかっていうことで、はっきりですね、そういう段階に入ってきましたから、論憲っていうところはもう間違いなくなりました。
それで、それが憲法を創ろうじゃないかというところで創憲に行きまして、パンフレットを作りました。まず最初は創憲を考えるための提言ということで、2005年にパンフレットに作りましたんですが、その後、最終的に条文案まで作成いたしました。それでこのとき、新憲法草案という名前になっておりまして、これが「創憲会議編・国を創る憲法を創る」というところで、一藝社という小さな出版社から、私が出してもらいました。このタイトルを考えたのは私でして、つけたときは非常によくてですね、これは相当売れるんじゃないかなと思いましたが、案の定外れましてですね、今回残部はないのかというところで問い合わせがありまして、倉庫から4部だけ出てきましたということでですね、案を作るとき大事でしょうからっていうことでお渡しをしたような次第です。
-日本特有の対立軸
それで、その後どうなったかということであります。
こういう動きをしますと、日本の政治学者、憲法学者の間では非常に問題になりやすいんですね。それはもう一度ちょっと図で説明をさせていただきますが、図の入りました、表裏の資料を見ていただきたいんですが、図のA、先ほど言いましたようにいろんな勢力がある。それで、それを少し立場ごとに分けたのが、図表のBでありまして、日本では名前で保守・革新って言ってましたが、革新という言葉はいつか使われなくなりました。それで保守・中道・革新というふうにしましたが、西洋では四つぐらいは最低分けなきゃいけないというところでありまして、面白いっていうか知っといていいのは次のところでありまして、国際政党組織っていうのがありまして、似たような立場の政党が、各国の政党が作ってる団体があります。
それで自民党はかつて国際民主同盟というところに入っていました。二階堂さんっていう方がこれに熱心でしたが、なんかいつ離脱したのかわからないけど、今はこのメンバーじゃないって言うんですが、多分私がそう想像するに、会費を払わなかった事件があるんじゃないかなと思ってるんですが、そうです。
次の自由主義っていうところ。ここのところ日本では自由主義という言葉がでたらめに使われていますが、西洋では中道中の中道でありまして、自由主義インターナショナルっていうのがあります。
中道、日本語では何かそう言っちゃうと問題ですが、中道左派的なスタンスで、イギリスの労働党・ドイツの社民党など、ヨーロッパで強いのが、社会民主主義、民主社会主義と言ってもよろしいんですが、社会主義インターナショナルっていうのがあります。
これに対して共産党は、共産主義はですね、コミンテルン、コミンフォルム、そして長く世界共産党会議っていうのが組織しておりましたが、これは全く立場が違いますね。
そこに汚いんですが、私が手で太く線を引きましたのが、他の3つとここに重大な違いがあるってことですが、55年の日本の政党は、社会党のところで、同じ党内に右派と左派のところで、この一番太い線でわかれていて、これは憲法に絡まった対立軸であります。ですから私は政治学者で政治学会、学会の会合に行ったりしますと、「彼は改憲論者」っていうようなところでですね、それだけで敵のように見なす方がいるわけでありますが、これは西洋のことを考えましたら非常に変則的であります。
裏に行きますと、さっき言いましたように、右左で別れるなら、全くわかりやすいんですが、日本では55年後頃からですね、それ以外の要因が非常に強かったもんですから、経済社会政策で分かれる右左に加えて、憲法防衛政策などを巡って、普通の国のようにやろうじゃないか。軍備も一定の範囲でいいんじゃないか。あとは日本は自由民主主義の体制なんだから、西側同盟でいいじゃないかという立場の勢力が、片方にいて、それに反対する勢力がありまして、私も勝手に特殊な国と名付けましたが、それを目指す勢力があったわけであります。
そうしますと、政治勢力を分けるとき、この二つを一つにして込みにしますと、保守・革新と呼ぶときですね、非常にヨーロッパとは違う図式になってきます。
それで先ほど出ました民社党という政党は、右左の軸でいうと中道的なところにいますが、普通の国の路線をいち早く言ったためにですね、これの二つの次元を一つにしますと、かなり保守の方に位置づけられるっていうことで、長らく新聞は、「民社党は自民党よりも右」というですね、位置づけをされてきた政党であります。
それでこれはおかしいのは、要するに外国なら戦争は水際までということですね、上下の軸はほとんどないに等しいのであります。これがないに等しいっていうのは、先ほど言いました荒畑寒村・西堀さんっていう人たちが残ってれば、左の方にも、普通の国の勢力があったんですが、これはほぼなくなりましたからこうなりました。それで図表のDといいますと、これは冷戦が終わった後、かえって状況はひどくなってですね、左右の対立で経済社会問題よりも、安保防衛、憲法問題が大きくなってきたというところであるかと思います。それで政治学者でも憲法学者でも一番遠いですね、大きく分け隔てるものは、改憲か護憲かみたいなことになってしまいまして、非常におかしいところであります。また後で時間があれば触れさせていただきます。
-「国を創る憲法を創る」その後
レジュメに戻りまして2ページ目のところであります。
国を創る憲法を創るっていうところで、今日お配りいただいた条文まで入ってるんですが、この条文、私が中心的な位置にいましたが、憲法学者じゃないですから、序文は書けません。それで条文もあった方がいいなと思ってましたら、大変エネルギッシュな方がメンバーに1人いらっしゃいましてですね、書いてきました。この方は当時山梨大学にいらっしゃいまして、東京と山梨の間をですね、バスで移動する間、ノートパソコンに打ち込んできてですね、それを提示されました。今は日大の法学部にいらっしゃる池田実さんっていうですね、教授の方ですが、その方の案をみんなでたたき台にしてこの案にまとめたということであります。
その後どうなったかっていいますと、こっからがですね、トントン拍子にいかなかったわけでありまして、停滞を見たということであります。同じ政党の中にいろんな事言う勢力がいる。それで残念なのは、メディアが、いつまでもさっき言ったようなですね、図表のCやDのような論調でやっていまして、私も改憲を唱えたことでですね、この新聞からはほとんど取材をされないとかですね、この新聞からはされるとか、そういうような色付けがされてしまって、それが固定化して、今日に至っています。
それで2011年、政権フォーラムでは何をやったかというと、緊急事態法制、これはご承知のように3.11ですね、あったので、必要ではないかというところでまとめました。参考になるのはドイツの例で、この言葉はもう何度引用しても、いいことですが、先ほど言ったヘッセの言葉ですが
憲法は平常時においてだけでなく、緊急事態および危機的状況においても真価を発揮すべきものである。憲法が、そうした状況を克服するための何らかの配慮もしていなければ、責任ある機関には決定的瞬間において、憲法を無視する以外に、とりうる手段は残っていないのである。
ですから、立憲っていうことを言う人ほど、憲法を現実に合うですね、憲法にしなきゃいけないってことを言ったんでありまして、これは本当にこれ以上の表現はとりようがないんでですね、ぜひ覚えて、政治家の方などは演説でですね、ここちょっと耳で聞いただけではわからないでしょうから、プリントにしてですね、お話いただきたいと思います。それで、日本人は忘れやすいんで、2011年大騒ぎしたんですが、結局何も憲法は変えないまま今日に至っています。
2017年、もう一度研究委員会を作りましたが、このときはどうして進まないのかっていう点からですね、改正論議のあり方がどうもおかしいからじゃないかというところで、これは私の持論だったんですが、憲法の世論の啓発に向けて、もう少しちゃんとやるべきじゃないかということを唱えました。パンフレットを作りました。いいパンフレットなんですが、例によってですね、政権フォーラムが出したパンフレットで一番読まれないパンフレットになっています。パンフレットの一番最初、これはもうよく引用される言葉、次の言葉の方が有名なんですが、同じ京大の哲学者の田中美知太郎さんが言ったことですが
過去がいつまでも支配できるのは、死んだ人間が生きている人間を支配することだ。
と、こういうことです。これは立憲を言って、憲法は簡単に変えるべきでないってこと言う人がいますが、これで反論も十分つきます。1946年に決めてしまった憲法をですね、こんなに国際状況が変わろうと、何でもそのままっていうのは、当時の人が決めたことを、現在生きている我々がですね、支配されている。孫子の時代になればですね、もっとそうかもしれませんが、上手なことを、京都大学の先生がいいもんだなと思って行きました。
次の言葉は非常に有名です。
平和憲法だけで平和が保障されるならついでに、台風の襲来も憲法で禁止しておいた方がよかったかもしれない。
ですから、憲法9条の横にですね、日本は台風を放棄する。襲来も駄目だと書けばですね、台風が来ないんでしたら非常に助かるんですが、そんなことは台風のですね、自然現象には関係ないし、外国の、中国なんかも、日本の憲法を守る筋合いはないので、お構いなしです。
次の言葉は、英国のジョージオーウェルという作家で、有名な作品は、1984年っていう、48年にだして、84年ですね。村上春樹さんが1 Q 8 4っていうのを出しましたが、それの元になった小説を書いた方です。
絶対平和主義者、これがpacifismという、英語の言葉では非常に特殊な言葉ですね。一般の人はほとんど言わないですね。日本では、私は平和主義者でってのはみんな言います。私は平和主義じゃないってことをいうのは非常に勇気のいることですが、訳すとすれば、絶対が頭につきます。
絶対平和主義者が暴力を放棄できるのは、代わりに誰かが行使してくれているから。
ですね、憲法が憲法9条が日本を守ったということをよく言われるんですが、日本を守ってきてくれたのは、自衛隊があって、日米安保条約があってですね、米軍と日本の自衛隊で守ってくれてるんだということでありますが、代わりに、その人たちがやってることを忘れたふりをして、9条があるから平和を維持できたというのはですね、こういうことばっかり言ってるのは、ちょっと特殊、日本だけの話ではないかなと思います。
東洋大学にいたときにですね、時々「東洋大学法学部、加藤秀治郎様」っていうのですね、葉書が来ましたが、何が書いてあるかっていうと「憲法9条は私達の宝、誰にも手をつけさせない」これで終わりですね。要するに私が9条改正したらどうかっていうことで言うと、そういうことをやるのは許しがたいということでですね、どこから調べてきたのかわかりませんが、東洋大の住所を調べて、そういうのを送って来るわけであります。オーウェルの言葉、日本で戦争放棄できるっていうのは、誰かが代わりにやってくれる、国内で私達が暴力を振るわなくて済んでるのは、警察の方が治安の維持をしてくれてるからであります。