Bar 記憶
バー記憶があったのは、急行の止まらない私鉄の駅だった。
駅裏の狭い道を行った、雑居ビルを下りた地下の突き当たり、昼間やっているのは、スナックに居抜きで入ったインドネパール料理店と、フィリピン家庭料理の店だけで、そのどちらもが定休日の日には、夕刻になって、ようやくここが廃墟ではなく、開店している店もあることが分かるようなタイプの場所にある。
付近の空気が微かに湿っているのと、小学生の頃を思い出させるプールの匂いがしているのは、地下に、この辺りでは老舗のスポーツクラブがあるからだからだが、そこに入るのは裏手にある入り口からで、親につれられてくる幼児も、運動の為に訪れる中高年も、そこに記憶があることは気がつかなかっただろう。必要な人には容易に見つかり、そうでない人の目は素通りする。場所というのはそういうものかもしれない。犬を飼い始めた時は、町中犬だらけだと思ったし、両親が相次いで老い介護が必要となった時、まだ正月休みも明けない町を、介護施設の車だけが行き交っている光景を見ると、世の中は介護が必要な老人だらけだと思ってしまった。
バー記憶が目に留まったのも、自分の記憶が曖昧になるどころか、暗幕の向こうにあるかのように取り出せないことが多くなってきたらかもしれない。それどころか、記憶そのものの存在も危ういのだ。
いらっしゃいませ。
記憶のカウンターの中には、すらりとしたひとが立って、グラスを磨いていた。開店したばかりなのか、他の客はいない。あまり長居はしないつもりで、私は立ったまま、いつのこの手の店で注文するウイスキーのソーダ割を頼み、スツールに腰掛けて、改めて店内を眺めた。ウイスキーの種類にこだわりはないので、任せた。これといって特徴の無い、黒と金を基調とした、バブル期の残党のような店。古びて良い感じになるには、まだしばらくかかりそう。
「良いお店ですね」
どこでも言うひとこと。
ありがとうございます。心地よい低音。おかしな愛想笑いなどしないところに、好感が持てた。
「記憶、って名前も素敵」
バーカウンターでペラペラしゃべるのは好きでは無いが、良いとも思ったことを言わずに済ませてしまうのも嫌だった。あの時言っておけば、と思うことが、テレビの裏の埃のようにたまりに溜まっている。そのうち発火してしまうかもしれないことを恐れている。
「思い出したいことがあるんですか」ほどよい距離感を保ちながら、カウンターの中のひとが聞いた。
「そうかもしれません」
「記憶の名前に惹かれて来るお客様は、皆さんそのようです」
「はあ」
「忘れたいこともあるんですね」
「そうですね。この年になればね」
唇に触れたことが感じられないほど、薄いグラスに入ったハイボールは滑らかに喉を通った。静かに音楽が流れている。
「プールの匂いがしました、表の階段のところで」
「そうなんです。ここも匂いますか」
「いいえ、ここは全然。でもなんだか懐かしい気持ちになりますね」
「それでこの店を借りることにしました」
「記憶にぴったりですね」
店の電話が鳴った。記憶です。いえ、うちにはございません。すみません。
「クリームソーダ、あるかって。どこかのお店と間違えてSNSに載ったようで」そのひとは、困ったように電話を切った。
「記憶にございませんか。あははは」なんだか面白くなってげらげら笑った。
もう一度行こうと思うのに、どうしてもその店がどこにあるのか思い出せないのだ。私鉄の駅の、駅裏の、路地裏の。(了)