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【短編】メタモルフォーゼ  〜 晩学作曲家のモノローグ 〜 第2話

作曲に対する強い想いは無残にも会社に引き裂かれることになる。

突如、冷徹な指示が下され、それに承服しかねて、「何故だ」と何度も自問自答を繰り返していた。

会社にとって大きな転換期であるので、新事業を実行に移さないでいて、大きなチャンスを逃す手はないと言っているのはわかる。

だが、個人の生活への影響に配慮せずして、有無を言わさず指示に従わせようとするのは悔しくて仕方がない。

組織とはそんなものなのだと落胆して、抵抗もろくにできない自分の無力に嘆くことしかできないでいるのが惨めだった。

平社員、主任、係長、課長、部長、社長のピラミッド構造の上から降りてくる指示系統による強固な圧力にはどうすることもできなかった。

気の小さな自分には社長に直訴する勇気すら持てない情けなさに苦しんでいた。

指示に背けば、即刻首を宣告され、路頭に迷うのは目に見えている。

職場を失えば、おそらく新しい会社を見つけるのは至難の業で、教えるほど得意でないソルフェージュや和声のレッスンを兼ねたピアノ教室をやるしかない。

いつも弾き続けているわけでもないので、腕が相当鈍っているのは間違いないし、しっかりと講師として教えるまでにピアノを弾く感覚を取り戻すリハビリをするのも苦労がいることだろう。

開業するのには色々と準備が必要であるし、経理や税申告も自分一人でこなすことになり、サラリーマンでいたほうが世話なしなのだ。

ものぐさが欠点であるのも自分でもよくわかっていて、随分とやる気のない奴だとお叱りをちょうだいするのも充分承知の上である。

ただ、一定の仕事に就きながら、作曲の活動だけは続けたいのだ。

慢性的に不安な感情に苛まれるようになったのは、会社の指示によるものであるし、会社として発展と安定を前提とした経営を目指すのは当然であることはわかるので、そうした構造体にはまっている個人は観念する以外にはないのである。

スタンスが嚙み合わないのは誰が見てもわかることだし、今までの作曲の習慣が崩れ去ることが時代の移り変わりを反映しているようにも思えてならない。

社会構造にメスを入れるなど一個人にはできる話ではないし、深層の海に沈んだまま消えてなくなりたいと思いたくもなる。


 会社の命令は新商品の開発をすべく、しばらく研究に取り組んでもらいたいというものだった。

それには通常の商品の製造に加え、最上級のアズキを使った新しい看板メニューを開発する必要があり、しばらく時間をかけてでも進めるようにとのことなのだ。

これでは勤務後のライフスタイルが一変してしまうのは目に見えていて、生活スケジュールの一部を商品開発時間に持っていかれるのはどうしても納得がいかなかった。

そして今までの臆病風に吹かれてもいられず、意を決して職場を替えてもらうよう工場長を通じて社長に申し出た。

その結論はしばらく持ち越されることになり、作曲がろくに手にもつかず、ドキドキ、ソワソワとして落ち着かない日々が続いた。

食事をしていても食欲が湧かなくなってきた。

食べる量も減り、食事がおいしく感じられなかった。

人事異動の希望が叶うのか、新商品の開発を進めるみちに残留することになるのか、居ても立っても居られず浮足立った状態は数日続いたのである。

そして五日後、出勤早々に工場長に呼び出されることになり、予測できることではあったが、異動も今までの勤務形態も認めることはできない。

あなたが自ら開発を進めるのだと叱責を受ける結果となったのである。

これほどの峻烈な返答があっていいのだろうか。

聞いた途端に目の前が真っ暗になり、この先の考えていたライフスタイルが崩れ去るのが目に浮かんできた。

二晩考え続けて、虚弱な体力ではもうどうにも続けられる見込みもないと結論づけ、ついに〝退職願〟を綴り始めたのである。

一身上の都合により、今月末日で退職させてもらいたいと綴るだけの質素な内容である。

良きも悪しきもでき上がった商品のお菓子を全部ひっくり返してしまった失敗やら、同僚に困ったときにのってもらった相談の思い出などが湧き上がってきて眼を潤わせてしまった。

翌日、恐る恐る工場長に提出したものの、訝られてそのまま机の中にしまい込まれてしまったが、渡せたことに悔いもなく、逆にホッとため息が漏れたのはひと時の安息でもあったかもしれない。

その後、非番の日に会社のほうからは退職届は受理されたとの知らせが携帯に入った。

それを聞くと、絡みついていた肉眼ではとらえられなかった鎖のようなものが解け、さわやかな気持ちに落ちつき身が軽くなっていた。

退職金がわずかだが支給されたが、少しずつ生活のために切り崩していくようになるのだろう。

これでしばらくは音楽活動に専念し、自分を売り込む意味で、ちょくちょくとコンサートに参加させてもらう想いが芽生えたていた。

実際に幾度か重ねていく機会にも恵まれ、チケットの売り上げが手元にもわずかながら残るところまでに至ったのである。


[第2話 了]

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