伝えたい、自分の意見を言いたいと、客観性の話。
伝えたい、自分の意見を言いたいと、客観性の話。
自分が伝えたい話を相手が聞きたいとは限らないし、相手が聞きたい話じゃなければ押し付けで、本なんて思いっきり押し付けになりやすい。著者の、編集者の、会社の思いが先走ると読んでくれる人がいない本になる。でも、出版した側は、なんで売れないんだ!読まれないんだー!「いい本なんですけどね」の言い訳は、巨大な赤字を招く最強のワード。
僕の場合、自分自身は薄っぺらいし、僕の意見を聞いても役に立たないから、まず自分をなくす。想像しまくって相手を100%にする。その作業がうまくいかないと、「自分たちが作っている原稿が正しい」「頑張って書いたこの原稿はいいはずだ」のバイアスがかかっていく。
でも、企画をつくるときは、「伝えたい」がものすごく強い。
その間をどうバランスとるかが、とても大切な仕事で、ああ俺が間違ってました、とか、能力のなさを突きつけられたりしながら、正しい方向に進んでいるかチェックしていかなきゃならない。
僕の尊敬する弊社の柿内は、自分の相対化が一番難しいとよくいうけれど、本当にそうで、何歳になっても自分をかばいたくなるし、傷だらけにはなりたくない。でも、その道を進んでいいか客観視できないと世間や社会に対して自分がどうであるか、相対化できなくなって迷子になる。
例えば、ツイッターをやってる人は本当にすごくて、ずっとツイートの先にある人からの評価を考えながら、自分を客観視しながら書いていくので、客観視する体力がすごくある。常に自分を見失わず、一定の立ち位置から物事を語り続ける。それって本当にすごいことで、キムタクが一生キムタクをやり続けるのと同じことに見える。
自分を客観視することは、本当に難しいし、自分が頑張ってきた仕事、業務ならなおさら難しい。コロナでいつまで自粛すればいいの!って言う人に、みんなが安心して暮らせるようになるまでだよって返事をしたらケンカになる。相手は自分の不満、辛さを理解してって言ってるんだと僕は思うからね。だから、大上段に言ったらケンカになる。
伝えたいものがあるとき、客観性があるか。それはずっとテーマです。