3/10(題と解、現代人は答えが欲しい)

久しぶりに大喜利をした。予選があって100位以内にはいれば、本戦に進めるらしい。自分は100位以下になってしまい、落選。はぁ~つまんね、とつぶやき携帯を閉じた。大喜利は得意だと思っていたけど、実際やってみると評価はされないんだなぁ。空前の大喜利ブームなのか、youtubeで「大喜利る人たち」とかのチャンネルがよくサジェストされる。去年の夏ごろにあった三夜連続の大喜利企画「百喜利」では三日のうち二日は読まれた。一つのお題につき百の回答を出し、その中から答えを出すという企画。

この二つの回で読まれた。この時は「まじかよ~」とびっくりした。就活の面接ではこのことを自慢して面接官からいい反応すら貰ったこともある。にもかかわらず、ネット大喜利で100位以下で本戦にも進めないという。俺はこんな実績もあるのにふざんけんな!という「ごーまんかましてよかですか」と叫びたくなった。本当は大喜利なんて苦手で笑いのツボがずれているのではないかと思う。葬式で笑う蛭子能収くらい。ママタルトのラジ母恒例のガチの大喜利も読まれたことはない。大喜利力は長年の蓄積なのだろうか?

私の地元の図書館には千原ジュニアの「題と解」という本が開架図書としてあった。

https://www.amazon.co.jp/%E5%8D%83%E5%8E%9F%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E9%A1%8C%E3%81%A8%E8%A7%A3-%E5%8D%83%E5%8E%9F%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2/dp/4872339983 

この本は大喜利のお題と投稿者の回答が乗っている「大喜利の解答集」というテイストの本である。こんなものを公共施設に全巻揃えて借りれるなんて気が狂っている。大喜利の青チャートに触れていも大喜利がうまくいかないなんて。もう一度、予習復習が必要だ。

自分は元来、困っても他人に相談できない人間である。なんというか、相談すること自体が苦手すぎる。相談されるのも嫌だし。そんなもん自分で決めろよ!と思う。誰かの進路を決めたくないし、誰かの人生の起点にもなりたくない。俺のアドバイスで人生棒に振っても知らないし、責任もとれない。それでも相談するなんて気が狂っている。youtuberとかに相談して、動画にされて、切り抜きチャンネル作られて、消費されるだけ。それに気づけてないなら正常な判断ができない、ということではないだろうか?スパチャしてお金払ってひろゆきに相談してうすっぺらい解答が返ってくるだけじゃん。現代人はすぐに答えを欲しがる。とにかくズバッと答えをくれる人が好まれる。そんな解答、毒にも薬にもならない。あとで「ほんまかよ~」と思わないほうが異常だと思う。答えを探すまでのプロセスが本当は重要なのに。

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