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【小説】「転生帰録2──鵺が嗤う絹の楔」 第二章 5  麓紫村へ

 ミニバンと言っても後部座席は高級車らしく二列あった。
 最後列に体の大きな蕾生らいおを一人押し込めて、中央にはるか鈴心すずねが座った。
 梢賢しょうけんは助手席に乗り込んで後ろの面々を振り返る。
 
「ここからは三十分かそこらで着くけど、道が悪いからちゃんとシートベルト締めてな。まあ、ごっつ高級車やから平気の平左やけどな」
 
「ちゃんと安全運転でいきますから、安心していいですよ」
 
 たかが隣村に行くのに車で三十分だと聞いて三人は心の中で驚いた。道も悪いとなると山越えでもするのだろうかと不安になる。
 しかし、そんな三人の気持ちを知るよしもない梢賢とけいはごく当たり前のように車を走らせていた。隠れ住んでいる、という前振りは伊達ではないのだろう。
 
「ところで梢賢、その変な言葉尻はどうしたんだい?里にいた頃は「お兄ちゃん、お兄ちゃん」て可愛かったのに」
 
 少し道路を走らせた後、珪が明るい声音で聞く。大学デビューなんてするから地元民に不審がられて笑われている梢賢が面白くて、永は思わず吹き出した。
 
「──プッ!」
 
「ちょっと珪兄やん!」
 
 案の定、梢賢は罰が悪くなって恥ずかしそうにしていた。珪はにこにこしながら続ける。
 
「いやあ、どんな心境の変化なのかと思ってね」
 
「オレかて悩んだんや。いつまでも里のこずえちゃんではおれへん。オレは大都会に羽ばたいたんや!関西弁はオレの新しいアイデンティティなんや!」
 
 せっかく築きあげたつもりのキャラクターを、地元のお兄さんに言われただけで覆す訳にはいかない。梢賢は開き直って胸を張る。
 
「ふうん、まあ梢賢がそう決めたなら最後までやり通せばいいと思うよ。生半可な気持ちで改めた訳じゃないってわかってもらうにはやり続けるしかない」
 
「おう、望むところやで!」
 
 二人のやり取りが面白くて仕方がない永はまだニヤニヤ笑っていた。
 
「里の梢ちゃんねえ……」
 
 そこに珪が笑いながらまた言った。
 
「ハッハッハ、梢賢はね、学校に上がる前まで女の子の格好をさせられてたんですよ。だから里ではいまだに梢ちゃんて呼ぶ人も多いね」
 
「あー!あー!」
 
 さすがにそこまで知られるつもりではなかった。梢賢は慌てて大声を出したが既に遅かった。
 
「女の子の格好……?」
 
 鈴心が首を傾げると珪はおせっかいにも詳しく説明してくれた。梢賢は恥ずかしさで項垂れている。
 
「なにせやっと産まれた男の子だったからねえ。雨都では最初は随分慎重だったようですよ」
 
「──大変だったんですねえ」
 
 永が半笑いで反応すると、後部座席の蕾生が身を乗り出して小声で聞く。
 
「なんでそんなことしたんだ?」
 
「多分ですけど、銀騎しらきから見つかるのを恐れていたのでは」
 
「ああ、なるほど」
 
 蕾生と鈴心のひそひそ話も狭い車内なので筒抜けだ。梢賢は肩を落として恥ずかしがった。
 
「言われてもうた……知らんでええことを言われてもうた……」
 
「ハッハッハ!」
 
 そんな梢賢を揶揄うように、珪は高笑いをしている。その様子を後ろから見ていた蕾生はあまりいい気分がしなかった。

 最初に梢賢が説明した通り、車は急に山道の方へ曲がった。ヘアピンカーブのような道路をぐねぐね曲がって走り、更には途中で舗装も途絶えた。
 
 こうなると幅が広いだけで獣道のような雰囲気である。車は生い茂った木々の枝を何度もかき分けて進む。はっきり言って高級車が来るような所ではない。傷がつかないのだろうかと永は気が気でなかった。

 しかしそれも束の間で、また舗装された道路が顔を出す。だが所々ヒビが入っており、年代を感じさせた。
 車は少し開けた分かれ道の手前で止まった。
 
「さあ、着きました。山道お疲れ様でした」
 
 珪はにこやかなまま、後部座席の扉を開けてくれた。
 
「あ、ありがとうございました」
 
 永達三人が車を降りる。目の前に広がるのは古くて寂れた農村地帯だった。驚くことに、電柱がまだ木材だ。
 
「梢賢、いつまでもいちびってないで皆さんをご案内しなさい」
 
 助手席から降りずにいじけている梢賢を珪が嗜める。
 
「はあい……」
 
 それでようやく車から降りた梢賢と入れ替わりで、珪は再度車に乗り込んだ。
 
「それでは私は仕事があるのでお先に失礼します」
 
「どうもお世話になりました」
 
「──また」
 
 一礼した鈴心ににっこり微笑んで、珪は分かれ道の真っ直ぐ続く方の道を走って行った。

  
「おーい、梢ちゃあん、しっかりしてよお」
 
 しゃがみ込んで落ち込んでいる梢賢を、永は悪戯心で囃し立てた。
 
「お前んちは寺だって言ったよな、梢ちゃん」
 
「早く案内してください、梢ちゃん」
 
 蕾生と鈴心も口々に言うと、梢賢は真っ赤になってようやく立ち上がった。
 
「やかましっ!梢ちゃん言いなや!年下かて容赦はせんでっ!」
 
 その様子に、永はお笑い芸人でも見るようにケタケタ笑っていた。すっかり油断している三人に向けて、梢賢は突然真顔で言う。
 
「それから、あんま珪兄やんには気を許したらあかんで」
 
「何故?」
 
 その雰囲気を鋭敏に察した永もすぐに笑うのをやめて尋ねた。しかし梢賢は口篭ってしまう。
 
「んん……そのうちわかるやろ。とにかく珪兄やんに何か聞かれても馬鹿正直に答えたらあかん」
 
「俺も何となくそう思う」
 
 蕾生はあの眞瀬木ませきけいという人物にあまりいい感情は持っていなかった。具体的には説明できないけれど、なんだか人を見下しているような気がしていた。
 
「ライくんの野生のカンが言うんじゃそうなんだろうね」
 
 永は蕾生の感覚を信じている。会話を重ねながら人物の深層に迫っていく永と違って、蕾生は最初の印象でその人が好きか嫌いか決める。そしてその的中率は、永よりも高い。
 
「ごめんなあ、今じゃ里も結構複雑なんや。前はこんなんやなかったんやけどなあ……」
 
「……」
 梢賢の言葉が今の村の状況を全て物語っているように永は思えた。
 
「で、まずはどうするんだ?」
 
 蕾生が尋ねると、梢賢は思い出したように拳を打つ。
 
「おっと、そうやった。ウチに行く前に君らには里長の所へ行ってもらわんと」
 
「里長?」
 
 特有な表現に永が聞き返すと、梢賢は当然のように頷いた。
 
「せやで。事実上麓紫村ろくしむらの最高権力者や。お利口さんにしててや」
 
「村長とかか?」
 
 蕾生が聞くと、首を振って梢賢は答えた。
 
「そんなもんよりもーっとえらいお人や。ここではな」
 
 この現代社会にそんな地位はあり得ない。鈴心も訝しみ、永もそれに倣った。
 
「やはりこの村は……」
 
「昔の楓さんの言葉を借りて言えば、時が止まってる──か」
 
 二人の呟きに、梢賢は冷静な感想を述べた。
 
「あながち間違いやないな。ほな、行こか」
 
 その指がさしているのは、分かれ道のもう片方。急勾配の山道だ。
 
 今日も暑くなりそうな日差しなのに、山道の奥は木々で覆われていて冷風でも吹いているような寒々しさだった。






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