不思議と、気持ちが落ち込んでしまうと急に「好きな人」が浮き彫りになる。
例えば、起きた瞬間涙が出るくらい怖い夢を、見た時。バッドエンドの漫画を読み終わった時。誰かの悪口を聞いた時。
すぐに、連絡したくなる。会いに行きたくなる。
普段は、大切とわかっていても中々そうは思えない。
なんだか上手くいっている時は、恵まれていることに気付かない。失って初めて気付く、という言葉は月並みだけれど、まさにその通りで、たぶんその「失うこと」の疑似体験をしているんじゃないか、と考察などしてみる。
普段は曖昧なんだ。
できるだけ、人を嫌いにならないようにしている。苦手な人もつくらないようにしている。だって、もし悪いところばかり目に付いてしまったら、良いところが見えなくなってしまうじゃないか。
実に綺麗事だ。正論なんて。
気持ちが落ち込んでいる時、そんなこと言っている余裕はない。
人の好きなところだとか、魅力的に思うことを山に例える。
すごく魅力的に思えるところがある人は、もちろん高い山に設定する。
となると、普段は低い山でも山と認識できるから仲良くやれるし、高い山は「あるのが当たり前」と認識しているから気にかけない。
でもねえ。心に靄(もや)がかかると、小さな山々は姿を消す。世界全体が水に浸かったような。ちょっと抽象的すぎるだろうか。
そんな時「高い山々」の存在が浮き彫りになる。
比べるのはダメだ、という考え方がある。
自分と他人を比べないこと。人と人を比べないこと。
まあ、そりゃそうだよな。
でも、そういうわけではなくて、中々言葉にするのは慎重にならないといけない気はするんだけれど、そして僕が自分の思いを文に乗せられているかも中々分からないのだけれど。
とにかく、危機的状況に陥ると、好きな人には好きを伝えたくなるのだ。
全世界に愛を平等に注げる人なんて、あんまりいない。博愛主義はもちろん素晴らしいと思うけど、僕のそれではない。
愛の総量は人それぞれ違っても、限りがあると思うんだ。
本当に自分のことを思ってくれている人なんて、ひと握りなんだ。
だから、僕はそんな人たちに目いっぱい愛を注ぎたい。
数少ない僕の友人と家族に。