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チャンバラの全国大会を終えて。
どうだっていい事だけれど、実は僕、幼稚園のころから小中高と柔道をしている。今も小学生たちを教えたり。今も、たまに試合にも出るけれど、それは指導者として。
現役選手としてはそんなに強いわけではなかったから、全てをかけて─なんて、言わせて欲しい─挑んだ高校時代でも近畿大会への出場が精一杯だった。普通に出場が決まった時は感極まって泣いた。それでよかった。
でも、長いこと競技人生を歩んでいるとやっぱり見えてしまうんだよな、表彰台というものが。同じ練習をしていたはずの同期が放送に呼ばれてメダルを貰いに行くのが。光り輝く大きな会場で、みんなが見ている試合が。
県大会でのベスト4入りを誰よりも夢見て十数年、結局それは果たせなくて。
それで、大学に進学すると共に、選手としてはスターじゃなくても、指導員としてはプロになろうと決めた。
教えるのが上手で「そこそこ強い」人になろうと。
そんな時出会ったのが、存在もYouTubeでしか知らなかったような競技だった。調べてみたら柔道よりも競技人口、国内では多いらしかった。自分がいかに狭い世界で生きてきたのかを思い知った。
部員の中には少し前に関西を制覇した2つ上の先輩がいた。1試合やってみた。ボコボコに負けた。ああ、俺はこの人について行くんだろうなと、そう思った。
最初は遊びのつもりだった。運動不足を解消できりゃいいな、それくらいのものだった。
同じような境遇の、ほかの大学の部員に会った。
人生をこの競技と共に歩んでいる師匠達に会った。
ライバル─と勝手に僕が思っている─を見つけた。
そうして、いつの間にかチームの主将になった。
かわいくて、頼れる後輩だって増えた。
勝ちも負けも、1年間で山ほど味わった。
全国の切符をギリギリで掴み取った。
その時僕は、純粋に、光り輝く舞台での試合を渇望していた。
全国大会の個人戦では、結果的に2種目で有級の部 3位になった。
試合の前に「準決勝でやり合おう」と言っていた友達と、準決勝で試合ができたのが心から嬉しかった。
今度は決勝でやり合いたいけれど。なあてる。
団体戦では関東大会1位の國學院大学との初戦だった。下馬評では圧倒的不利。そらそやろな。まあ全部ひっくり返そな。これがうちのチームの合言葉だった。
誰が勝ったとか、負けたとか、つらつらと書くのはやめにしようと思う。
結果として5人制で、2-2になった。代表戦にまでもつれ込んだ。
僕としては、確かに勝ちたかった。勝てると思っていたから。
もっとうちの先輩って、後輩たちって、強いでしょ、最強でしょ、天才でしょ、なんて軽口を叩きながら悠々としていたかった。
ただ。2ヶ月前に団体戦に初出場したみたいな近畿のギリギリでやってる小さなチームが、こんなに煌めく舞台で、周りから応援を受けているという事実だけで十分だった。
それは僕の試合がもう終わっていたからかもしれないし、裏返せば向上心がないということになるのかもしれない。
でも、こんなに関西のみんなに背中を押されて、声を掛けてもらって、近大コールをしてもらっていることが、本当に心から嬉しかった。
だからここで、備忘録として感謝を述べておきたいと思う。本当にありがとうございました。
これからうちはもっと強くなるし、僕も強くなろうと思う。
今後ともうちのチームをよろしくお願いします。いつでも出稽古歓迎です。
そろそろ稽古の時間なんで、これくらいで。