FATE
運命なんてのは
後付けの概念に過ぎない
何もしなかった過去
ひたすら努力した過去
それらの過去から
同じ未来が導かれるとは
到底思えない
未来をどう描いていても
今をどう積み重ねるかで
過去や未来が
めまぐるしく変わる
そこに運命を
感じたとしても
見いだしたとしても
それは間違いなく
自らが繰り返し選び続けた
結果に導かれし
一つの辿り着いた場所
仮に
運命というものが
存在するとして
あらゆる結果が
もう決まっているとしても
今の自分には
それが見えてるわけじゃない
ただひたすら
一つ一つ積み重ね
取捨選択しながら
今を生きること以外
やるべきことはない
今も未来も
自分の手で
創り上げていくもの
今が変われば
未来が変わり
未来が変われば
運命も変わる
運命とは
自分次第
自分の手で
変えていける
創っていける
そんなものなのかも知れない
*********************
今日も昔の詩を紐解いていきます。
この詩を読んで、ターミネーター2をなぜか思い出しました。
運命の日が訪れることを過去の自分が知っていたとしたら、その運命の日で人生が終わることを知っていたとしたら、どうするんだろうと。
何気ない普段通りの日々を過ごすのか、運命を受け入れ好きなように過ごすのか、運命に抗い変えようとするのか。
未来は見えないものだから、人は今を生きていける。
何が起こるかわかっていたら、その恐怖と闘うことになる。
迫り来る恐怖で何もできなくなるだろう。
変えられない未来を運命と呼ぶとして、定められた運命がこの先の未来にあるとして、まだ訪れていない未来であり、現実になる前に選択肢はいつだって見いだせるのだから、やっぱり運命は後付けの概念になるのだろう。
未来が見えているならば、それは単なる過去から導き出された虚像に過ぎないのではないか。
過去の物事に理由を見つけるとき、初めて運命という概念が当てはめられるのではないか。
ターミネーター2の中でNO FATE(運命ではない)と机に彫られた言葉通り、未来は何色にも塗り替えていけるものではないか。
そんなことをグルグル考えているうちに、寝落ちしちゃいました(*^^*)笑
最後まで読んで頂き、ありがとうございました☆