ワッフル食べてたら時間って大事だなって思った話
昨日の夜ジム帰りにぼーっと思ったことをそのまま文字にしてみました。
ジムで1週間ぶりにtredmillをして、ワッフルをかじってたらなんとなく、
この世に運命というものがあるのならば、私は余命○○〇〇〇日なんだろうなーって思った。
なんとなく。
余命宣告を受けたとかたいそうなものではないが、こう思うだけで人生の見え方って大きく変わるなーっと。
例えば明日命が尽きるなら。一週間後命が尽きるなら。一年後命が尽きるなら。
こう想像するだけで、人との付き合い方も、お金の使い方も大きく変わりそうな気がするし、実際そうだろう。
○○〇〇〇日は私が想像するよりもはるか遠くかもしれないし、ずっと近くかもしれない。「明日命が~」、「一週間後命が~」とかは想像したことがあったが、60年後、80年後、100年後で想像したことがなかった。
「きっと人生の見方が大きくかわるだろう。」と感じた。
同時に「あー、私って先の計画を埋めてしまうのが苦手なんだ。あるいは埋められるほどの知識をもっていないんだな。」と感じた。
なんでこう感じたのだろう。
たぶんジムに行く前『葬送のフリーレン』(原作:山田鐘人/ 作画:アベツカサ)を読みふけっていたからだろう。
この作品はもちろん漫画としてストーリーが面白いだけでなく、時間の感じ方の違いを鮮明に描いているところが印象的だ。
エルフ、ドワーフ、人間。人間の一生も千年以上生きるエルフにとっては人生の断片でしかない。
エルフは人間の都市の構築や魔法体系の確立のスピードに驚くが、それも人間にとっては数世代かけて作り上げた努力の結晶だ。
時間の感じ方は種族によって違う。ただ、人間という種族のままでも時間の感じ方を変えることはできる。
いまの私はこれまでに比べて時間を贅沢に使いすぎている気がする。浪費してしまったなと思う機会が増えた気がする。そして、今はそうはありたくない。
余命○○〇〇〇日。
時間をもっと大切に使おう。そう思ったジムの帰りだった。
ちなみに昨日のワッフルあんま美味しくなかった。