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一人称。
「あめ」や「かみ」の様に同じ言葉でも違う意味を沢山持っている物や、教科書だけでは分からない人其々の言葉の解釈の仕方など、日本語はとても奥深い。
一人称だけでも「私」「僕」に限らず沢山ある。
しかし、これらには誰かが作った固定概念が存在する。
男の子なら「僕」と言いなさい。
女の子なら「私」と言いなさい。
何故性別の違いで一人称が変わるのか。
思えば幼い頃から一人称で悩んでいた。学校の作文で「私」と書く事に何故か抵抗があった。だからと言って「僕」と書きたい訳ではなかった。
そこで辿り着いたのは、「自分」と言えばそういう物に囚われないで済むという事だ。それに加えて出来るだけ一人称を使う状況を回避する事を心掛けた。
自分は変わっているのだと思っていたが、こう思っている人は想像より多く存在した。文章の中で「私」を使用する事はあっても、会話の中で言葉にする事は無い。自分をどう呼ぶのが正解かは分からないが、それは他人に決められる様な物ではない事は確かだ。
少し話が逸れるが、自分には昔気になる人がいた。沢山の人が居る中でその子だけが違って見えた。焦茶色の緩く巻いてある長い髪に透明感のある瞳が特徴の魅力的な子だ。時々見せる爽やかで眩しい笑顔に惹かれた。
ある卒業式の日、その子は自分の隣の席に座り唐突にモモンガの話を始めた。
何故隣に座ったのか、何故モモンガの話題なのか、聞きたい事は沢山あったが黙って話を聞いていた。
よほどモモンガが好きなのか、その子はしばらくの間楽しそうに夢中で話していた。きっと話し相手は誰でもよかったのだろうが、自分を選んでくれた事が嬉しかった。この不思議さと掴めない自由さに益々惹かれていた。
この出会いをきっかけに、誰かを好きになる事に性別は関係ない事に気付いた。
そして女性の恋愛対象は男性だけと言う事すらも固定概念だったと気付く事が出来た。
自分は性別関係なく「その人自身」の人間性や性格が好きで、偶々それが女の人だったと言うだけの事だ。
それも一人称と同じ様に、正解や不正解などは無く、他人に決められる物では無いのだ。
今は若者が「ワシ」と言い、女の子が「僕」と言うのが珍しくない世の中だ。
海外では良く知られているLGBTには沢山の種類があるが、自分がどこに当てはまるか、どういう名前で呼ばれているのかを気にし過ぎるとそこに囚われてしまう。
自分はあくまで自分で、他の人間と比べてしまうとキリが無い。他の人がそれを変と思うとしても、自分自身が納得していればきっとそれだけで良い。人にはそれぞれ生き方があり、違う恋愛観を持っている。きっと全く同じ人を探すのは空の中で全く同じ雲の形を探すくらい難しいのだ。
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noteが呟きの場になりつつあります。
読んで頂きありがとうございます🎐
明日も良い一日をお過ごしください。
では。🌰🐈
選ぶのに時間かかったので黒バージョンも貼っておきます。