P131~134
エッセイを読んだ感想はXで呟けばいいかな。と思っていたんだけれど、文字数の関係、そして個人的な話にもなるのでこの一遍に関してはnoteで書くことにする。
自分も同じ経験をした、というよりしている?なのかな。我が家にも今、父親という存在はいない。いたのにいなくなってしまった。驚くことに時期もくれはちゃんと全く同じ、中学2年生の時だった。
ただ今でも父とは連絡も取るし、何度も会っている。
にしても、まさか自分の推しが、自分と同じような経験をしていたなんてまあ驚きでしかない。
我が家の場合、父と母の衝突がきっかけだったから、そのなんともズキズキした空間から解放されることに対しては安堵があったし、これが最善の策だろう、仕方ないと考えていたから納得をしていた。今の暮らしにも不満、不便などは感じてない。
でも、父と母、それぞれのことを今でも大切に思っているし、好きだ。だからこそ、父との思い出が脳裏に浮かぶ日も少なくない。
家を出たあの日も急なことだった。普通に家で過ごしていたら、母から「何してるの、今日で出るよ」と言われて、困惑しながらも荷造りをし、母に着いていくように家を出た。離婚の話は聞いていたし、近いうちにここを出るんだろうなとも思っていたけど、突然すぎた。
あの日、仕事から帰った父が家の中に誰もいないこと、家から色んなものが無くなったことを目の当たりにして何が起きたかを察した時、どんな思いだったんだろう。
事情があるとはいえ、あまりに酷い仕打ちじゃないかと感じ、幾度となく可哀想に思ってきた。
「今更違うお父さん来るのとか無理だからね」というエッセイ内で書かれている言葉。全く同じことを今でも思い続けている。
だって自分にとっての父親はあの人しかいない。もし仮に新しい人を母が連れてきたとしても、認める、受け入れることは出来ないだろう。
友達にわざわざ「ウチ、離婚したんだよね〜」なんて言う必要もないと思っていたから、周りの友達もその事実は知らない。
そんな中、休み時間等でたわいのない会話をしている時に父親が話題に出ることが何度かあった。どんな仕事をしてるか、もちろん愚痴なんかも。
自分に話が振られた時は適当に誤魔化した。それが正解だと思っているし、空気を壊さないためにもそうするしかない。心苦しさ、羨ましさを心の中にしまいながら。
自分と似た経験、似た感情を抱いてきた人の数々の思いを初めて文章として読んだ。
同じような人もたくさんいるだろうと思ってはきたけど、出会うことはこれまでに無くて、この事柄について自分自身のココロすっぴんを出せる機会が無かった。これが初めて。
そうだよね、そう思うよねっていう思いばかりだった。
これまでの連載で何度も共感をしてきたけど、この一遍はこれまでの比にならないほど、心に突きささった。
結局何が言いたいのかよく分からなくなってしまったけれど、この本や、これまでの連載で「中川紅葉のココロすっぴん」を見て、心が救われる人が他にもいる、いただろうなと自分の中で確信を持てる一遍でした。
くれはちゃんが本当に包み隠さず“ココロすっぴん”を綴ってくれているから、救われる人がいるんだと思う。
結構シビアな内容だから、載せるのも悩んだかもしれないけれど、載せてくれて本当にありがとう。
その決断のおかげでこの一遍を読むことが出来て、なにかスっと心が晴れやかになった気がします。
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