弱音を吐ける場所って
深夜食堂の韓国ソウル版を観終わった。日本版のフォーマットを基本に韓国の食や文化を上手く取り入れて、素晴らしいドラマになっている。
あんな食堂が私にも欲しい。深夜食堂は、一人一人の人生の辛さ、悲しさ、寂しさを無言で受け止めてくれる。みんな他人だけど、困った知り合いがいれば助けになろうと手を差し伸べてくれる。助け合うこと、誰かを助けることで自分の存在価値も確かめられているのではないだろうか。そして、相手の人生を尊重して必要以上に踏み込んでは行かない。
誰しも、会社の同僚や家族に言えない気持ちがあると思う。そんな時は、ドラマのように一人カウンターで苦いお酒を飲みたいし、利害関係のない知り合いに話を打ち明けたいし、マスターに子供のころの幸せな思い出のある料理を作って欲しい。おそらく私がめそめそ泣いても、マスターはティッシュも差し出してくれてそっとほおっておいてくれるだろう。
弱音を吐ける場所、受け止めてもらえる場所は、この年になって切実に必要だと感じている。心の平静を保つため定期的にカウンセリングを受けたいと考えて、そういう場所はないかなといろいろとネットで検索してみたこともある。病気治療ではなく、ただ話を聞いてもらって少しのアドバイスを欲しいのだけれど、ちょうど良い場所は見つからなかった。
コロナの前は、親友と映画やご飯に行って、お互い愚痴や悩みや弱音やら何時間も話をしたものだ。コロナ禍においてはそれは無理。心の叫びを受け止めてもらえる場面は無くなってしまった。
うちの可愛いしっぽちゃんに、ついつい悩み相談をしてしまう時がある。きょとんとした可愛いお目目で私をじっと見ている。夜や休日の夕暮れ時にえもいわれぬ悲しみが胸に迫ってめそめそと泣いてしまう時、私の足元にそっと座ってくれるしっぽちゃん。「夜廻り猫」の遠藤平蔵さんみたいに、そこにいてくれるだけでありがたい。私の精神の最後の砦のように寄り添ってくれている。