2023年6月 志々島、粟島
ジェットスターのセールで成田〜高松のチケットを安く取れた。どこへ行こうか思案して、瀬戸内の島へ行くことにした。
高松便はガラガラ、だが、指定された16Aの隣席、BCにはカップルが座った。離陸したら、てっきり空いてる席に移るのかと思いきやそのままだった。
高松空港は山の中、バスで海辺の高松駅へ出る。飛行機が早く着いたので予定より1時間前のJR快速で詫間駅へ。
港まではバスもあるが、本数は少ない。ぶらぶら歩くことにした。
宮ノ下港にはあれこれ注意書きの看板。島にはトイレはない。歩きやすい格好で。あげく、70名しか乗船できない、島民優先、乗れなかったら海上タクシー、などなど…。でも、乗ったのは10名もいない。
志々島で下船すると、すぐにお墓。この島には今も両墓制が残っている。小さな島で、道も狭く、自動車はない。
無人休憩所にザックを置かせてもらい、島内の名所、大楠へと歩く。案内表示がたくさん。急な石段や坂道をしばらく登り、少し下ると、目の前に樹齢千年の巨樹が現れた。枝ぶりが凄い。
この上は展望台。瀬戸内、瀬戸大橋が見渡せる。帰りは左に寄り道して、天空の花畑へ。
港へ下り、荷物を置いた無人休憩所で一服。
今夜の宿は、酒は買ってくるようにと言われたので高松駅で日本酒と缶ビールを買ったが、汗まみれで暑くてたまらんので、ビールを飲んでしまった。と、島旅の達人である友人から、島に1軒のカフェくすくすへ行くようにとの指令。よいこらしょと荷を担いで数軒先へ移動。店主の女性は30年ほど前に移住してきた方で、友人とも親しいようで、島のことをあれこれ話してくれた。今年、春になる前に、志々島の天空の花畑がメディアなどに取り上げられ、春の開花時期には島の人が驚くほど大勢押し寄せたそうで、船にも乗り切れない人が続出、土日は臨時便も増発したとか。そんなことは未だかつてなかったこと。その騒動もGWを過ぎたら嘘のように止んだそうな。店は島の方の集う場所らしく、次々来店。なんと最高齢99歳のおばあちゃんも登場した。いやお元気なこと、大きな声でしっかり話され、80歳の男性を子供扱いして、アイスをご馳走してやる、とおっしゃる。来月ひとり移住してくる人がいて、それで島民は17名になるという。近くの山頭神社はガンにご利益があると聞いて、友人の快癒を祈願してきた。すると、彼にお札を渡してくれと店主のご主人が自宅まで取りに行ってくれた。
隣の粟島行きの船に駆け込み、粟島の西の港、上新田まで。
港には今夜の宿、ぎんなんの女将さんが迎えにきてくれた。志々島の後で粟島を見れば大きな島と思う。車が走ってるくらいだから。人口も減ったとはいえ100名ほどだそうな。
2階の部屋へ案内された。こちらは1日1組のみ。昔はご主人と2人で普通に何組も泊める民宿だったが、ご主人が亡くなり、今は女将のユミちゃんが1人でやってる。儲けなくてものんびりやっていきたいと1組にしたという。
志々島で汗まみれになったので、お風呂へ。風呂からも海。気持ちいいねえ。
そして晩メシ。アート作品みたいなテーブルの向こうは窓越しに海。
メバル唐揚げ、生ワカメしゃぶしゃぶ、タイ塩焼き、どれもこれも旨い。キジハタ煮付けはこりゃ上等ですよ。そして、〆はなんと意外な茶粥。昔は碁石茶で作ったそうだが、ご存知の通り価格高騰、今はハブ茶で生米から炊いてくれた。
いやあ満腹。あれこれ島の話を聞きながら、美味しいご飯をいただくというのは本当に贅沢なこと。ご馳走様でした。
さて、翌朝。夜は雨が降ったようだ。ちょっと散歩。
今日は昼前の船の時間まで素晴らしい過ごし方をユミちゃんから授かっていた。週に4日、島内を走る電動カーに乗って、とりあえず島を一周する。その後で、ユミちゃんとエッちゃんが特別に洞窟アートを見せてくれるという。
終点の粟島港で下りると、早速、スペシャルツアーへ。おふたりも通った中学校が、今では日比野克彦氏が主宰する日々の笑学校になっていて、ここで選ばれたアーティストが数ヶ月滞在して作品制作にあたっている。
この部屋は洞窟をイメージして作られていて、周囲の壁はインドのアーティストが彼らの世界観を描いている。その細部は島の人たちが手伝ったそうで、もちろんエッちゃんも描いている。
これらは4年前の瀬戸芸開催時にお披露目され、大いに話題となったそうだ。
粟島には大正時代から国立の海員学校があり、粟島の家庭は少なくともひとりは船乗りになっていたという。昭和末に廃校。今は敷地内に公営宿舎、ルポール粟島が立っている。
おふたりに見送られて、須田港行きの船に乗り込んだ。昨日の船より大きい船。客は相変わらず少ないが。
1泊2日の慌ただしい島旅だったが、やはり瀬戸内海の島は独特の雰囲気があって面白かった。
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