2020年7月 五島列島、鉄川与助が建てた教会群

画像1 これまでに福江島や平戸、天草などで鉄川与助が建てた教会をあれこれ観てきたが、上五島エリアには初期の建築など多くが残されていて、今回の旅の大きな楽しみだった。奈留島の江上天主堂は国指定重要文化財。世界遺産の構成資産。
画像2 他の教会は7月中の閉鎖だったが、江上天主堂は8月末まで休館と告知されていた。
画像3 入口扉上にはサクラの花びらをかたどった紋様が設けられていた。
画像4 海が近く、川もあり、湿度が高いので高床式で建てられ、軒下の花十字も風通しをよくするための工夫という。
画像5 中には入れなかったが、看板の内部写真でその様子を想像した。木造瓦葺きの天主堂内部は、リブ・ヴォールト天井という様式。鉄川与助は神父に教わりながら、独学で教会建築のノウハウを学んでいった。
画像6 正面に掲げられた天主堂の力強い文字。もともと長崎県の外海地区から移り住んだ住人達が隠れキリシタンとして信仰を守り続けた。
画像7 1918年に建てられた江上天主堂。木立の合間に青と白のモダンなデザインの建物が見える。
画像8 中通島、青方湾入口の高台に立つ大曽教会。1916年、鉄川与助設計施工。レンガ造りの重層屋根構造。これは狭い湾越しに遠望した光景。
画像9 この地区も外海からの移住信徒が住み着き、苦労して天主堂を建てた。
画像10 大曽教会入口の扉上にはとてもお洒落で可愛らしいデザインの装飾が施されていた。
画像11 大曽教会のステンドグラスの紋様はサクラの花びら。西ドイツ製という。
画像12 レンガ組みが重厚な雰囲気を醸し出している。大曽教会。
画像13 大曽教会、細かな部分のデザインも見応え十分。建築完成まで3年がかりだったという。
画像14 海を見下ろして立つ素朴な木造教会は冷水教会。鉄川与助が棟梁として初めて手がけた教会建築。
画像15 冷水教会入り口にも内部拝観禁止の断り書き。
画像16 背後から見た冷水教会。奈摩湾を見下ろす。
画像17 簡素で素朴な冷水教会だが、すっきりしたデザインが見飽きない。
画像18 青砂ヶ浦天主堂。正面のバラ窓と大きなステンドグラスが目を惹く。
画像19 1910年完成の青砂ヶ浦天主堂。鉄川与助が建てた3つめの教会。国指定重要文化財。世界遺産構成資産からは外されたという。
画像20 青砂ヶ浦天主堂。外壁はイギリスレンガ積み。
画像21 青砂ヶ浦天主堂脇に立つ休憩所に堂の内部写真が展示してあった。
画像22 上の写真共々、青砂ヶ浦天主堂の祭壇後ろにちょうど夕陽が差し込む、1年に1回のチャンスに撮影されている。
画像23 青砂ヶ浦天主堂。側面には細かな装飾も施されていた。
画像24 新上五島町魚目地区に、鉄川与助旧居跡が残る。煉瓦塀は当時のまま。その後、長崎へ出て工務店を経営。今も子孫が鉄川工務店を継いでいる。
画像25 頭ヶ島教会へは直接行けない。14年前に定期便が絶えた上五島空港からシャトルバスに乗って訪れる。事前の日時指定の予約が必要。
画像26 鉄川与助建築の頭ヶ島天主堂、1919年完成。唯一の石造教会。地区の信徒達が島の石を切り出して加工したという。
画像27 細部の意匠も素朴ながら力強い。頭ヶ島集落が世界遺産構成資産で、天主堂も包括される。
画像28 頭ヶ島天主堂、側面のステンドグラス。伊能忠敬図には頭ヶ島は無人島。その後病気療養のための島となり、さらにその後、開拓移住が行われた。
画像29 頭ヶ島天主堂、石造りならではの重厚感、迫力が伝わる。左脇には島のふれあい館があり、島の人の暮らしが展示されている。
画像30 頭ヶ島天主堂から海辺へ下りると墓地。墓石の上に十字が載っている。新鮮な花が供えられているのが印象的だった。集落は高齢と過疎で10戸にも満たないが、皆さん、集落内をきれいにしていらっしゃる。

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