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2024年2月 水納島

昨年秋に友人たちとやんばるを旅した。その際、大先輩Wさんは単独で渡久地港から日帰りで水納島へ往復したのだか、ぼくはいずれ島で1泊したかったので同行しなかった。
年が明け、早速、その機会が訪れた。計画では、その時に見た那覇泊港から渡久地港までの高速船に乗りたくて予約したのだが、当日朝、無情にも欠航のメール。

海がさほど荒れてるとは思えず。そもそもこの船は商売で運航してるのではなく、将来、やんばるで開発中のテーマパークオープン時に新たなビジネス展開を企む思惑がらみ。だから、客が少ない今頃の時期は走らせたくないのだと思う。片道1000円と破格の安さも裏が見え見えなのだ。

しょうがない、やんばる急行バスに乗る。こっちは1800円もする。意外に混んでいた。

途中、伊芸PAでトイレ休憩。

渡久地港に寄るはずもなく、博物館前で下車し、雨の中、傘をさして港を目指す。

2月現在、水納島行きは往復3便。がんばってると思う。船が出ない時間帯は待合室は無人。

無人の待合室の片隅にザックを置いて、街の中へ。岸本食堂という有名なそば屋で昼にするつもりだったが、残念、定休日。すぐ近くのさわもと屋という店で三枚肉そば。まずまず美味しい。

麺も手打ち風で美味かった。

島の民宿からは夕食時の飲み物は、乗船前に買ってこいと言われてる。いつもなら、缶ビール数本に泡盛など買い込むが、体調不良につき、ノンアルコールビールを買った。
待合室に戻ると、貼紙通り、出発30分前の12時半に女性スタッフがやってきて窓口を開けた。往復で、というと、帰りは夕方便ですねと言うので、いや明日の朝と訂正してもらった。
宿に、これから船に乗ると電話したら、転送された電話に出た女将さんから、あら私も同じ船に乗ってると言われてびっくり。

大きく立派な高速船。夏休みは8便も往復して、乗り切れない客が出ることもあるらしい。この日は、結局、女将さんとぼくともう1名、船員の方が多かった。
港を出て15分、平べったい島に着いてしまった。

桟橋に停めてあった軽バンに乗って3分もかからず今夜の宿、民宿大城に着いた。

こちらが民宿大城。大先輩方によれば、先代時代は向い側に宿はあったらしい。右手には夏場の食堂がある。

雨がこやみのうちに島の中を歩きたい。早速、島内探検。西の方へ向かう。車の轍が続いている。

廃墟と、かつての牛舎跡だろうか、生活の痕跡が現れた。後で分かったが、この辺がリゾートホテルになるらしい。

さらに西へ進むと、西の浜ビーチ。

西の浜ビーチ。天気は悪いけど、海は隠しようもなく美しい。
北の方を見れば、伊江島のタッチューが間近にみえる。

島の中心部に戻る。小中学校がある。廃校ではなく、休校と、島に詳しい友人の原稿で知っていた。

水納小中学校。管理している方がいるそうで、花壇もきちんと手入れされている。

島の四方に道が分岐する辻には、コテージ風な小屋が立ち、その脇では食事場所なのか工事の最中だった。

外国人らしき人も含めて5人ほどが働いていた。後で、ここは問題多き存在と判明。

水納島はクロワッサンアイランドと呼ばれるが、その丸まった口にある、名もなきビーチという名前のビーチへ向かう。

営業していなかったが、お店のようだった。庭がきれいに手入れされている。

潮が引いたビーチに白サギがいた。

魚を狙い、集中していた。

と、ヘリの爆音。

沖縄が基地の島であることを思い知らされる。ジェット機も低空を飛んでいった。

中心部に戻り、港の方へ。こごが一番メインのビーチ。港とはいえ、美しい砂浜と青い海。夏場はここで大勢の人がマリンスポーツを日帰りで楽しんでいくのだ。

港からも伊江島のタッチュー。
惚れ惚れするビーチ。

一度、宿の部屋に戻り、一服した後、こんどは島の東に立つ灯台を目指した。茂みの中を歩いていくと、蝶がたくさん舞っていた。

はじめは目の前を飛ぶ蝶に気を取られていたが、上を見たら、すずなり。リュウキュウアサギマダラ。
単独だとこのようなお姿。

やがて、灯台。左には通信塔。

水納島灯台。この先にもビーチがあった。

これでほぼ島内は歩き尽くした。1時間ほどだろうか。夕方からは雨の予報なので宿へ。

島の中は、集落の部分はすべてこのような美しい石畳が敷かれている。
宿の部屋は離れ。テレビとトイレ、シャワーがあるだけだが、それで十分。

実は、旅の間、足下が時々ふらつき、怖い思いをしていた。これまでそんな経験もないし、原因の見当もつかなかった。が、そういえば、暮れの心房細動手術以来、飲まされてる薬の副作用の可能性はないかと調べたら、ドンピシャ。4種のうち2種の副作用に、しっかり、目眩、ふらつきと書いてある。慌てて病院へ問い合わせ、いま旅先でこんな症状と説明すると、ドクターに確認してくれて、とりあえず、血をサラサラにする薬以外は飲むのをやめ、来週診察してもらうことになった。自分で気がついたから良かったものの、危うい所だった。薬を出された時、副作用のことなど一言も説明されなかった。担当医に対する不信感は増すばかり。
ま、そんなことはともかく、夕食だ。
散策中に電話があり、肉と魚、どちらがいいか聞かれたので魚をお願いしていた。

モズク酢、刺身、ミーバイのバター焼き。あまり多くは食べられないとあらかじめ自己申告しておいたので、適量だった。
食事のお供が寂しい限りのノンアルコールビール。しゃあないけど。

予約の電話を受けてくれたのはご主人で、応答ぶりの感じが良かったから、話ができるかと期待したが、一度も顔を見せず。女将さんも少ししか話に付き合ってくれなかったが、そこで分かったこと。
島の人口は、14〜5人。年寄りばかりで、最年少が60。病院もデイサービスもないから、歳をとると、島を出ざるを得ない。
昨秋、水納海運の社長からリゾートホテル計画進行中と聞いたが、進んでいるようだ。場所は昼間見た壊れた牛舎のあたり。島を出てる人たちも、それを機に帰りたいと言ってるという。でも、ホテルなどできたら、よそ者がひと稼ぎしようと群がるんじゃないのと聞くと、そういうことはさせないようにしてあると言う。
そうそう、工事していたのは、ずいぶん前に入り込んでしまった余所者だそうで、昔、島の住人たちに酷い嫌がらせをした、話したくもないと、もっと話を聞きたかったのに、女将さんに逃げられた。
薬をやめたらすぐに良くなるのかしらと不安な思いを抱きつつ、雨の音を子守唄にして、寝た。
翌朝、雨はまだ降っていた。

朝ご飯も上等だった。これで1泊2食6000円。

9時半発の帰りの船は、客がぼくともう1人だけだった。

さよなら、水納島。

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