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2024年11月22~23日 竹富島、種子取祭

11月22日、朝便で西表島から石垣島へ戻り、スーツケースを翌日宿泊するAPAホテルに預けて、食料や飲み物を買ってから、10時半発竹富島行きの船に乗り込んだ。
600年の歴史があるという伝統的な祭り、種子取祭(タナドゥイ)は9日間にわたるが、そのメインとなる奉納芸能が、今年は11月22日、23日に行われる。いずれも舞台は世持御嶽(ユームチウタキ)、初日は玻座真村、2日目は仲筋村の担当。
竹富島に着いてから、祭りの会場近くまで行くバスに乗り、まずは歩いてすぐの宿へ向かった。

祭りの期間は宿の確保も難しい。やっととれたのはゲストハウスのドミトリー。とりあえず、ザックだけ置いて、飲み物などを共用冷蔵庫に放り込んだ。実は竹富島には大昔一度だけ泊まったことがあるが、そのヴィラはいつの間にか廃業していた。
竹富島はいつ来ても道がきれいに掃除されている。

奉納される芸能は二部に分かれていて、はじめは庭の芸能。その途中から見学できた。観客は多いが、場所を選べば、芸能を見ることはできる程度の混み方。

記念すべき種子取祭初体験の演目は、マミドー。働き者の女性を歌い、踊られる。

その後、ジッチュ、マサカイ、腕棒などが演じられた。

派手な衣装の隊列が目をひくンーヌマシャ(馬乗者)。

庭の芸能が終わると、一段高い所に設えられた舞台へと会場は移動。かぶりつきの席は指定席。その周りのゴザの上には場所取りの荷物が置かれている。よそ者は後ろの方で見やすい場所を探す。

事前に予習していた地元のNPOたきどぅん編集の祭りガイドによれば、舞台の芸能の最初は翁が登場する玻座真ホンジャーのはずだったが、なぜか省略されて、いきなりミルク(弥勒神)が子供らを引き連れ現れた。一番見たかった演目。芸能というより儀式の趣が濃い演目。
鍛冶工(カザグ)。大切な鉄製の農具を作る様子を力強くもユーモラスに演じる。
舞台で狂言が演じられている間も、奥の御嶽には次々にお詣りする人々がいる。

祭りの間は、宿や飲食店も営業しない所も多いと聞いていたが、営業中の店も見かけたので、八重山そばを食べてきた。

孫を引き連れ豊作の報告に出向く竹富島の豪農、大山家当主。それを祝う踊りを若者が舞う。世曳き(ユーヒキ)という演目。
かわいい孫役たちに対するご祝儀がたくさん舞台に投げ込まれていた。

ガイドブックの順番とは少々異なり、狂言と踊りが交互に行われたりしている。。

しきた盆。豪華な衣装と優雅な体のさばき方にぐっと惹きつけられた。
種子取節。凜とした気配に満ちた踊り。美しい。
演目を書いた紙をその都度、少女がめくっていく。

また、抜け出して、宿のチェックインをした。ドミトリーだから2段ベッドは承知していたが、まさかカーテンもないとは思わなかった。

男部屋の下のベッド。カーテンも読書灯もない。ちなみに、パブリックスペースが室内にはない。男のトイレも外。飲食は外のパラソルの下で、というのがルール。こういう宿があるとは思いもよらなかった。ま、野宿よりはマシか。
祭りは世持御嶽で行われている。庭の芸能は左手奥の一帯で。紅白の幔幕の前が舞台。

さて、いよいよ初日舞台もそろそろ終盤。最後の演目は、曾我兄弟だった。ご存じ、仇討ち物語。

気合いの入った熱演で本日の舞台は終了。

ガイドブックに掲載されていて演じられなかったものもいくつかあった。今日の石垣島への最終船便は、安永観光が17時、八重山観光は17時半。それらに間に合うように、奉納舞台は16時半に終わった。西表島の金城旅館の女将さんは、帰りの船は臨時便が遅くに出ると言っていたが、今はそうではなくなったようだ。

島の73歳の人たちがお祝いされていた。終了後の舞台で記念撮影。
多くの寄付が寄せられていた。
夜に各家を回る、ユークイに参加させてもらうためには、1000円で上記写真のセットを買う必要がある。

さて、祭りを見るだけであれば、石垣島に泊まって日帰りすればいいが、夜に行われるユークイに参加するためには泊まるしかない。

17時半頃、世持御嶽へ行くと、舞台の幕を張り替えていた。明日は仲筋村の奉納。幕も客席のゴザもすべて取り替えられていた。

こちらは日が長い。18時前なんて我が家なら真っ暗だけど、まだ明るい。鳴り物の音に誘われて、ユークイ(世乞い)の行列の後に付いていく。先ほどの手ぬぐいを頭の後ろで結ぶ。女性は逆に頭の前で結ぶ。これが参加証代わり。
ユークイとは、集落ごとに家々を1軒ずつ回り、豊作を祈願する行事。

1軒目のお宅はなごみの塔前にある、カフェ兼展望台のお宅。ここまで行列してきた人々は、家の前でグルグル回った後、男と女2組に分かれ、掛け合いをやる。
その後、お宅に上げてもらい、祈りを捧げる。
順に泡盛が回ってきて、一口いただき、次に回す。コロナの時には絶対出来かったことだよね。その次には塩をちょっと左掌にのせてもらいいただく。
最後にピンダコと呼ばれる、タコとニンニク、さらに一口揚げをいただく。こちらのお宅の飲み物は黒糖入りの生姜湯でとても美味しかった。

30分ほどすると、次のお宅に向かう。今夜はこれを延々と遅くまで続けるというのだ。

2軒目のお宅。やはり最初はグルグル唄いながら回る。
男女別に分かれて掛け合いまでは一緒だったが、その後、このお宅のお子さんを胴上げしていた。何か特別な理由があるのかどうかは不明。

また大勢が上がり込んでいく。ぼくは庭に張り出した広縁のような所に座った。どのお宅も広い居間に神棚や仏壇がある。2軒目のお宅は、行列の先頭を歩いていたお婆さんのお宅らしい。

挨拶の中で、コロナ禍の時は祭りもできず、昨年再開されたが静かに行われ、今年はこうやって昔ながらに盛大に開催できて、ユークイにも大勢の人が来てくれて、幸いをもたらしてくれる、本当にありがたい、と述べられた。よそ者がおじゃましていいのだろうかと心配していたが、歓迎されていることに驚いた。

こちらでも、泡盛とピンダコをいただいた。まだまだユークイは続きそうだったが、ぼくはここまでで宿に戻った。

宿に戻り、表のテーブルでひとり飲んでいると、同宿者が帰ってきて、あれこれ面白い話が出来た。

さすがに、この日、宿に泊まっていた連中は、種子取祭が目当て。最近、那覇に移住したという女性は数年前に祭りに来たかったのだけど来られず、今回はとても楽しみにしてきたという。同じガイドブックで予習してきたらしい。高そうな望遠レンズを付けたカメラを持ち歩いていた男性は川崎在住のワインマニア。ボルドーなどのワイナリーへも出向いているそうな。で、もう一人がなかなかの強者。埼玉在住で、八重山民謡を三線とともに習っているという。民謡については相当詳しく、今日の舞台でも挨拶や劇中台詞などは方言だったが、それらも理解できるようで、念願叶って種子取祭に来られたから、必至に唄や三線などを聴いていたそうだ。彼は旅先も八重山ばかりという。へえ。
翌朝、まだ暗いうちから鳴り物の音が聞こえてきた。

早朝5時半、まだ真っ暗。この時は舞台では練習中、その他あれこれ準備中。

一度、宿に戻る。6時過ぎ、今度は本当に始まったようだ。

昨夜のユークイの続きのような感じ。女性4名は御嶽に上がっている。男ばかりで2組に分かれ、掛け合い。
その後、全員、御嶽の前に上がった。

さらに、舞台ではユークイと同様、正座した面々に、泡盛とピンダコが回される。

泡盛、それからピンダコが給仕される。
その後、仲筋村のシドゥリャニが演じられ、カンタイ(歓待 )という儀式が行われた。

ここで、いったん儀式が終了みたいなので、宿に戻り、朝食。
8時過ぎには再び世持御嶽へ。早過ぎるのは承知の上で。今日は銅像脇の石段に腰掛けて観戦することにした。と、隣にオジイさんがやってきた。あれこれ話を聞かせてくれた。今年90歳。竹富島の生まれ育ちで、73歳までは祭りに参加していた。小さい頃から民具作りをしてきて、今なお仕事は現役。島にはお孫さんだけ。自身は石垣島に暮らし、作った民具を売っている。息子が3人、長男は栃木で大学教授、次男は川崎で床屋、三男は那覇でカメラマンをしている。盆には先祖送りを一人ではできないので、3人が毎年交代で一人ずつ帰省してきて手伝ってくれる。

10時過ぎ、本日は仲筋村の庭の芸能。その前にンカイ(迎え)の儀式。
ユークイ同様、まずは唄いながらぐるり回る。
皆さん、きりりと引き締まった表情。

隣のオジイは、最初の演目、棒の演者たちのワラジは全部自分が作っているという。

今日は土曜日とあって観客数は昨日より圧倒的に多い。棒は動きが派手で面白い。
このワラジを90歳のオジイが手作りしてるそうな。

なかなかいい場所を確保できた。よく見える。

元々は玻座真村の男性の演目であった腕棒。その後、演じられなくなり、仲筋村で女性の演目として復活したという。
90歳で民具作り現役の前新さんと記念撮影。お元気でね。

庭の芸能が終わり、舞台の芸能へ。今日は御嶽横の多くのカメラマンたちがいる場所へ行ってみた。

御嶽でお詣りする人々。これが一番大事。
舞台の芸能、狂言の部、最初は仲筋ホンジャー。村の父、芸能の神様。
次にはミルク。やはり存在感が際立つなあ。
シドゥリャニ。4人は仲筋村の最年長者という設定。御神酒をいただく。

まだまだ演目は続くが、そろそろ失礼しようかな。御嶽の目の前のたるりやという店で、焼きそばと缶ビールをいただく。

たるりや。昨日のしだめー館と同様、祭りの日特別メニュー。

最後に、なごみの塔、と言っても最上部へは上がれないが、高台から町並みを眺めてみた。

赤瓦の家並みが続いている。

さて、宿からザックを引き取って、港へ行くか。祭り見学もたまにはいいもんだと思った。

牛たちは祭りなど関係ないとばかりにのんびり寛いでいた。

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