1984年ペルー、アンデス高山鉄道 11 栗コロッケ 2020年5月2日 09:53 標高4758m、1984年当時は世界最高所の駅であったペルー中央鉄道のチクリオ駅。その後、チベットへの鉄道が開通し、最高所はそちらへ移った。リマとワンカヨ間を結び、1日1往復していたが、しばしば運行休止となり、訪れた際もトマスクックの時刻表には地滑りのため不通と記されていた。 リマのデサンパラドス駅。入口で厳重なチェックをしていた。ペルー全体が治安状態が悪く、スリや置き引きには注意するようにとしつこいくらい言われた。 リマを出た列車はしばらくすると、このようなすさまじいスイッチバックでぐいぐい高度を上げていった。 途中のカサパルカ駅のスイッチバック。すでに4000mを越えている。 4000mあたりを列車が走るのだが、周囲のアンデス山地はさらに天を目指してそびえ立っている。 このような景色の中を列車はひた走る。アンデスの山々は実に奥深い。分け入っても分け入っても…。 列車には白衣姿のドクトルが同乗していて、高山病の心配がある乗客に革袋に詰めた酸素を吸入していた。 チクリオから分岐する貨物線には4818m、文字通り線路として世界最高地点の標識が立っていた。中央鉄道が運行していない現在、チクリオがどうなっているかGoogleMAPで調べたら、ペルーの道路最高地点4818mとあり、自転車やバイクで記念撮影している写真がたくさん出てきた。 標高4781mのガレラ駅。チクリオより高いが当時は旅客扱いをしていなかった。この駅の手前のトンネルの中が4783mの旅客線路最高地点。後に、一時期観光列車を走らせたようで、その時はガレラ駅にも停車して乗客が下車して記念撮影できるようにしていたようだ。 5000m近い峠を越えた列車は、チクリオから5つめ、ラオロヤ駅に到着。駅には必ず物売りがいた。 ラオロヤは重要な鉱山のひとつ。ペルー中央鉄道は、アンデス山地で採れる鉱石をリマの港へ搬出するために敷かれた。 終着駅ワンカヨは3261m。駅構内の操車場には古い蒸気機関車が置かれていた。この町で2泊し、日曜朝市や隣町サパヤンガのお祭りなど見て歩いた。 ペルー南部鉄道の主要駅クスコ。サンタアナ線でマチュピチュ方面へ、南部鉄道本線でプーノへと繋がっている。 クスコ~マチュピチュ間を走る列車を牽引する機関車。 マチュピチュへの入口となるプエンテルイナス駅。ホームにまで物売りが商品を並べていた。 遺跡から見下ろしたプエンテルイナス駅。谷底に位置しているのが分かる。 マチュピチュ遺跡は思っていた以上に規模が大きく、周囲には石組みの段々畑もたくさん広がっていた。 マチュピチュからクスコに帰る観光列車には、民族楽器チャランゴを手にしたインディオ青年が乗り込んできた。 クスコ発プーノ行き列車を牽引するのは強力な機関車。クスコからプーノまで所要11時間の長丁場を走る。 プーノへ向かうペルー南部鉄道の車窓風景。これでもかと標高5、6000mクラスの山並みが続く。 途中駅ララヤ、南部鉄道の最高所、標高4319m。列車の行き違い。少し手前でアルコ社製の超強力機関車に付け替えられる。 チチカカ湖畔を走るペルー南部鉄道の列車。背景はすでにプーノの町。 行き止まりの終着駅、プーノ駅構内。給水塔もあったが、さすがに蒸気機関車の姿は見当たらなかった。 チチカカ湖に浮かぶ葦の島、ウロス島。地面も家も舟もすべて葦でできている。湖近くは足がずぶずぶと沈みかける。 ウロス島の漁師。細身の葦舟をじょうずに操って漁をしたり、湖を渡ったりする。 プーノはのんびりした田舎町だった。泊まったホテルは町から離れたチチカカ湖畔。空気が澄んでいるせいか、景色が近く見えて、町からホテルまですぐだろうと歩いたら、歩けども歩けども行き着けず、エライ目にあった。 クスコの近くにあるインカ時代の城砦跡サクサイワマン。ここでインカの成年式、ワラチクイが行われて、大勢の人々が集まっていた。 巨大な石組みの城砦跡、サクサイワマン。ワラチクイは、民俗衣装を纏った人々が壮大な大野外劇を演じる。 ワラチクイの行われる会場周辺には屋台もたくさんでていた。これはアンティクーチョという牛の心臓とジャガイモの串焼き。 インディオの人々の服装は不思議な色彩。帽子をかぶる人が多かった。女性はスカートを何枚も重ねている。子供を背負うのも独特なやり方だった。 いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #ペルー #マチュピチュ #1984年 #クスコ #プーノ #南部鉄道 #中央鉄道 #チクリオ駅 11