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2024年11月 女木島

男木島へ渡った翌日、今度は女木島へ。こちらは、島内で電動自転車を借りられるので、体ひとつで10時発の船に乗り込む。さらに宿も予約してあるので1泊できる。
20分で女木島到着。目の前の鬼ヶ島おにの館で、早速、電動自転車を借りる。2000円。
まずは、島の東側海岸を北へ。

こちらが、本日のアシ、さすが電動だから楽ちん。
誰もいない浜。この先は北へ向かう道はなく、左へ曲がっていく。

海岸を離れ、少し進むと、俵石の表示。寄ってみた。

大きな石が落っこちそうになって祀られていた。

さらに進めば、島の西海岸。

女木島からも瀬戸大橋がよく見える。
陽当たりがよさそうな斜面にはミカンの木がいっぱい植えられていた。

島の西岸中央あたりに、西浦漁港と小集落。西側にはここ以外に集落はない。島のメインは東岸の女木港周辺。

アート作品ではなく本物の蛸壺がたくさん置かれていた。西浦漁港の集落は廃屋が多く、ちょっと寂しい感じが漂っていた。
女木島は別名鬼ヶ島。島の至る所にこのような鬼の石像が立っている。

漁港を後にして、山を登る。電動の威力発揮。

山の中腹にある女木丸山古墳。5世紀後半頃のもの。昭和39年発掘調査が行われた時点で盛土の大半はなくなっていたそうで、本来は直径15mの規模だったらしい。副葬品に朝鮮半島伝来の金の耳飾りがあったことから、その当時から海上交通を取り仕切る豪族の存在がうかがえ、後に大洞窟へと繋がる水軍(海賊)の存在を示唆している。

さらに坂道を登り詰めると、駐車場。港からのバス停もある。ここが、鬼ヶ島大洞窟の入口。大正時代、高松の小学校の先生が洞窟を発見し、さらに桃太郎伝説との関係を説く本を出したことで、この島が鬼ヶ島として知られるようになった。

入口の脇で入場券を購入。ジイさん割引きで500円。店番のジイさんが入口で記念写真を撮ってくれた。
洞窟内は思った以上に広く、たくさんの部屋がある。随所に赤鬼や青鬼が置いてあるので、ちょっとしたテーマパークみたい。
瀬戸芸と連携して、香川県内の中学生が鬼瓦を制作して、洞窟内に展示している。オニノコ瓦プロジェクト。その数がとても多くて驚かされる。上の写真はほんの一部。
中にはこんな素朴なものもあって心和ませてくれる。
仏間と呼ばれるスペースには、ここで発見されたという石仏が祀ってある。後世、ここで亡くなった人々の供養のために造られたとも。

洞窟内は、敵に攻め入られた時に守りやすく、さらにはいざという時に逃げやすく工夫されているという。まさに海賊の根城だったのだろう。

出口から出て、振り返ると出口上部には柱状節理が見られる。

展望台まで歩く。

展望台から東を見れば、大きな小豆島の手前に、国立療養所大島青松園がある大島が見える。かつてハンセン病患者が強制隔離された島。今は瀬戸芸のイベントも行われる。
南西の小山の頂上には日蓮上人像。

さて、山を下る。山腹には住吉神社。その近くに、瀬戸芸作品、段々の風。

かつては段々畑だった斜面に、杉浦康益の作品「段々の風」。約400個の信楽焼のブロックが積み上げられている。

女木港へ戻る。おにの館そばにはモアイ像。この前、テレビ番組でイースター島以外の場所でモアイ像を勝手に置いてはいけないということを知った。イースター島でモアイ像再建のために高松の建設重機メーカーが力を貸したことに対する返礼として、その時に造られた吊り上げテスト用の像を寄贈されたとのこと。ここのはお墨付きなのだった。

誇らしげに立つモアイ像。

港近くの家々はオーテという石垣で囲われている。冬に強風で波飛沫などが家の中に入り込まないよう設けられている。

オーテで囲われた港近くの集落。

島の南端に向かって走る。お墓があるくらいで民家などは何もない。そして、先っちょには白い灯台。

白い灯台。
男木島と違って、こちらの灯台は昭和31年に建てられた。

ここから道は洞窟方面へ折り返す。洞窟で出会った、歩いて登ってきた外人女性が、向こうから歩いてやって来た。挨拶を交わしたが、元気だなあ。さっき、展望台から見た日蓮上人像までは、自転車を置いて歩いた。

山の上になぜこの像を建てたのかは不明。大阪の人が1000万円寄付したという石柱が立っていたから、その人の意向なのだろうが。

ふたたび、山から下る。今夜の宿、ゲストハスMeginoは、事前のやりとりで今日のカフェ営業は休業日。宿主さんは高松へ買い出しに出かけていて、15時20分に戻るとメールで知らされている。脇のドアだけは開けられるので、実はリュックはすでに置いてきた。さらにカメラを置きに向かう。

これまた瀬戸芸作品のシネマ。
宿のすぐ近くに、こんな立派なお宅が海辺に立っていた。大阪のお金持ちの人の別荘らしい。
こちらが今夜の宿、ゲストハウスMegino。昔は海の家だったが、買い取ったオーナーがカフェをやりたかったそうで、現在の宿主さんが宿に借りたいと交渉に行くと、カフェも一緒にやってほしいと要望されて、カフェ兼ゲストハウスになったそうだ。

そのすぐ近くに営業中のカフェを発見。事前に確認した限り、本日木曜日は島内のランチ可能な店はどこも営業していないとのことだった。なので、おにぎりを高松で買ってきて、洞窟入口近くのベンチで済ませたのだが、ここはハンバーガーを食べられるみたい。しかも島で作ったキクラゲ入りで。えー、しまったなあ。ま、しゃあない。コーヒー飲んで一服。

キクラゲ入りのハンバーガーが名物のHAKOBUNE。営業は15時まで。

さて、自転車を返しにおにの館へ。ついでに展示施設もチラリと。

おにの館の待合室。人間の座る椅子は丸椅子。ネコ様の方が立派な椅子にいらっしゃる。
このずらり並んだカモメもアート作品。

15時半過ぎ、そろそろいいかなと思ってMeginoへ行くが、まだ戻っていない。椅子に座って読書タイム。16時前になって、ベビーカーを押したMさんが帰ってきた。聞いてびっくり。女木島には小学校も保育所もなく、赤ちゃんを男木島の保育所へ預けているのだという。たった20分とはいえ、船で保育所へ送り迎えするとは!
部屋は2階。今日は他にお客はなく、ひとりで貸切。Mさんの自宅は近くの別の場所にある。一通り宿の中を案内すると、夕食前にまた来ますとベビーカーを押して出ていった。

2階の部屋はベッドのツインルーム。隣にもう一部屋。ドアを開ければ、屋上に出られる。
宿の前は瀬戸内海。その向こうに屋島など四国本土。ひっきりなしに船が通る。
1階はダイニング兼リビング。部屋にもここにもテレビはない。

シャワーを浴びて、窓際の椅子に座って海を眺めながら、持参した缶ビールをぐびり。まったりした時が流れる。
あたりが暗くなって、18時過ぎ、ベビカーと一緒にMさんが戻ってきた。本来なら、夕食はドイツ人のご主人が作ってくれるが、運悪く、ガイドとしてツアーに同行中。事前にそれも確認済み。夕食はカフェメニューからチョイスすることになっている。おつまみ、島で作ったニンニクを使ったピザ。それに生ビール。後でレモンハイ追加。

ニンニクピザは、ニンニクの風味が利いて美味しかった。

Mさんは栃木県出身。旅好きで、京都でしばらくゲストハウス運営会社の仕事をしたという。自分で宿をやりたくて各地を探し、女木島に辿り着いた。2019年にオープン。お客で来たドイツ人がコロナ禍で帰国できず、結果的には結婚することになり、Eちゃんが生まれ、ふたりで宿をやっていくことになった。
やっとつかまり立ちができるようになったばかりのEちゃんは、実におとなしくていい子。ベビーサークルの中でおもちゃでひとりおとなしく遊んでる。置いてある絵本は日本語とドイツ語。すでにバイリンガル。
いろいろ島の事情も聞かせてもらった。女木島には小学校も保育所もないが、男木島には小中学校と保育所がある。男木島は移住者が50名ほどいる。移住者の面倒を行政がみるかと言うと、そうでもないそうで、それぞれがリモートで仕事したりしてるそうな。
料理を出し終えると、暗い中、またベビーカーを押してお帰りです。家の中はひとりきり。あとは好き放題。部屋の隅に置いてあったギターをチューニングしてワンマンショー。冷蔵庫に入れておいた缶チューハイ飲んだり。
翌朝、窓の外には明けてゆく朝空の絶景。

カウンター右端の席がお気に入りの場所。
6時過ぎ、東の空が真っ赤に焼けていった。

7時半頃、Mさん登場。朝は8時20分の船で男木島の保育所に行かねばならない。朝ご飯を手際よく作ってもらった。

朝食はサラダとホットサンド。シリアルにヨーグルトとハチミツかけ。あとはインスタントコーヒー。

ふたりをお見送りして、自身は9時前に宿を出た。9時20分発の船は、男木島からの便。保育所送りから戻ってきたMさんと挨拶して、入れ替わりに乗船した。

男木港の防波堤には鬼の灯台が立っていた。高松の方ではなく、島の方を見張っているのが、なんか面白かった。

やはり、1泊すると、島の印象はとても濃いものになるなあ。

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