2019年10月 粟島

画像1 粟島へは岩船港からフェリーか高速船で渡る。フェリー、ニューあわしまは今春就航したばかりの新造船。
画像2 ニューあわしま船内は、寝転がれるスペース、女性専用スペース、甲板座席の他に椅子席があるが、その椅子が高級なシートで驚いた。
画像3 およそ1時間半の航海の後、粟島の内浦の港に接岸。すぐ前に島の電力をまかなう東北電力の火力発電所がある。
画像4 集落の奥に祀られた風の三郎様。島の暮らしは風頼り。漁の安全や航海の安全を島民が祈願してきた。
画像5 電動アシスト自転車で島を1周した。時計と反対回り。島の北東端、鳥崎展望台からは鳥海山が見えた。
画像6 1周道路脇には丈が高く、葉が大きな笹が生い茂っていた。
画像7 泊まった旅館の名前の由来、島の西側にある立島。砂州で繋がっていた。
画像8 汽船待合所の観光協会で自転車を借り、所々で景色を楽しみながら、ぐるり島の外周を回って1時間20分ほど、ようやくもう一つの集落、釜谷が見えてきた。
画像9 釜谷が見えた場所の道路の外にお墓があった。島では10年ほど前まで土葬が一般的だったと言うが、この墓地はその後に整備されたらしい。
画像10 釜谷集落は海沿いの傾斜地に住宅が建ち並ぶ。細い階段の上には塩竃六所神社があり、避難場所にもなっていた。
画像11 釜谷のかもめ食堂。事前予約して幻のラーメンを食べたかったが、ずっと電話が繋がらず、この日も店は閉まっていた。
画像12 島の外周道路は坂道がそれなりに多い。電動アシスト自転車でなければ、1周するのは大変だったと思われる。
画像13 島の西南端の山の上に八幡神社がある。大漁を祈願して漁師さんたちが建立したと思われる。神社のすぐ近くには三角点があった。
画像14 神社の前に立つ灯籠には、大漁満足、の文字が彫られていた。昭和28年9月建立。
画像15 八幡神社の先に展望台があるのだが、そこまでの遊歩道が崩れているらしく、通行止めとなっていた。
画像16 粟島の西海岸からは佐渡がはっきり見える。ちょうど真横から見る位置関係のため、大佐渡と小佐渡、まるで二つの島のように見える。
画像17 この日はお天気も良く、風もなく、格好の漁日和。島の周囲にはここそこに小さな漁船が見られた。
画像18 浅瀬の岩場にはタコを獲る人の姿もあった。
画像19 島1周の終わり近く、海辺にあわしま牧場がある。馬に乗ったり、いろいろな体験メニューも用意されている。
画像20 自転車を返却した後、コミュニティバスで、もう一度釜谷集落へ出かけた。塩竃六所神社の狛犬は海に向かって鎮座している。
画像21 六所神社の近くには地蔵堂があり、昔、漁で遭難した若者を祀る多くの地蔵が並んでいた。胸のZマークは屋号を表す印。
画像22 地蔵堂の脇に墓地。とある墓石には、昭和51年に28歳の若者が香港沖で遭難して亡くなったと記されていた。生きていらっしゃれば、自分と近い年齢だったのに。
画像23 釜谷の路地を歩いていると、小鳥がすぐ近くに飛んできた。帰宅後、調べたら、キマユムシクイという鳥だった。来る時の同じ船にはバードウォッチング目的の人も乗っていたし、島の中でもその筋の人は見かけた。
画像24 釜谷の浜辺には小さな小屋がずらり並び、屋根組と仕切りがあった。地元の方に尋ねると、夏場に民宿のお客さんの朝食として、各宿がここでわっぱ煮をするための場所とのこと。
画像25 お天気がいいからあちらこちらで大豆や小豆などを干していた。島には田圃はないが、小さな畑が集落付近には点在する。
画像26 役場が走らせているコミュニティバス。お客さんが増える夏場は大型バスを出すそうだ。
画像27 港近くの漁火温泉おと姫の湯。いわゆる潮湯。窓の外は港、ちょうど出航するフェリーをお湯の中から見送った。
画像28 島を発つ日の朝は曇り。風は強くなく、波も穏やか、予定通り船は出てくれた。
画像29 港の近く、真ん中に穴が空いた弁天岩がある。岩の上には小さな社、表側には鳥居が立っている。
画像30 帰りは高速船きららに乗った。双胴船。所要1時間で岩船港と結ぶ。

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